一般の人々への数学教育と私たち専門家への数学教育とは違うことを初めて感じた。
私は数学教育協議会の主張に共鳴して下部団体である、愛媛県数学教育協議会にかなり長い間所属していた。
その活動の中で微分積分などの一般化などの活動を見てきた。また水道方式とかの話も聞いたリ、読んだりした。その中にあまり難しいことは教えないという箇所があるのにちょっと違和感を感じていた。
それがどうしてかはわからなかったが、一般市民に対する数学教育と専門家に対する数学教育とは同じではないという認識にようやく至った。専門家としては進んでもっと難しいことも学ばなければならないことも多いということである。
だが、一般市民として人生を過ごされる人々にあまりに難しいことまでを教えたり、学んだりする必要がない(注)。こういうことは当然のことではあるが、専門家と一般市民との間にそのギャップがあるのだ。そのことに気がつくのがもう人生の終局に至った現在であることは遅すぎたであろう。
なぜこんな自明なことを思いつかなかったのか不明を恥じるだけであるが、実は最近物理学者の江沢洋さんが亡くなったので、『江沢洋選集』(日本評論社)を拾い読みしていたときに、彼の推薦する数学書が、寺澤寛一『自然科学者のための数学概論』、高木貞治『解析概論』(以上は岩波書店)、溝畑茂『数学解析』(朝倉書店)等であることを知ったからである。いずれの本も骨のあるいい本である。
江沢さんは専門家として物理学や工学を学ぶ者を対象にしており、一般市民を対象にして話をしていないということである。
(注)一般市民として生きる人々が大切ではないというつもりではない。大多数の人々は専門家ではなく一般市民として生きるのであろう。一般市民のための数学となれば、それは自ずから私たち専門家の学ぶ数学とは違うのは当然だろうか。
またある特定分野の専門家ではあっても数学とかその応用分野の専門家でない人々は、数学に関して言えば、ここでいう一般市民であろう。