ニュースサイト宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が衆参両院と提出予定法案を網羅して書いています。業界内で圧倒的ナンバー1。

僕は石井ピンは必要な政治家だと思う。誰が何と言おうとも。

2007年10月16日 23時10分01秒 | その他

【国会傍聴記 2007年10月16日(火)参院予算委 番外編】

 このエントリーは石井一さんの質問を取り上げる前に、政治家・石井ピンさんについて僕の考えを書きたいと思います。



左は 1989年第一次海部内閣の石井国土庁長官
右は 1990年総選挙時のさわやかな菅直人さん

 初入閣時のピンさん(自民党竹下派)とほぼ同じ時期の菅直人さん(社民連)の写真を並べてみました。

 この8年後、私が民主党担当記者をしていたころ、民主党は「菅直人代表―石井国対委員長」という体制になっていました。

 日本で一番嫉妬深い連中は、芸能人やホストよりも政治家でしょう。

 ところが、この国対委員長のポストはピンさんが望んで引き受けたんです。
 木曜クラブ(田中派)→経世会(竹下派)→新生党・羽田内閣で自治大臣兼国家公安委員長と保守本流を歩いてきたピンさんは自ら菅大将の切り込み隊長を引き受けました。

 「オレが国土庁長官のころ、菅は小政党だから質問に立つ回数が多かったけど、こいつは鋭いなあ、伸びるだろうなあと思っていた」

 大ベテランながら、国対委員長として野党ライフを楽しんでいたピンさん。
 神戸出身、甲南大学出のお坊ちゃんで、米国カリフォルニア州のスタンフォード大学院で政治学を学び、西海岸の自由な空気を吸ったピンさん。

 ダッカ事件では、「(福田赳夫政権の)運輸政務次官として人質と一緒に中東に行って頂いた。命がけの行動であり、感謝している」(きょうの福田首相の答弁)。

 木曜クラブ内ではやや異色の存在だったようで、落選経験もあったことから「竹下派7奉行」に数えられることはありませんでした。

 「1年生議員っていうのは野党の方がいいんだ。国会で質問できるから。だから野党議員としてスタートして、やがて与党になっていくのがいいんだ。そのことをきょうの国対で話したら若い連中は本当に喜んでいたよ。オレは不幸にして反対になったけどな」。

 民社党出身の国対副委員長を指さして、「こういう風にお行儀よく国会議員をやっていれば出世するんだよ。オレみたいのはダメなんだよ」
 ちなみにその議員は北橋健治さんで、9年経ったことし、北九州市長になりました。予言的中です。

 羽田さんが短命政権に終わり石井国家公安委員長も2ヶ月の任期で終わります。
 ただ、この2ヶ月間に朝鮮総連京都府本部への捜索があって、私は興味を持ちましたが、関連性はよく分かりません。当時は拉致問題にはほとんど誰も興味を持っていなかったと思います。「金賢姫」の名前を知っていても、「横田めぐみさん」の名前は産経新聞のスクープ前だと思いますので、99%の日本国民は知らなかったころだと思います。


(左は田中角栄さんと、右はレーガン大統領と)

 そしてピンさんはことし7月に参院議員として国政に復帰。
 いまや「国会の止め男」と化したピンさんは、「自民党時代から30年間ずーっとやりたかったのよ」(きょうの予算委)というあの問題に切り込んだのです。

続きは・・・
【国会傍聴記】参院予算委 分からないなりの大事さ 厚労相と母親と

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