ニュースサイト宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が衆参両院と提出予定法案を網羅して書いています。業界内で圧倒的ナンバー1。

【民主的な党名選び】4年前の党名決定「立憲民主党か民進党か」で、赤松広隆・福山哲郎「民進でいいや、と降りちゃった」岡田克也さん明かす

2020年07月27日 20時50分10秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして
[写真]当時の民進党本部、4年前2016年4月22日、宮崎信行撮影。

 4年前の、「立憲民主党」か「民進党」かの新党名の「民主的な決定」の際に、小委員会の赤松広隆さん、福山哲郎さんらが「結論が出るまで部屋を出るな、という感じで議論をした」のに、赤松さんが意外と早く「民進でいいや」と語り、立憲民主党ではなく民進党という名前になったことが改めて分かりました。これは6日前、2020年7月21日(火)の岡田克也さんが記者懇談会で語りました。

 4年前は、維新の党の松野頼久代表は「民主党でもいい」という考え方だったと思いますが、江田憲司さんが「自分は民主党という政党に入ったことがない」などとして、松野代表として「党名変更」を合併の条件に。民主党の岡田克也代表・枝野幸男幹事長も、松野さんがひっしに維新の党をまとめてくれていることに配慮して、「民主的な決定」に舵を切りました。

 インターネットで党名候補を募集。その4年前に分裂した民主党勢力でも、内輪では盛り上がり、ネットで応募した党名候補をSNSなどで明かす動きが出ました。その結果、「立憲民主党」「民進党」の2案に。内輪の盛り上がりから一転して、この2案を小選挙区の情勢分析に使うシステムを使い、「立憲民主党と民進党のどちらがいいですか」とランダムに電話。その結果、「民進党」がいい、という意外な結果となりました。

 この後、民主党から赤松広隆さん、福山哲郎さん、維新の党から江田憲司さん、柿沢未途さんの4名が小委員会を設置。上述の通り、「結論が出るまで部屋を出るなという感じで」議論したものの、事前の数字が民進党優勢のため、赤松さんが匙を投げてしまった、ようです。

 岡田さんから聞いた話ですが、松野さんからも手続きの経緯を聞いていますから、おおむね正しい話だと自負します。


[写真]民進党結党大会、2016年3月27日、品川プリンスホテル、宮崎信行撮影。

 民進党に関しては、岡田代表、松野(前)代表とも、私が胸倉をつかまれたことがある両代表による新党結成ということで、政治記者史上に残る有力記者となり、記者会見でも第一質問者に参議院議員(現・大学教授)にあててもらいました。しかし、1年半で崩壊してしまいました。

 なお、維新の党の解党では、松野代表が直前に呼び寄せた腹心のK事務局長(松野議員元政策担当秘書)とともに、所属議員に均等に分配し、端数だけ国庫返納しました。日本の政党史上に残る誠実で清新なふるまい。まさに細川護熙元首相の一番弟子。その実績から民進党でも国会対策委員長を任されましたが、臨時国会初日に解散されてしまいました。上述の経緯は、地元・熊本1区では、それは知っている人も関心がある人もごく僅少ですから、前議員となっています。

 その解散直後に、赤松さんが枝野さんに「枝野立て」と呼びかけ、結党した政党の名前が「立憲民主党」。初代最高顧問の赤松さんが立憲民主党にこだわっているとされています。

 教訓として前回の「民主的な党名選び」は、わずか1年半の歴史に終わってしまったのが実態のようです。

 岡田さんは6日前の記者懇で、「この週末にはなんらかの合意に達してほしい」と語りましたが、その時期は既に過ぎました。先週現役東大生と差し向かいで長時間話しましたが、政権交代ある政治を望んでいるとのことで、勇気がわきました。新党についても、私も生暖かく取材を続けてまいります。ご期待ください。

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「枝野幸男」が議員バッジをしない理由「センセイと呼ばせない」、立憲パートナーズ「政党のハードルをゼロにしたく東京・埼玉一部では機能も、おいてけぼり感があるのは事実だ」

2019年09月30日 19時11分04秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして
[写真]議員バッジをつけずに記者会見する枝野幸男・立憲民主党代表、きょう2019年9月30日(月)、衆議院本館第十六控室で、宮崎信行撮影。

●枝野さんが議員バッジを極力しないのは政治改革日本新党マインド

 枝野幸男・立憲民主党代表は、衆議院の本会議・委員会以外では議員バッジをほとんどつけない理由を問われ、

 「(1993年の政治改革選挙で)日本新党で初当選させていただいた、あのときに、多くの人が「センセイと呼ばせない」とおっしゃり、「議員バッジは必要なときしかつけない」という行動をなさっていた」

