物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

今日も短歌の翻訳を紹介

2024-02-14 10:25:02 | 本と雑誌
今日も短歌の翻訳を紹介します。

西行といえば、歌人として現代にいたるも有名な方である。その西行の短歌ととして有名な

 願わくは 花の下にて 春死なむ
 そのきさらぎの 望月のころ   西行

である。

これの英訳は朝日新聞の2月11日号に出ていた。ピーター・マクミランさんの訳である。

 It is my wish that I may die
 around the same time
   as the Buddha passed away
   when the moon is full
   and under a cherry tree in full bloom.

ちょっと英訳が長くて、元の短歌の簡潔さを損ねているような気もするが、
それだけ訳のほうは意味がはっきりしている。

 around the time
   when the moon is full
   and under a cherry tree in full bloom.

でいいような気もするのだが、釈迦が入滅されたその同じときというのはちょっと西行さん、欲張りすぎの気味があるような気もするのだが。





2月の子規の俳句

2024-02-13 12:15:56 | 本と雑誌
2月の子規の俳句を紹介しておこう。

  きさらぎに桜驚く暑さかな  子規
 
  in February
       surprising cherry blossoms
       by the warmth                                    Shiki  1890

如月(きさらぎ)は2月だが、たぶん子規のこの俳句を詠んだ頃は旧暦だろうから、いまでいうと3月になろうかと思われる。

写真がこのブログではつけられないのが、残念だが、カレンダーの写真では、桜の木の枝に来た小鳥の口が半開きに開いているから、何かさえずっているのであろう。

この写真の桜は少しもこもこしているおり、桜の花びらが赤みがかっているよだから最近はやりの「陽光」桜なのかもしれない。

心の上では進展だが、

2024-02-12 12:21:08 | 数学
心の上では進展だが、実際には進んでいない。しかし、この心の上だけでも進展したのがうれしい。

これは10年越しの課題が解決しつつあるという感じがしてきているからである。腰を落ち着けてしっかり取り組まなかったお前がわるいというのが妻の言い分のようだが、彼女もあからさまには批判はしていない。

そうではなくて、妻などは私が四元数の本の翻訳に集中する時期をのがして、無為に時を過ごしてしまったという見方をしている。はっきりとは言わないでそういう冷めた見方をしているということだ。これはしかたがない。

だが、私に言わせれば、そういうやむにやまれぬ事態には至っていなかったのではないかと思っている。

第6章の6.3節がどうも唐突で前後の接続がわるいと思って来たし、実際そうなのだが、なかなかどうしたらいいかわからなかった。いまでもよくわかっているわけではないが、なんとかそのところを回避する道を見つけたのではないかと思っている。

100%の満足ではないが、70%くらいの満足ではなかろうか。最上ではないのはわかっているが、私に残された時間はもう無限ではないのだから許されるであろうか。

私の先生にあたる、Sさんにその草稿を送って安心させてあげねばなるまい。草稿はまだ準備中ではあるのだが。方向が見えたということの証を。


終わりがなかなか見えない

2024-02-10 12:51:37 | 数学
終わりがなかなか見えない。

昨日も、少しは作業したのだが、なかなか終着点は見えてこない。

終わりに近づきつつあるのだとは思うのだが、そういう実感がわかない。むしろ終わりから遠ざかるような感じがするから不思議だ。

線型代数の一般論からすこしベクトルとしての四元数に話が入って来ているのに、である。まあ課題は無限にあるわけではないからいつかは終わるのだろう。

先日も書いたように線形代数のテクストには四元数とか複素数をベクトルとして見るという話はほとんど書かれていない。例として挙げてある本もあまりない。皆無ではない。梶原健『線形代数のコツ』(共立出版)には少しだけ書かれている。






ストラングの線形代数の書籍

2024-02-09 11:16:29 | 数学
ストラングの線形代数の書籍が高価なので比較的安く古本で売ってないかと日本の古本屋で探したが、そういう書はどれも売ってなかった。

ということは日本人の読者はストラングの本を購入してちゃんと読んでいるらしい。読むのを諦めたら、古本屋に出るのだろうが、また古本市に出てもやはり高価らしい。

これでは普通の書店で購入するしかなさそうだ。もっとも安い方の本でも5,600円の定価がついている。高い方の本は9,000円くらいの値段である。

これが世界で90万部売れた数学書である。英語の本を最近購入したのだが、10,000円近い値段である。どうやってこの支払いをしたらいいのだろうといま頭をひねっている。妻に知られたら、離婚を言い出されるかもしれないような恐れがある本である。

家庭争議が起きそうだったので、私の虎の子の預金口座から2万円を引き出して妻に渡しておいた。おかげで機嫌はわるくなかった。やれやれ。



なかなか目的に達しないが、

2024-02-08 12:06:49 | 数学
なかなか目的に達しないが、昨日も精一杯の努力はした。

ベクトルとしての四元数について書いている。ポントリャーギンが彼の著書『数概念の拡張』(森北出版)でかなり詳しく書いているのだが、私はフォーマルな形式ではなく、できるだけインフォ―マルな形式で書きたいと思っている。

