物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ガザ・ストリップ

2021-05-20 11:50:18 | 本と雑誌
パレスチナのガザ地区のことをガザ・ストリップという。

ここはハマスが実効支配しているというが、それはともかくここを何度も空爆するイスラエルは心ないと思う。

ナチスドイツにユダヤ人は迫害されたという歴史があるが、それで戦後に英米の政府に頼んで政治的な独立の国をつくることを頼んだというのはわからないでもないが、それだけにイスラエルがパレスチナ人と共存しないで、抑圧しているのは自民族の歴史に鑑みて恥ずかしくはないのだろうか。

即時停戦はもちろんのことだし、お互いの存在を認めあうのが交渉の始まりであろう。どうやってお互いが共存していくか。これなくしては世界の発展はない。

お互いに人間同士ではないのか。その原点にかえりたいものだ。

(2021.5.20付記)Gaza stripと書いたが、ドイツ語ではGaza-Streichenとかいうらしい。ちなみにstripは細長い布地とか土地のことをいう。 

5778

2021-05-20 11:28:47 | 本と雑誌
5778とは昨日までに私が書いたブログの数である。どうも富士山の高さみたいだが。

これを365で割ると15.83と出た。一日1回のブログだとすれば、15年くらい書いてきたことになる。

実際には2005年4月末にはじめたから、17年くらいになる。それに日曜は原則的にブログはお休みである。この例外は少数でしかない。

これは前にも書いたが、

2021-05-19 11:50:22 | 本と雑誌
これは前にも書いたが、英語とかフランス語で現れる相対的な程度についてである。

「君を愛する」というときに、フランス語ではJe t'aimeという。このときにJe t'aime bienとかのようにbienとかbeaucoupとか副詞をつけてはいけない。

日本語の感覚ではJe t'aime beaucoupとかいえば、「とても君を愛しているように思える」のだが、さにあらず。

本当にその君を愛しているのならば、余計な副詞をつけずにJe t'aimeといいきらなければならない。

Je t'aime bienなら、「君のことどちらかといえば、結構好きだな」くらいになる。すなわち、愛し方が相対的に小さくなってしまうという。

こういうことを教えてくれたのは小田実のエッセイだったが、彼の経験では名うての女たらしは絶対にI love youと言って、それ以外にvery muchなどという副詞はつけないと書いていた。小田実はそれが最高の口説き文句なのだと書いていたと思う。

そんなことがあるのかと不思議だったが、NHKのラジオのフランス語講座を何年も聴取しているとこのようなことを数度聞いた。どうしてそうなるのかは知らない。そういう言語なのだというしかない。

ドイツ語でも同じことがあるだろうが、残念ながらそういう話はドイツ語の関係の講座とかその他の話では聞いたことがない。

(2021.5.22付記) 黙って書いたが、フランス語では直接目的語の代名詞とか間接目的語の代名詞は動詞の前におかれる。これは英語とかドイツ語にはない規則である。

Je t'aimeを英語だったら、I love youであり、I you loveとは言わない。ところがフランス語とかイタリア語とか、たぶんスペイン語も直接目的語や間接目的語の代名詞は動詞の前に来る。

それから、フランス語では形容詞は名詞の後ろにおくのが原則である。名詞の前におく形容詞もあるが、これは特定の少数の形容詞であり、むしろ例外である。小さいpetitとか、大きいgrandとか、きれいなjoliとか、美しいbeauとか限らた少数の形容詞しか名詞の前にこない。



ドイツ語で味を言う言葉は

2021-05-18 11:28:39 | 本と雑誌
ドイツ語で味を言う言葉はsで始まる語が多いとは知らなかった。

これはやはり最近のNHKのEテレのドイツ語講座で見たのだが、

 s"uss (あまい)
    sauer (酸っぱい)
    scharf (辛い)
  salzig(しょっぱい・塩辛い)