 とし、枝野さんが今でも議員バッジをつけないのは「自然体です」と語りました。

 きょう令和元年2019年9月30日(月)、定期党大会(参議院議員会館の1階講堂で開催)の後の月例記者会見で答えました。

●「センセイと呼ばないで」「途中で変わってしまった人もいる」

 枝野さんは1993年初当選の人のなかでは「途中で変わってしまった人もいる」とし、「私はセンセイと呼ばないでくださいというのは地元ではかなり徹底している。但し、役所のみなさんは「センセイ」と呼ばないと怒る上司がいるようなので、あまりこだわり過ぎないようにしている」としました。

 枝野さんは「議員バッジをなくすといけないので、本会議があるときは、そのまま夕方までつけていたな、ということもある」とし、上述の通り「自然体です」と述べました。

●党大会、ことしは立憲パートナーズや地方議員が参加できず

 前年は「党大会兼フェス」として開きましたが、ことしは党大会として、国会議員、支部長、県連合代表者のみで開催し、地方議員、立憲パートナーズは参加できませんでした。

 この件で質問が出ました。

●「政党のハードルをゼロにし利用してもらいたい」

 枝野さんは「政党というものが一般の有権者のみなさんから見て、ハードルの高い存在に見えてきている。そのハードルを限りなくゼロに近づけたい」との思いが「出発点だ」と語りました。枝野さんは「有権者のみなさんが気軽に政党を利用してもらいたい」と強調。

●「他党の人も入っている」と警戒も「審査はしない」

 しかし、「他党の人が入ってきている」と警戒感を示しながらも、引き続き「審査はしない」としました。

 パートナーズ制度に不満があるとの記者の指摘に対して、枝野さんは「熱心にご支援いただいたり、ボトムアップの政策作りに参加したり、成功しているところがある」と強調。

●「パートナーズにおいてけぼり感」も、東京・埼玉での実績を強調

 しかし、「おいてけぼり感を感じているパートナーズの人も多い」と認めました。

 枝野さんは地域により濃淡があるとしました。具体例として、「東京の中の一部や、埼玉県は私自身が代表なのでなかなかできないが、高木錬太郎議員のところなどでは、一定程度できている」と評価しました。埼玉県については議員のいない地域でも憲法カフェやパートナーズ集会をしているとしながらも、埼玉西部ではできていないとしました。

立憲パートナーズに「おいてけぼり感があるのは事実」枝野幸男代表 20190930 宮崎信行撮影




[写真]衆議院側の「噴泉」、きょう、宮崎信行撮影。
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大串博志さんが立憲民主党に入党 大蔵官僚は結党以来初めて

2019年09月24日 19時30分00秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして
[写真]大串博志さん、ことし2019年2月、長野市で、宮崎信行撮影。

 大串博志さんが、立憲民主党の枝野幸男代表に入党届を出しました。

 大蔵官僚出身者の入党は、立憲民主党結党以来初めて。
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国民民主党と自由党が合併へ、玉木雄一郎代表が認める、小沢一郎代表ら個別入党へ

2019年01月22日 19時43分59秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

[写真]国民民主党の玉木雄一郎代表、自由党の川島智太郎・事務総長、自由党の小沢一郎代表ら、きょねん2018年12月28日(仕事納め日)、国民民主党本部で宮崎信行が撮影。

 国民民主党と自由党が合併することになりました。

 国民民主党の玉木雄一郎代表が、筆者・宮崎信行の取材に答え、こんや平成31年2019年1月22日(火)、小沢一郎さんと会ったと認めました。来週月曜日よりも前に、「合併」が正式決定する見通し。自由党(2012年結党)が解散して、国会議員が国民民主党(1996年結党)に個別に入党する方式をとるとみられます。

 上の写真のように、昨年の仕事納めの12月28日に小沢代表が離党後初めて、「三宅坂ビル」を訪れ、4月第3日曜日の「同党前幹事長の玉城デニー知事の後継者となる衆沖縄3区の候補者の調整について」玉木さんから全権委任をとりつけ、両者が急接近していました。

小沢一郎代表が玉木雄一郎代表を訪ねる 国民・自由党首会談、新進党解党21年目のきょうに 20181228 宮崎信行 撮影

  また、報道では、玉木代表が「小沢一郎幹事長」の構想を持っているのではないか、との観測も浮上しています。

 国民の軍資金に、自由党の国会議員の議席分の政党交付金が上乗せされる(税金の総額はまったく変わらない)ことになりそうです。

 まずは、東京選挙区の山本太郎さんや、長野選挙区の羽田雄一郎さんらが必勝を期す、第25回参院選で連携していくことになりそうです。


[写真]宮崎信行(左)、国民民主党の玉木雄一郎代表、自由党の小沢一郎代表、国民民主党の事務局長ら、きょねん2018年12月28日、国民民主党本部で宮崎信行が撮影。上掲の写真と同日同所。

 但し、国民民主党は電力総連・電機連合の存在感が前身政党よりも割合が増しており、平野博文幹事長(電機連合組織内)が、「電力総連会長お誕生日おめでとうございます」とツイートするところまで盛り上がっています。対する、自由党は東北出身議員が多く山本太郎さんも反原発を訴えているところから、ここの政策調整が難航するかもしれません。

