神田明神、湯島聖堂、ニコライ堂など落ち着いた雰囲気の御茶ノ水・神田地区を歩いた後、神田川を渡ると雰囲気は一変した。電気の街として、そして最近はオタクの街として栄える秋葉原は極彩色に彩られた華やかな街だった。
昨年7月に「東京下町ウォーク」としてガイドブックを頼りに7つの地区を散策した。今回は同じガイドブックに載っている下町の残りの地区を歩くことにした。したがって本日のタイトルを「東京下町ウォーク 8」としたのは、昨年の継続であるという意味をそこに込めたものである。
※ マップは左側の〔御茶ノ水〕駅をスタートして、〔秋葉原〕駅ゴールだったが、私は〔御茶ノ水〕駅をスタート&ゴールとした。
〔新宿御苑前〕駅から東京メトロ・丸ノ内線で〔御茶ノ水〕駅に移り、〔御茶ノ水・神田・秋葉原〕地区を歩いた。
丸ノ内線の〔御茶ノ水〕駅は明治大学や神田の古書店街とは神田川を挟んで反対側に位置する。はじめは、そちら側に位置する「神田明神」、「湯島聖堂」を訪れた。
最初は江戸の三大祭の一つ「神田祭」を主宰する「神田明神」を訪れた。神田祭というとたくさんの山車が東京の街を練り歩く賑やかな祭りである。その祭を主宰する有名な神社にしては意外に敷地が狭いなぁ、というのが正直な感想だった。
続いて、神田明神からそれほど離れていないところに、大きな敷地を持つ「湯島聖堂」を訪れた。徳川5代将軍綱吉が開いた昌平坂学問所の跡ということで、学問所は幕府の大学の役割を担っていたそうだ。現在の建物は関東大震災で被災した後、鉄筋コンクリートで再建されたということだが、その規模の大きさや荘厳さなど、幕府の大学的役割を担っていたことが頷ける雰囲気を漂わせた湯島聖堂だった。
※ 湯島聖堂の正門(?)「仰高門」です。
※ 平日はこの「杏壇門」は開かれていないとのことで幸運だった。
※ その「杏壇門」に奥に控えるのが大きな講堂の〔大成殿〕です。
※ 敷地内には儒教の祖として有名な孔子像が建っていました。
コースは一度神田川を渡り(つまり文京区から千代田区に入る)、「ニコライ聖堂」を目ざした。遠くからでもドーム様式の青い色の聖堂を見ることができた。1891(明治24)年に建てられたビザンチン様式の聖堂は美しく、荘厳な雰囲気を漂わせていた。ただ、こちらも神田明神同様に敷地が狭かったのは、大都会ゆえの辛さなのだろうか?
コースは神田須田町という戦災を受けなかった古い建物が残る地区を往く。長く商売を続けているような由緒ある古い店が軒を並べているところをジグザグに通過した。
そして再び神田川を渡ると,そこから街の雰囲気は一変した。秋葉原の街中に入ったのだ。コースは秋葉原の中央通りの一本脇道に導かれるのだが、そこが電気街だった。マニアのような若者が通りを埋めるように歩いている。試しにTSUKUMOの本店を覗いてみたのだが、店の中も若者でいっぱい。機械音痴の私にはチンプンカンプンな部品が所狭しと展示されていた。
※ 秋葉原らしい光景として載せました。「ひとりカラオケ専門店」とはいかにも秋葉原らしいと思いません?
ちょっと大きな通りに出ると、その通りにはメイドさんのコスプレをした女の子がメイドカフェへの呼び込みを盛んにやっていた。
街中の建物は極彩色に彩られ、たくさんの人が行き交い、騒然とした感じだった。
※ こうしたコスプレ用の専門店も秋葉原では目立ちました。
※ いったい何をアピールしていたのか不明なコスプレ娘とデコレーションした車です。
コースは〔秋葉原〕駅に辿りついてゴールだった。
ずーっと以前に秋葉原を訪れたときは、純粋に電気街だったところが、現在は電気街はそれなりに健在だったが、それよりはむしろコスプレ文化やAKB48をはじめとするアイドルたちが闊歩するオタクの街に変貌を遂げたように思えた。
このことについて私自身は深く考えたことはないのだが、電気部品やPC部品を組み立てたり、分解したりといった趣向の少年たちと、コスプレ文化やアイドル文化を愛好する人たちとの間に何らかの共通項があったということなのだろうか?などと秋葉原を歩いていて考えてしまった…。