である。すべて s で始まっている。こんなことに気がつかなかった。

ドイツ語の豆知識である。geで始まる名詞には中性名詞が多い。いつかどのくらいの割合で中性名詞か調べてみようと思いながら果たしていない。これの一番いい例は建物das Geb"audeであろう。

もちろん注意が必要である。geで始まるドイツ語の名詞でも語尾が女性名詞の語尾をもつ名詞はこれにはあてはまらない。

このいい例はGemeinscaft(共同体)である。-schaftで終わる名詞は女性名詞であることはよく知られている。Gesellschft(社会、会社)も女性名詞である。これは物理用語かもしれないが、Geschwindigkeit(速度)のように-keitや-heitで終わる名詞も女性名詞である。

Geschmack(味、味覚、趣味)は例外で男性名詞である。


Sch"one Spr"uch

2021-05-18 11:16:30 | 本と雑誌
今日も昨夜のNHKのEテレの「旅するためのドイツ語」から

           Das Geheimnis des Fussballs ist ja der Ball.     (Uwe Seeler)
     (ダス ゲハイムニス デス フスバルス イスト ヤ デア バル)

   サッカーの秘密はもちろんそのボールにある。

ちょっと意訳にすぎるかもしれない。文章自身は単純な文章であるが、
意味するところは深そうだ。原文の下のカタカナはドイツ語を知らない人のために仮に付けたものであるから、ドイツ語の得意な人は無視してほしい。

言葉は音声であるという気がしているので、カタカナにしろ声に出して言ってみてほしい。


夕方になってはじめて

2021-05-17 17:12:13 | 本と雑誌
夕方になってはじめて、今日はブログを書いている。

知人からの「数学・物理通信」への投稿を先日このままでは採用できないと手紙に返事していたのだが、やはりちょっと気になったので、自分で書き換えをしていた。

金曜日にはじめて先週の土曜日にかなり書いていたが、まだまだ終わっていなかった。それを今日一応の決着をつけてプリントして送った。どういう返事がくるかはわからないが、これで納得してもらわないとどうにもならない。

相手は高校の数学の先生だった方であるから、相当に数学ができる方であろうと思うが、私には理解できないところが多々あった。それを書き換えてくださいとお願いをしたのだが、自分にはできないというのか、ちょっと拒絶するみたいな返事があった。

この人は今どきの人には珍しくワープロも使えないという。「ワープロぐらいは知的な仕事をなさるのなら、今からでも始めたほうがいいですよ」と、勧めたのだが、いっこう聞く気がないらしい。私よりも5歳近くも若いらしいのに。

文章を根本的に書き直すとか、修正をするとかする時にはワープロで仕事すれば、かならず作業能率がアップする。そうでないと自分の文章の推敲も面倒でできないと思うのである。

だから、この人とはすこし距離をおいてつき合うしかないなと思う。もっともこの人とのつきあいは最近になって、手紙をもらったことから始まった。 

しかし、やはりどこか意欲か何かが足りないと思う。いままでこういう人には出会ったことがなかった。



海の波はどうしてできるか

2021-05-15 11:13:22 | 本と雑誌
「海の波はどうしてできるか」というのが今朝の朝日新聞のBe版の「Do科学」に出ていた。小さな海の波が風のエネルギーをもらい、だんだん成長していくということらしい。

海の水は波が動いてくるからといっても水が動いてくるわけではない。波とはある場所での振動現象が周りの場所に広がっていくことである。

だから川の水が海へと流れて行くように海の水が動いてくるかのように思えるが、そうではなくてあある箇所の海の水を見ているとそこでは円運動をしているくらいである。

昔、ソリトン研究で有名だった広田良吾先生の集中講義を聴講していたら、波の上の方が普通は波の下の部分よりも速度が速くて、それで波が砕けるのだとの話であった。

ところがそういうふうに砕ける波ではなくて、そのまま波の形を維持して迫ってくる波がある。それをソリトン(soliton)というとの話であったと思う(注)。

私が「きちんと広田先生の意図を理解していれば」の話だが。

波の数学的表現だが、高校生の時に物理の講義で話をいたときはあまりよくわからなかった。それがもう大学に勤めて何年も経ったときに、その当時「フィジックス」という名の雑誌が発行されており、そのある号の中に「波を数学的にどう表すか」とかいうタイトルの記事があってそれをフォローして、ようやく波の数学的な表現が分かったという気がした。