 参議院自由党は、政治家にしては仲良くやっていたようですが、社民党との統一会派の今後についてはまだ情報はありません。

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小沢一郎さん、たぶん8年ぶりに国民民主党本部に玉木雄一郎代表を訪れる、【野党共闘】自由党代表として、新進党解党21年目の今日に

2018年12月28日 12時59分54秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

https://y小沢一郎代表が玉木雄一郎代表を訪ねる 国民・自由党首会談、新進党解党21年目のきょうに 20181228 宮崎信行 撮影 outu.be/jgpTaUFRllc



小沢一郎さんが国民民主党本部ビルを訪れ、玉木さんに応援を要請。玉城デニー知事後継の沖縄3区擁立をあす発表する、男性ジャーナリストへの支援を要請。野党共闘ができそうです。来年が楽しみです。

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平成初期の政治青年の憧れ、簗瀬進さんにお招きいただいて 政治改革 1996民主党 2009年政権交代

2018年12月12日 18時12分00秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

[写真]簗瀬進さん(右)、昭和音楽大学内「イルカンビエッロ」で。

 政治改革ーーあの「熱病のよう」と言われた、平成最大の政治ムーブメント。平成が終わるにあたって振り返ると、経済バブルが弾けているのにまだ気づいていなかった時代に、ジュリアナ東京のようなバブルの残り香だったのかもしれませんが、選挙による政権交代が2回ないし3回成功して、平成が終わります。

 平成初期、政治青年のあこがれだった、簗瀬進さんにお招きいただき、政治改革時代のお話を伺いました。ファンだったアイドル歌手にお招きいただいたようなもので、ポーカーフェイス気取りの私も紅潮した表情でツーショット。私に限っては、よい平成のフィナーレを迎えられそうです。

 簗瀬進さんは、昭和音楽大学学長で、憲法を教えています。教員免許をとりたい学生には必修なので、自ら教科書「音大生のための憲法講義15講」(共栄書房)を執筆し、パワーポイントを作成して、教鞭をとっているそうです。

 政治改革を実現する若手議員の会が、1986年初当選の石破茂さんと、1990年初当選の渡瀬憲明さんの共同代表だったことについては、「渡海紀三朗さんが石破さんを推していた」のと「渡瀬さんは同期の中では最年長で、政治経験も長かった」のが理由だとしました。

 1993年6月14日に、石破さん、岡田克也さん、岩屋毅さんらと宮澤喜一首相・自民党総裁私邸に乗り込んだのは「薩摩藩士のような気持ちだった」とし、石破さんが「自民党臨時両院議員総会を開いてほしい」というのは口実で、政治改革についての世論の盛り上がりを活用して、政治改革を実現させたいとの思いだった、と。また、この「討ち入り」の際、事前に連絡を受けていたはずの宮澤首相が「おやおやこれはみなさんどうしました?」とお惚けをみせたのは「首相ならそういうしかない」と事実だとし、隠れ武闘派の宮澤さんが「なんならここでやろうか」と謎の発言をしたのも事実で、「やる」とは議論をやるという意味だったとしました。宮澤邸のソファで総理を囲む形で話したとしました。

 
[画像]岡田克也さん(背中)、浜田幸一さん(中央)、簗瀬進さん(右から2人目)、増子輝彦さんら、フジテレビさんのニュース映像から。

 6月15日の自民党本部内臨時総務会封鎖では、現地集合。石破共同代表には、雑踏から離れて、エレベーターホールで最後のお願いをしてもらい、簗瀬さんは、「当時体重が100キログラム以上あった」(ご本人)とのことで、さほど広くない自民党会議室のドアを封鎖する役割をしたとのことでした。

 その後、政治改革を旗印にした新党を強調する簗瀬さんと、四十日抗争のように自民党の政治体質刷新を求める運動にしようという考え方が両立しましたが、簗瀬さんが押し切り、新党名を「さきがけ」と提案。とっさに井出正一さんが「私の後援会と同じ名前だ!」と合いの手を入れたので、武村正義さんがそこで最終決定。6月18日、簗瀬さんは、宮澤内閣不信任案の採決直前に、自民党河本派の同期である山本有二さんに議員会館内の部屋に招かれると、そこには、同派閥の先輩、大島理森さんが居て、他の同期議員が「しめろ!」と言うと秘書が「ガチャ!」と鍵を閉めたとのこと。その同期議員の「しめろ!」の声は今でも忘れないとのこと。大島さんらの密室での説得にも関わらず、簗瀬さんは不信任案に賛成。その後、武村さんが代表して離党届を出しに行く際、羽田孜・改革フォーラム21代表から「やりやがったな」と言われたと武村さんから聞き、簗瀬さんらは新党結成の流れができたとのニュアンスを共有したそうです。

 新党さきがけ結党記者会見の午前中に、「魁」「先駆け」の2つのデザインをもらい、「魁」のロゴマークを選び、記者会見に間に合わせたとのことでした。この作業は渡海紀三朗らとのぞんだそうです。