それでベクトルとしての複素数から類推を働かして、四元数をべクトルとして考えるという風に論を進めているのだが、なかなか終わりが見えない。それと以前に書いた内容との接続というか重複もないようにしなくてはならない。

前にも不十分ではあったかもしれないが、結構、自分としてはそのイメージを展開していたつもりである。

査読者のKさんには四元数の直交性についてふれられていないと注意を受けたが、十分注意して読んでもらえば、まったく書いてなかったわけではない。しかし、不十分ではあったろうが。

もっとも複素数や四元数をベクトルとして説明するということは、あまり線形代数のどの本にも書かれていないような気がする。そこら辺は私が腕を振うことのできる余地があるのかもしれない。

現在の状況は苦しいが、その苦しみはある種の楽しみでもあるという微妙な状況である。



2次不等式の解き方

2024-02-07 12:10:49 | 数学
2次不等式の解き方を忘れていたことに気がついた。

それで実際に昔やっていた方法でやってみた。それでようやく2次不等式の解法を思い出したという訳である。高校で十分に練習して、その解法を「死ぬまで忘れない」とたかをくくっていたが、やはりそうではなかった。

実はあるよく知られた結果を「はたして本当か」と信用できなくなったというのが、その2次不等式の解き方を復習した原因である。

解き方をきちんと思い出せないなら、昔学んだ学習参考書を参照しなくてはならないかなとまで思い詰めていた。だが、そこまでする必要はなかった。

「2次式を因数分解してその符号を調べる」ということを紙に書いてみた。まるで中学生か高校生のように。そのやり方までは忘れていなかった。やれやれ。

Cauchy-Schwarzの不等式を導くときにこの2次不等式の解法が必要だったのである。





2時間遅れのスタート

2024-02-06 14:13:00 | 本と雑誌
午前中は松山市の特定検診で生協病院に行っていた。鼻から入れる内視鏡で胃の検査もしてもらった。

この検査に時間がもっとかかると思ったが、それほどかからずいつものごとくの胃の状態であった。

他の細かな結果は後日教えてくれるとかである。心配な病気がないわけではないが、年のわりには元気で健康であることは変わりがない。


線形代数の書は日本にどれくらいある?

2024-02-05 11:01:30 | 科学・技術
先日、E大学のOPACで線形代数の語が入った書を調べたらたくさん出てきた。皆さんどれくらいの数あったと思いますか。

「40冊くらいだと思う」というのが標準的な答えでしょうか。これでも十分多いのですが、答えは400冊を越えるです。

もちろん、これは必ずしも一般の線形代数のテクストではないのだが、書名に一部でも線形代数とかが入っているということもあります。それにしてもこれだけ多い国は世界中でもないでしょう。

日本の国の文化の程度が高いことの証でもあるでしょう。そういう文化の日本における特異性が役立つといいのだがと思います。

最近では日本の経済とか国勢とかの衰えが言われます。これはたぶん事実でしょう。そして経済だけでなく、科学力だとか技術力だとかのいまの現状からの回復は絶対に必要だと思います。

だが、その基礎には線形代数の書がこれだけ多いというような日本の文化の特性があり、そういうことから日本が経済力だけではなく、科学・技術力も政治力も回復できるだけの潜在的能力をもっているはずだとの自信をもつことができます。

もっとも、これが単なる過信であってはなりません。そうではなくて、もっと地道な努力をすることが必要でしょう。その努力は絶対必要なことですが、そのためにも過信ではない、自信を失わないことが望まれます。

昨日少し頑張ったから

2024-02-03 17:44:23 | 数学
昨日少し頑張ったから、また今日は骨休み。とはいっても休んでいるわけではない。

友人の投稿してくれ論文原稿についての修正のお願いのメールを書いていた。それだけではなく、昨夜、三角関数の余弦定理と正弦定理の知らなかった新しい導き方を検算していた。

これは『3Dグラフィックス数学』(ボーンデジタル)の付録Bにある「三角関数の公式」にある導出法である。

他のテクストを調べたら、結果として同じようなことをかいたテクストがあったが、図がちょっと印象的な図だったので、おもしろかった。

もっとも説明の中に「同様に」と書かれたところが、ちょっと読んでも理解できなかったので、少しペンを持って計算してみようとしたら、わかった。昨夜遅くそのメモをつくっておいた。

これで今日はどうしても、もう一度余弦定理と正弦定理を私のもっている本でその導出を調べてみたくなった。それで以前に私の書いた余弦定理の導出法を書いた数学エッセイを探すことを午前と午後の大部分を費やした。