私は鈍才の物理屋だから、秀才の物理屋とは理解の早さも違うのだろう。それから、振動とか波動とかのことを取り扱ったテクストを読んでみたら、波の数学的表現はそこに書かれてあることがわかった。

特に、私が見たのは有山正孝『振動・波動』(裳華房)である。だが、なかなかこれをはじめから読むのは難しかったのではないかと思った。

私はそれからグラフの平行移動は、この波の数学的表現を理解するためには欠かせないのではないかと思うようになった。

愛媛県数学教育協議会を長年牽引してこられた故矢野寛(ゆたか)先生は2次関数でのグラフの平行移動の説明は本質的ではないとのお考えであったが、私は波の数学的表現とグラフの平行移動との関係から捉えるという視点がほしいと思っているので、尊敬する矢野先生のご意見にはあまり賛成ではない。

いや、2次関数だけに話を限ると矢野先生の観点は正しいのだが、グラフの平行移動の話はそこで尽きるわけではないという視点をもちたいと思っている。

だからもう故人となっている、先生に私の見解をもし伝えることができたら、賢明な先生は私に賛成してくださるのではないかと思っている。

いつかもこのブログで書いたかもしれないが、海の潮の満ち干は海の水が波ではなくて実際に動いてくるのである。

私は行ったことがないが、フランスの観光名所の一つのモン・サン ミシェルでは潮が引くと何キロにもわたって干潟ができるが、それが潮が満ちてくると馬が駆けてくるくらいの速さで海水が押し寄せてくるとか聞いた。

それで昔は干潟に遠くまで出ていて、潮に飲み込まれて亡くなった人がいたらしいと聞いたことがある。そしてそういう干潟のできる海のことをdas Wattenmeer(ドイツ語)というとはこのブログで何回か話題にしたことがある。

(注)私の昔の友人の一人は自分のメールのアドレスの一部にsolitonを使っている人がある。

『群の発見』

2021-05-14 17:09:21 | 数学
原田耕一郎『群の発見』(岩波書店)という本をE大学の図書館から借りて来た。実は4次方程式の解法の件で借りて来たのである。

それでその該当のページを読んでいるのだが、やはり書き方がひっかかる。私の判断では歴史的な知見をうまく使ってこの箇所を書かれているので、どうもある箇所が十分に説明をされないで、書かれているように思えるのである。

「数学・物理通信」のためにお願いして投稿された原稿が実は上の本にもとづいて書かれているのだが、どうもよろしくない。それで大幅に書き直して頂けませんかと2度にわたってお願いしたのだが、お気にいらなかったらしい。

それで私がその部分を書き直してそれを著者に加筆してもらうという提案をした手紙を昨日送ったので、どうしてもこの本にどう書いてあるのか見なくてはいけなくなった。こういういきさつがあっての読書である。



 

仮商とはなんでしょうか

2021-05-14 12:50:35 | 数学
仮商といってもそれは何ですかという返事が返ってきそうだ。

小学校で算数を教えている人には知られた用語だろうが、普通の私たちには知られていない用語であろうか。


わり算をするときに仮に商となる数を考えるが、そのときの考える数を仮商というのだ。 仮商の立て方として小さいほうから立てて行くか、大きいほうからあたっていくか二つの方法がある。普通は小さいほうからあたっていくのだが、最近では大きいほうからあたるほうがまちがいが少ないというふうに言われている。