 自社さ政権では、NPO法制に汗をかきましたが、橋本龍太郎さんからストップが入り、さらに、田中秀征経済企画庁長官からもストップ。

 1996年民主党結党では、「自社さ」のうち、さきがけと社会党を統合した新党を主張する人もいたようですが、簗瀬さんらは、社会党の左翼を切り捨てた「排除の論理」でなければならないと主張したとのこと。排除の倫理は違う意味合いで広まったとのことでした。

 1996年の総選挙は、最大与党・自民党、最大野党・新進党、新党・民主党でみつどもえのなか、与党・自民党が勝った小選挙区も多くありました。私は簗瀬さんに、当時の新進党をどのようにとらえていたのか聞きました。簗瀬さんら民主党は新進党について、「小沢一郎さんが憲法9条第2項の改正などを考えている」ととらえていたとのこと。私が、新生党・新進党ムラに居た時代に、小沢先生が憲法9条第2項改正だとか、普通の国といった言葉を口頭で発した記憶が無い、と私が強調すると、簗瀬先生もその後、小沢佐重喜さん(日米安全保障条約の衆議院での審査特別委員長)の考え方同様に、小沢一郎さんは平和を意識している人だと気づいたとのことでした。永野茂門元法相(元陸上自衛隊幕僚長)や田村秀昭参議院議員(航空自衛隊)、月原茂皓衆議院議員(背広)ら自衛隊関係議員と防衛利権を独占していた新生党ですが、十数年後、秘書らも「あれはどうしたっけ?」「すっかりなくなりましたね。野党だからでしょう」と会話するほど、防衛利権はきれいさっぱり野党・小沢一郎さんの周りから消え去ったとお話しすると、簗瀬先生もあっけにとられたようでした。

 1996年民主党の屋台骨は、麻布十番の根城で、簗瀬さん、五十嵐ふみひこさん、海江田万里さんらと練ったものですが、自らの議席を失い、仙谷由人さんに引き継ぎましたが、仙谷さんからの連絡は無しのつぶて。

 鳩山内閣では、「簗瀬法相」を予想する声がありました。簗瀬さんは、ねじれ国会の、参議院民主党国会対策委員長をしました。簗瀬さんは平野博文官房長官内定者に、政権交代後は、最初の予算案を確実に成立させることが大事で、参議院予算委員長が自分に課せられた最大の役目だと強調。成立しましたが、直後に、簗瀬さんが議席を失ってしまいましたので、簗瀬大臣を見ることはありませんでした。残念です。

 「空母ではない多用途なんちゃら護衛艦」を主張する岩屋毅・現防衛大臣の向うをはるわけではないでしょうが、簗瀬学長は教員免許で必修となる憲法学を講義中。上述の教科書では、その「第5講」で「2014年7月1日の閣議決定で従来の憲法解釈を変更した集団的自衛権は自国への攻撃が無くても他国を攻撃することができる立憲主義の危機」(要約)と喝破。とはいえ、「職業の自由を最初に主張した音楽家は?」「答え・モーツアルト」というように、コラム満載で、音大生の心から平和を実現したいとのこと。政治よりも、人づくりの方が今は楽しいとのことでした。

 簗瀬進さんと船田元さんが宇都宮、栃木1区だから、枝野幸男青年が、大宮・現埼玉5区に落下傘して出馬したというのは有名な話です。その枝野代表には、立憲民主党結党直後に、「音大生のための憲法講義15講」を贈り、電話で話したとのこと。さて、枝野代表の心には、簗瀬さんの思いは伝わっているのでしょうか。

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1年前の記事)民進党の郡和子さんが、安住淳宮城県連会長の陣頭指揮で仙台市長に当選

2018年07月23日 20時03分26秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして
 
【7・23仙台ショック】民共自社4党連携「郡和子新市長」で2連勝、昨夏第24回参院選の宮城全県区51%に続く、民進党内で安住淳県連代表ら「4党連携」発言力増大へ
[写真]郡和子さん(左端)や、安住淳・民進党宮城県連代表、共産党の高橋千鶴子さん(比例東北)ら、野党4党連連携の当事者ら、昨夏の第24回参院選、日本共産党の機関紙「赤旗」ホームペー......
 

 

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羽田雄一郎役員室長で「国民民主党」船出、玉木雄一郎代表らの記者会見司会 私も質問しました!

