都心から少し離れた、山手線の外側にあたる駒込から王子までのワンウェイを散策した。このコースには「旧古河庭園」、「旧渋沢庭園」、「飛鳥山公園」といった由緒ある公園や庭園が並んでいた。
※ 私はこのマップの左下の駒込駅から右上の王子駅に向かって散策したのでした。
この日、7日(月)は「国会議事堂(衆議院)」と「日本銀行」の見学を予定していた。「国会議事堂」が午前9時から1時間程度、「日本銀行」が午後3時から1時間程度ということから、その間を利用して「駒込~王子」間を散策を計画した。
地下鉄を乗り継いで、地下鉄南北線「駒込」駅に降り立ったのは10時過ぎだった。
いつのときもそうなのだが、地下鉄を降り立って地上に出たときに、進む方向を定めるのが一苦労である。この時もそうだった。
このコースでは、まず地上に出て駅すぐそばの小さな公園にある「染井吉野櫻発祥の里」碑をチェックした。碑の傍の染井吉野は葉桜状態になっていたが、その近くの樹が満開状態で見事な染井吉野を愛でることができた。
※ 「染井吉野櫻発祥の里」碑のバックのサクラは残念ながら葉桜になっていました。
※ しかし、石碑のすぐそばの染井吉野櫻は満開の時を迎えていました。
さて、ここからの私の進路がモデルコースから少しずれてしまい、しばらく脇の細い住宅路を歩くことになってしまった。方向としては間違っていなかったので、しばらく行ったところで本来のコースに戻った。
この日は4月初旬だったのだが、日向は暑いくらいで日陰を求めながら歩いた。
ウォークを始めて10分くらい経っただろうか、塀に囲まれた大きな敷地が現れた。「旧古河庭園」である。古河財閥が築いた庭園ということだが、現在は国有となり、それを東京都が管理しているということだ。
都内にはさまざまな旧財閥が築いた庭園があるが、この「旧古河庭園」は洋館と洋風庭園、日本庭園が斜面を利用して巧みに組み合わされた構成になっている。洋館が現存していることで往時の財閥の生活が偲ばれた旧古河庭園だった。
※ 旧古河庭園の落ち着いたたたずまいの入場口です。
※ 庭園の中に建つ洋館です。豪壮な生活ぶりが偲ばれます。
※ 斜面を利用した洋風庭園です。
※ 斜面を下ったところに日本庭園が築かれていました。
旧古河庭園を後にして、通り沿いに「国立印刷局東京工場」という建物があった。後から見学した日本銀行で聞いて初めて分かったことだが、「印刷局」はお札の製造、「造幣局」はコインの製造と、役割分担していることを恥かしながら初めて知った。
※ 国立印刷局東京工場の入口のところでシャッターを切りました。
続いて、「飛鳥山公園」内にある「旧渋沢庭園」を訪れた。ここは渋沢栄一の邸宅跡ということだが、そこに保存されている国の重要文化財「晩香廬(ばんこうろ)」の渋く落ち着いた建物をカメラに収めた。
※ 旧渋沢栄一庭園内に建つ重要文化財の「晩香廬(ばんこうろ)」です。
次は、同じ敷地内の「飛鳥山公園」である。この公園は徳川8代将軍吉宗が1200本余りの桜を植えて、江戸庶民に開放したといわれる公園である。ちょうど桜の満開時期に好天も加わり、多くの都民が訪れて賑わっていた。
※ 不思議なことに飛鳥山公園ではサクラの写真を一枚も撮っていませんでした。写真は飛鳥山公園の由来を記す石碑です。
実はこのコースを選定した理由の一つは、この公園内にある「紙の博物館」、「北区飛鳥山博物館」、「渋沢資料館」の三つの博物館を見てみたいと思ったことだった。特に「紙の博物館」をぜひ見たいと思った。ところが!? なぁ~んと、この日が月曜日だったことを失念していた。三館ともに休館日だった…。
※ ぜひ見てみたいと思っていた「紙の博物館」は休館日でした。
というわけで、飛鳥山公園で桜を楽しむたくさんの人々の様子を横目に、高台にある飛鳥山公園から王子駅前に下りる「あすかパークレール」というレールの上を走る昇降機のようなもので王子駅前に運ばれたのだった。
※ 写真中央部に見える小さな箱のようなものがパークレールです。定員10人くらいでしょうか?