もちろん、熟練してくるとおよその仮商を推測できるようになるのだが、わり算を学びはじめではそれができない。そのときに一番大きい数の9から試していくという話が常識になっているという。

仮商なんて用語は残念ながら、武藤 徹先生たちの数学用語事典にも載っていなかった。だから、英語でどういうかはわからない。


象限を英語ではどういうか

2021-05-14 12:15:03 | 数学
象限を英語ではどういうかを知らないことに気がついた。

これは数学の用語である。中学校の数学で座標平面を学ぶと第一象限だとか第二象限だとかの用語を知ることになる。

だが、それに対する英語がどうであったかは知らないことに最近気がついた。

それであわてていつもこういうことがあるとお世話になる武藤徹先生と三浦基弘さんの編纂された『算数・数学用語事典』(東京堂出版)で調べた。

それによるとquadrantとある。発音をカタカナでつけておくとクワドラントとでもなるのだろうか。


5月の俳句

2021-05-13 15:58:34 | 本と雑誌
昨年くらいから毎月子規の俳句を挙げている。

今月はこれである。

  二村の凧集まりし河原かな      子規    1896
  kites from two villages
       gathered
       at the riverbed  

カレンダーには五十崎の河原での写真が出ている。畳何十畳分の大凧のしゃしんである。凧には令和と元号が書かれている。



二つの書を購入した

2021-05-13 11:52:40 | 物理学
亀淵迪さんの『素粒子論の始まり』(日本評論社、2018)と『物理村の風景』(日本評論社、2020)とをようやく購入した。

まだどちらの本も読んではいないが、書下ろしの本ではなく、亀淵さんがほうぼうの雑誌に書かれたエッセイを集めたものらしい。

雑誌等読んだことのある、エッセイもあるようだ。しかし、亀淵さんは文章もうまくて、楽しみな本を読めるわけだ。

昔みたいなわくわく感は私自身に少なくなっているけれども、それでもかなり大きな期待感がある。

また読んで面白いテーマがあれば、ここで述べよう。

Fussbalzitate (10.5.2021)

2021-05-12 11:51:43 | 本と雑誌
NHKのEテレのドイツ語講座「旅するためのドイツ語」でのFussbalzitate (10.5.2021)である。

メモをしたのだが、それがなくなったので記憶で再現する。

 Nach dem Spiel ist vor dem Spiel.     (Sepp Herberger)

  試合の後というのは、試合の前である。

ゲームが終わったら、つぎのゲームのことを考えておかなくてはいけないということだろうか。ドイツチームをサッカーの世界選手権において、優勝に導いた名コーチの名言らしい。

もしメモがでてきたら、間違えていた箇所があれば、そのときに修正する。

(2021.5.13付記) 案の定のこと、名言を言った人の名前とか間違えていた。


コロナ・ワクチンの効用

2021-05-11 13:05:02 | 本と雑誌
昨日、コロナ・ワクチンの接種の予約をインターネットでした。それはよいのだが、診療所とか病院とかでの接種の日がなかなかあいていないことが問題であっ
た。

妻がいつも毎月みてもらっている、愛媛生協病院では7月後半まで接種ができそうになかったので、結局私のかかりつけの診療所に予約をした。

大きな病院では接種の申請数が多くて、すぐに接種できる数がなくなってしまったらしい。

だから、7月中に高齢者に限っては接種を完了したいなどというのは政治家の文句であって、実際は困難なことであるらしい。

それに昨日子どもが電話を妻にかけてきて、言うには2回目の接種の2週間後になってようやく接種の効果が現れて免疫ができるのだそうだ。

そうだとすれば、65歳以上の人がほぼ免疫をもつのはいつかというと8月をすぎるであろう。

いやこれはワクチンが効用がないということではない。効用があるのだが、効用が現れるのはだいぶん先だということである。

さてはて、それまで私たちは生き伸びられるのだろうか。