2018年05月07日 18時53分22秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

 羽田雄一郎役員室長で、政権交代可能な、非自民・保守政党「国民民主党」が船出をしました。

 最初の記者会見で、私・宮崎信行も質問し、さっそく「国民民主党」新ホームページにそのやりとりが紹介されました。

 記者会見では、私も質問しました。



 12分53秒付近から。安保法制の見直しについて。

 玉木代表から現実的な回答を聞き出しました。

国民民主党記者会見でのやりとり。

国民民主党ホームページから抜粋引用はじめ]

【司会・羽田役員室長】
 それでは国民民主党設立大会における、代表の記者会見を始めさせていただきたいと思います。
 始める前に、この後、地方自治体議員フォーラムのほうで代表ご挨拶等ございますので、短い会見になることをご承知いただきたいと思います。
 それでは、まず玉木共同代表よりよろしくお願いいたします。
(中略)

【フリーランス・宮崎記者】
 きょうスピーチの中では安保法制に関するご発言はなかったが、配付された基本政策では「違憲と指摘される部分を白紙撤回することを含め、必要な見直しを行う」と。両代表のお考えは大体わかっているかと思うが、「白紙撤回も含めた必要な見直し」というのはどのくらいの、例えばプロジェクトチームを設けて週1回開くような雰囲気には読めないが、具体的に今後の運営でどういった手続をとられていくか。

【玉木共同代表】
 これからの人事にもよりますが、特段変更なければ安全保障調査会で、当時民主党でやったような、北澤俊美先生がやった北澤調査会がありましたが、そこでまず我が党としての安全保障の基本政策をまとめたいと思います。
 安保法制については従来から違憲の疑いが指摘されているということなのですが、具体的には例えばホルムズ海峡のような地球の裏側まで行って、日本の国益に本当に関係しているのかなというところまで武力の行使ができるような書きぶりになっているところについては、やはり従来の憲法解釈からはみ出ているのではないのかということですから、そういった地球の裏側で武力行使ができないような歯止めをかけていくような法改正。あるいは、いわゆる新3要件と言われているような集団的自衛権を認めるようなものについて、はたしてあのような書き方でこれまでの憲法解釈と整合性がとれるのかどうか、これも疑問があります。こういったものについては、もう法施行されているので、基本的な考え方をまとめた上で、具体的な法改正案を検討していきたいと思っています。

[国民民主党ホームページから抜粋引用おわり]



[写真]国民民主党の最初の記者会見を行う、羽田雄一郎役員室長と、大塚耕平、玉木雄一郎両代表、東京・千代田区の「都市センターホテル」内会場、2018年5月7日、宮崎信行撮影。


以上です。



 3日前の、平成30年2018年5月4日は、田中角栄さん生誕100年ということで、新潟県で記念式典。私の日経新聞入社同期の現・大学教員、田中眞奈子さんも登場しました。

 あけて、きょう、7日(月)、羽田孜さんこと「愛国院大居士」(ご戒名・愛国院殿政道綏和孜誠大居士の喪が明けない中ですが、羽田雄一郎役員室長が続投することで、新党「国民民主党」が立ち上がりました。



 私も古いのですが、もっと古い、堀田喬カメラマンから、「宮崎さんは、創政会立ち上げには居た?」と軽くジャブを入れられてしまいました。1984年は私は10歳ですから、創政会は知りませんが、1992年改革フォーラム21、1993年新生党、1994年新進党、1998年第2次民主党、2016年民進党、と必ず羽田孜さん羽田雄一郎さんがいる真の政権交代可能な野党の結党は、全部見てきたことになります。で、その後、党は大きくなり、合計3回の選挙による政権交代(安倍自民党を含む)を実現したということになります。まあ、今後は定常経済になりますし、政権交代は15年に1回程度いいのではないでしょうか。

 だいぶ人数は減りましたが、「キングメーカー」よろしく、羽田役員室長がいろいろと電話をかけたりして、新党が出来ました。組織でいうと、家電メーカの労組は、羽田内閣当時は野党・社会党を応援していましたが、連合の統一成功により当時の「中立労連」から「電機連合」ということで、組織内参議院議員が参加しました。自動車総連は会長が来ていましたし、自動車総連は大臣経験がある元職まで来ていましたが、原発や車体課税では、国民の顔を見た政策が、政権を担当できる保守政党として求められます。

 玉木雄一郎・代表(大塚耕平・参議院議員と共同代表)は経済政策「プロジェクトABC」を提唱。AはAIによる成長で、それによって、ついてこれない人も、Basic income ベーシックインカムで最低保障をしっかり。そして、C、Community コミュニティーを保つ経済政策を打っていくようで、期待したいです。私も父も、長野から出てきて、東京で、今でいう「AI」当時でいう「NC」を売り出した最初の10人の1人ですが、熟練の旋盤工に「職を失った」と町で悪態をつかれたことはないそうです。儲かっていたころに博徒に監禁されたことはありますが、熟練の旋盤工さんも、単純なパンチカード入力でも、同じような月給を受けられたのが、NCだと思います。これは、今では、AIだと置き換えていいでしょう。単純労働で食べていければいいのであって、複雑労働が尊いなどというのは幻想です。

 立憲民主党の代表、幹事長が、そろって虹色の仮装をしてNHKがある代々木公園周辺をパレードする前日の姿に違和感を覚えました。政策実現はいいのですが、代表幹事長がそろって、虹色の仮装をして、家族の多様性を訴えることには、やがて持つ政権の安定性に問題があるのではないでしょうか。