まだ、前に書いたエッセイは見つけられていない。特に図が入ったlatexの原稿は見つけられていない。残念である。余弦定理とか正弦定理はかならず図が必要であるから。

余弦定理から正弦定理を導いたり、逆に正弦定理から余弦定理を導いたりすることもできる。そういうエッセイも以前に書いたはずだが、どこかにlatexの原稿は残っているはずなのに、どこにあるかわからない。


昨日はさぼったので、

2024-02-02 21:06:36 | 数学
昨日はさぼったので、今日は少し昨日よりはがんばってみた。とはいうもののぺージにして2ページほどの入力にしか過ぎない。

もっとも、ようやくベクトル空間の公理の入力を終わり、計量ベクトル空間の公理を入力したにすぎない。

距離の概念である、ベクトルのノルムについての入力は明日以降に持ち越しとなった。もっともこれでもだんだん目的の直交補空間に近づいてきている。

四元数のつくるベクトル空間に直交性を導入して、4次元のベクトル空間のうちの四元数の実部のつくる空間と虚部のつくるベクトル空間とが直交しているというのが説明したいことである。

というかこのことを直観的に説明をしたのが、私の本の第6章の6.3節であった(注)。

だが、これをあまりに急に行ったために査読者からもともとベクトル空間で前もって定義しておくべきだったベクトルの直交性についての議論が欠けていた。これを鋭く査読者に指摘されたのであった。

しかし、もうそのときには本の原稿はすでに編集者の手にわたっており、それにどのように修正したらいいかはそのときには私には見当もつかなかった。それでしかたなく、補注の形で査読者の疑問に答えるという形式をとって補注を大幅につけて第12章とした。したがって、当該の第6章は手つかずのそのままだった。

しかし、この措置は臨時の措置であり、根本的な手直しが必要であった。

幸いなことに、アマゾンコムの書評ではこの応急措置に対して大きな批判は出ていなかった。しかし、批判が出ようと出まいとあまりよくないことは確かである。それがほぼ十年を経過してようやくその溝を埋めるようなことができつつある。

もっともそのためにこの部分の記述が標準的なテクストに似たものとなってしまったことは否めない。いくらかでも独自性を出せるかどうか、いまのところまだわからない。

いま感じていることは線形代数でのベクトルはかなり抽象的であるが、一方でベクトル解析でのベクトルはかなり具体的であるという感じがしている。同じものを対象にはしているのだが。

それとベクトルの歴史的な発展とか線形代数におけるべクトル空間におけるベクトルとベクトル解析におけるべクトルとの関係を論じたものがあまりないような気がする。

科目内容がちがうだからの当然かもしれないが、そういうギャップを感じている。

(注)ここまで書いて、数行上に書いたことが本当だったか疑わしくなってきた。いまのところこのまま残しておくが、数日したらまちがいに気がついて消去しなければならないかもしれない。

またまた足踏みしている

2024-02-02 13:10:28 | 数学
またまた足踏みしている。2,3日まともに仕事をしたのに昨日は他の仕事にうつつを抜かした。

これは友人の数学・物理通信への投稿原稿を「眺めた」のである。「読んだとは言わない」とはこの投稿者が自嘲気味にこの論文の冒頭に書いている文句である。

この友人はlateを使わないらしくワ-ドでの投稿である。それはpdfの文書にいまではできるので問題はないのだが、ちょっとフォントが小さすぎるようなのと式中の数式の文字が立体になっているところが気になる。

そういうことを友人に伝えねばならないだろうか。

またまた別の考えが起こった 

2024-02-01 12:01:23 | 数学
またまた別の考えが起こった。これは『四元数の発見』の第6章の変更の可能性についての考えである。

今書き換えていたのは、ベクトル空間の公理とか計量ベクトル空間の公理とかを述べてその観点から四元数の認識を深めた記述をしたいというものであった。

それもわるくはないのだが、ベクトルの概念の四元数からの発生として、Gibbsのベクトルのスカラ―積やベクトル積の導入を述べて、それからもう一度、複素数とか四元数をベクトルと考えるという方向も説明としてはありそうだとの考えである。

昨日までそういうことを考えないで、線形代数の方向で記述を進めるつもりであった。だが、昨夜そうではない別の方向を思いついた。日本語で書かれた『四元数の発見』の改訂としてはその方がよさそうに思われる。だが、英語の書として出版するのならば、どうだろうかということである。

日本語の本(注)はあくまで四元数の初心者に四元数について述べるという感覚が私には強い。だから記述はできるだけ、かみ砕いて初心者に寄り添う姿勢があるほうがいい。だが、英語の書となるとある程度専門家のことを意識しないといけないだろう。

ただ私はまったく専門家のための本とはしたくはない。もちろん専門家もそこからいくらか学ぶことのできる本であることは望ましいとは思うのだが。

(注)これは私の書いた本という意味である。日本語で書かれた他の四元数の本を意味しない。