 なので、北朝鮮と韓国の38度線のように、暫定的に引かれたと思っていたら、70年変わらなかった。そのような38度線が、立憲民主党、国民民主党の間に引かれるかもしれません。

 もちろん、私は、これで、全部などとは思っていません。

 岡田克也さんが、参加していないのです。無所属として、引き続き、立民と国民の糾合に力を尽くすことになります。

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国民民主党結党おめでとうございます。

2018年05月07日 13時09分45秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

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安倍首相に更迭された、山本庸幸・元内閣法制局長官、最高裁判所第二小法廷の裁判長として官房機密費の出納管理簿などの開示を認める

2018年01月19日 16時39分00秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

 民主党政権下で、内閣法制局長官をつとめたものの、政権交代により、安倍晋三首相が自称・限定的な、集団的自衛権を見直し、地球の裏側で戦争ができる解釈改憲をするために、外務省のフランス大使を法制局トップに据える異例の人事のために、最高裁判所の裁判官に「左遷」された、山本庸幸裁判官(昭和48年通産省入省)が、内閣官房機密費(報償費)に関する文書の一部開示を認める判決をだしたようです。報道(官房機密費の文書、一部開示認める 最高裁が初判断)されています。

 最高裁は、今月になり、最も政治的だとされる世襲の寺田長官(元法務省民事局長)が定年退職。新長官が就任しましたが、その次週に、他の職業裁判官が定年前の依願退職を求めるなど、異例づくめの展開となりました。

 報道によると、原告は市民団体「政治資金オンブズマン」。他の報道によると、大学教授の上脇博之さんが主導していると思います。この1次訴訟、2次訴訟、3次訴訟について、最高裁の判断が出ました。年予算おおむね12億から14億円のうち、官邸5階の官房長官室の金庫に入ったことを示す、「政策推進費受払簿」、月毎に集計し、おそらく内閣府・内閣官房出身の長官室職員がつけている出納管理簿、予算執行上おおまかな用途を集計した支払明細書の一部を情報公開法で、情報開示するよう、確定させた判決のようです。

 安倍内閣では、一部地方選挙の対策費につかわれているとの観測もあります。政権交代ある政治を実現するうえで、自民党主流派の一部や幹部間慮によりパラーバランスが崩れないよう、一定の透明性が必要だといえそうです。

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愛国院大居士に何か言うことはないか?平成29年、2017年大晦日、年末ではなく解散直後に野党解党の痛恨事

2017年12月31日 12時50分44秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

[写真]宮崎信行、2017年7月18日。

 このコラムでは、前原誠司さん、枝野幸男さん、近藤洋介さん、逢坂誠二さん、玉木雄一郎さんの5名を批判的に書いています。大晦日で、5名の先生方が反論できる時間が短いので、大晦日でも早めに投稿します。

 平成29年、2017年、大晦日です。

 今年は何があった年か、と言えば、羽田孜さんが亡くなった年。その一言につきます。国政選挙など2年に1回はやっています。

 「愛国院殿政道綏和孜誠大居士」。涙が出ましたよ。羽田さんの戒名です。羽田さんと私は同じ仏教の真言宗智山派が菩提寺ですので、輪廻転生の思想が強いようです。それが、「愛国院大居士」。まさにその人生の通りだし、翻って、愛国院大居士にふさわしい人は、政界に他に居ないように感じます。

 羽田内閣の最中に、前原誠司さんと枝野幸男さんが「民主の風」をつくり、政局が不安定化し、内閣不信任案提出の前に退陣、首班指名で村山内閣が出来てしまいました。ことし、前原誠司さんは、年末ではなく、解散直後という最悪のタイミングで最大野党を解党してしまいました。その後、最大野党党首となった枝野幸男さんは、政権交代よりも、リベラルの名のもとに、過半数に届かない、「1・5大政党(いっかにぶんのいち)」をめざすようです。一度裏切った者は二度裏切る。民主の風から23年、またしても、前原さん、枝野さんに二大政党を壊されてしまいました。なお、前原さんは、羽田さんの葬儀で、「1993年6月23日新生党結党」というべきところを「18日」と間違えていました。18日は宮澤解散当日です。

 私からも野党分裂をお詫びします。そして、新進党解党に比べれば、野党の惨状はまだマシかなと安どする年越しです。

 私は、総理大臣と話したこともあるし、最底辺の人とも生活してきました。よく「サラリーマン世帯出身だから貧しい人の気持ちが分かります」と言う人がいます。1990年代ならそういう言い方もあったでしょうが、下町の成功した商業者の家庭の方が、よっぽど底辺の人の出入りがあります。そして、仮に独立して成功しても、そのとたんに音信不通だった兄2人が舞い戻ってきて、たかられ、心労による癌で亡くなる。それが底辺の世界です。誰もが大学に行ける社会、対等な立場で議論する社会なんて、この日本に絶対にあり得ません。

 総理大臣から最底辺まで付き合った私に、一つ面白いことがありました。面白いということでもありませんが、岡田克也さんが最大野党党首だった1年半の間に、役員室長が2人居ました。一人は近藤洋介さんでこの方は落選しました。自民党の現職がかなり若い人ですので、小選挙区は厳しいかも。その近藤さんと政調会長代理を交代した、辻元清美さん。こちらは最大野党国会対策委員長という野党の扇の要で年越しです。もう大晦日で、年内に反論しづらいですから、なるべく控えますが、どうしても書かせてください。




 上は、2015年7月31日の、近藤洋介役員室長と、岡田克也ネクスト総理(最大野党代表)。筆者・宮崎信行撮影。今見ると、岡田さんは近藤さんをあまり信用していないように感じます。いつもそうですが、野田佳彦グループ花斉会の応援がないと、代表選に出られない岡田さんが、花斉会から派遣された近藤室長をあまり信用していないことが推測されます。




 そして、2015年12月17日、役員室長と政調会長代理を入れ替えることを発表する、今日現在の肩書でいえば、近藤前代議士と、辻元国会対策委員長。

 2016年、逢坂誠二さん、玉木雄一郎さんらが「代表選前倒し」という貧乏暇なしなプランを発信。そして、2016年7月、岡田代表が辞め、花斉会から蓮舫代表が就任しました。その、蓮舫前代表は、すでに離党し、他の党に行きました。

 ちなみに、きょうは2017年12月31日で、あすが、2018年1月1日です。

 仲間である、前原さん、枝野さん、近藤さん、逢坂さん、玉木さんに言葉が過ぎるようにも思います。ただ、総理大臣から最底辺まで付き合ってきた私は、自分で言うのもなんですが、見る目があると考えます。

 羽田孜さん、岡田克也さんを褒め過ぎると言われるでしょうが、総理大臣から最底辺まで付き合ってきた私は、彼らは信頼できる政治家だと考えます。正直、政策なんてどうだっていい、と私は考えます。ちょっと岡田さんも、日本政府の歳出削減、トランプ大統領完全批判、英国のEU離脱などグローバリゼーションの見直し全批判には相容れない面も感じています。

 突然話は変わりますが、

 
2012年撮影、宮崎信行(左)と、八角親方(現・日本相撲協会理事長)。

 日本相撲協会では八角理事長を応援します。

 話は戻ります。

 総理大臣から最底辺まで知る私としては、政治は人の好き嫌いでするものだと考えます。解散後、自民党は既に新幹線に乗り込んでいる時間帯に、大変なことになってしまいました。

 2012年の下野から5年。今までの考え方と違って、きょうからもう10年計画で政権交代をめざしていけないと思います。私は、衆院選前に、岡田さんが言っていた、定数の過半数の、そのまた半分の133議席以上を民進党単独でとれば、その次の衆院選で政権交代も可能だ、という論に全面的に賛同していました。これは、今の最大野党も、野党3党を足しても届かない数字です。私は民進党と共産党が候補者調整していたら、民進党単独で行った数字だと考えます。

 だから、民主の風のようなことをした人を「失敗から経験した人」ととらえてはだめです。人の性根は変わりません。人生は一度だけです。輪廻転生を信じる私としては、一度、失敗した人はだめだと思います。

 さて、私個人としては、ことしは、9年ぶりに飛行機にも乗ったし、公私とも充実した日々でした。申し訳ないほど充実していました。また、詳述は避けますが、私、家の持続可能性において、人生で最も重要な行動と任命を受けました。来年は、野党も当分、時間が必要です。私は、参院選前に一つの塊になることも、共産党よりも無所属の会が1議席多いことも、永田町の論理に過ぎず、有権者とは関係ないと考えます。私は今のまま、統一地方選と参院選に突入してもやむを得ないと考えます。私自身は、より、しっかりした持続可能な高度の経済的安定性と言論の自由度をつくっていこうと思っています。

 正月飾りの千両を、父の隣で、母が、やたらと足が高く花瓶にさしました。私も好きなスタイルです。

 本年も、お世話になりました。感謝します。

(C)2017年、宮崎信行。

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会計検査院の「森友国有地値引き」報告書、希望の党と民進党が合同でヒアリングへ

2017年11月22日 11時24分58秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

 希望の党と民進党は、会計検査院からのヒアリングを合同で行うことを決めました。

 先の通常国会で、参議院予算委員会の全会一致で会計検査院に要求した「森友学園国有地値引き問題」に関する報告書を、会計検査院は、きょう(平成29年2017年11月22日水曜日)参議院に提出します。

 これを受けて、希望の党と、民進党は、合同で会計検査院から説明を聞くことにしました。

このエントリーの本文記事は以上です。
(C)2017年、宮崎信行。

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【政党交付金】総務大臣が現与党系候補のA元代表個人に10万5000円返還命令、解党した「みんなの党」で、B元支部長(現野党系候補)が支出減額によって余剰金を報告

2017年10月19日 12時48分52秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

 総務大臣は、「みんなの党」=解散(解党)=の代表者だった、A前衆議院議員に対して、10万5000円を返還するよう命令しました。

 命令は、きょう、平成29年2017年10月19日(木)付で、官報にも同日付で載りました。

 命令の根拠は、政党助成法第33条第7項。

 A前衆議院議員は、現在選挙戦中の、第48回衆院選で、与党系候補として立候補しています。

 返還の理由は、今回の選挙選で、野党系候補として立候補しているB前衆議院議員が代表をつとめていた支部に余剰金があったこと。解散した平成25年分の報告書を、B前議員が精査したところ、支出の部分に減額要員があり、収支の帳尻が、10万8000円残余金が出ていたとするもの。これを、Bさんが、8月17日付で総務省に報告しました。これは、政党助成法第33条第2項第4号に、「抵触」することになります。

 このため、総務大臣は、既にみんなの党が解党していることから、代表者であるAさんに対して10万8000円の返還を命令しました。

 総選挙中の命令について、総務省は「8月17日付は解散前ですから(関係ない)」と話しています。当日は、通常国会閉会後2か月後なので、Bさんが時間に余裕があったのかもしれません。

 「みんなの党」は「第3極」として発足した「新党」で、その後仲間割れして、解党しました。解散の実務は、銀行員経験があるA議員が、その頃の仲間の元銀行員を呼び寄せて会計責任者になってもらい、処理しました。二大政党になったことはなく、連立与党経験もないまま、解党しました。

 このエントリー記事の本文は以上です。

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民進党参議院議員会長(元党本部財務委員長)「希望の党には行きません」「前原さんの独り言だ」「選挙後に参議院議員で話し合うが、行かないという人の方が多い」と断言

2017年10月10日 20時29分17秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

 民進党の小川敏夫参議院議員会長は、「希望の党には行きません。前原さんの独り言。私たち参議院議員が選挙後に決める」と語りました。

 第48回衆院選の公示日のきょう、平成29年2017年10月10日(火)、選挙区である、東京都の世田谷での応援演説で語りました。

 衆院選候補者の支援者のYouTube動画によると、小川さんは「民進党は無くなっていません。この衆院選に出ないと言っただけです。参議院には48名の民進党国会議員がいます。前原さん、言ってましたよ。選挙が終わったら、民進党の参議院議員が希望の党に合流しますと。行きません、私は。前原さんの独り言ですよ。機関決定は私たち参議院議員が決めることです。聞いたら、行かないという人の方が多い」と語りました。

 小川さんは、非連合系の議員で、民進党地方組織が基盤。民進党と法人格が連続している、旧・民主党では、下野後、海江田代表の下、党本部財務委員長に就任。第23回参院選で財務委員長として組織対策費も担当。2013年分の政治資金収支報告書では会計責任者として判を押しました。その後、岡田克也代表のもとでも、財務委員長を続投しました。昨夏からは、参議院議員会長(任期2年)を、非連合系では通算2人目として務めています。

 このエントリー記事の本文は以上です。

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英国の政権交代は、今世紀まだ1回

2017年10月07日 18時43分20秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

 所有物をアップするのは、あまり趣味ではありせんが、今週、注文していた、英国庶民院議員要覧の2017年版が届きました。

 THE TIMES GUIDE TO THE HOUSE OF COMMONS 2017で、1880年から発行しているとのこと。私の手元には、1997年、2000年、2005年、2010年、2015年、2017年の6回の総選挙分がそろいました。ちょうど日本で言うところの、平成6年政治改革4法が出来てからの、英国の総選挙分はそろえたことになります。メイ首相(保守党首)は意外と期数が若く、1997年初当選です。下野時に当選したので野党が13年間で政権交代とともに内相として初入閣わずか6年後には保守党首に当選して速やかに首相になったことになります。

 この20年間で英国の政権交代は、1997年の労働党、2010年の保守党の2回のみです。我が国では、2009年の民主党、2012年の自民党の2回となります。今世紀では、英国1回、日本2回となります。

 70年経ってまたアングロサクソンの勝利です。米連邦準備制度理事会と、英国イングランド銀行は、自国通貨切り下げすなわち量的緩和をまったくしていません。ところが、欧州中央銀行をはじめとする世界中の中央銀行は量的緩和を手仕舞いできない状態になっており、最悪の現状が我が国日本銀行(BOJ)です。ですから、私は安全保障と金融の不安定さのもと、野党第1党は、そのまま、岡田克也ネクスト総理でやっていれば、数回のうちに政権交代できるのではないかとにらんでいましたが、この1週間で、そういうことは難しくなりました。

 安倍政権を打倒すると連呼するだけでは、政権交代しても、マニフェストに書き込み過ぎた鳩山・菅・野田内閣未満にしかなりません。

 ぜひ、もう少し長期的視点で、政治をやり、見るようにしたいものです。

 (c)2017年、宮崎信行。

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