「富岡八幡宮」と「深川不動堂」の門前町と称される門前仲町…。私はこの街にあるホテルに3泊もしながら、最後の最後になってようやくこの街を巡ったのだった。そして名物(?)「深川丼」も食してみた。
※ 私はこのマップの緑の部分の「深川不動堂」と「富丘八幡宮」を巡っただけの下町ウォークでした。
神楽坂コースの散策を終えてもまだ少し時間があった。そこで予定を変え、朝旅装を整え旅立ったはずの東京メトロ〔門前仲町〕駅に降り立った。
私がいつもホテルに向かうための出口とは反対の出口から地上に出ると、そこはもう「深川不動堂」の山門が立っていた。
山門から続く参道はそれほど長くはないが、参道の両側には食事処や菓子店、土産物店などがびっしりと並んでいた。
※ 通りに面したところ派手な色遣いの山門が立ち、そこから短い参道になっていました。
※ 参道には食事処や土産物屋などがたくさん並んでいました。
その参道を進むと、立派な本堂が見えてくる。この深川不動堂は正式名称を「成田山 深川不動堂」と称するように、千葉にある成田山新勝寺の別院ということである。
実は私が本堂と思ったところは旧本堂で、隣に建てられていた現代的な建物が本来の本堂らしい。
※ 正面の本堂と思われたところは旧本堂で、その横に黒く長方形に見える建物が新しい本堂だということです。
旧本堂の前に「慈恩如来」という金色に輝く仏像が鎮座していたが、その像の金箔の剥がれを寺の関係者が補修していた。好奇心の塊(?)の私はついつい聞いてしまった。「何をしているのですか?」と…。すると彼は親切に答えてくれた。「信者さんが自分の体の悪いところに金箔を貼ってお祈りすると効用があると言われていて、皆さんが貼った金箔の補修をしているのです」ということだった。
境内にはその他にも、さまざまな形で集金するシステムが散りばめられているように私には見えた。私はそうした寺の関係者からは歓迎されざる存在なのかもしれない。何の寄進もすることなく寺を後にしたのだった。
※ この仏さまに貼られた金箔を寺の関係者が熱心に補修していました。
続いて、敷地的には隣にあると言って良い「富岡八幡宮」を訪れた。
人々からは「江戸最大の八幡さま」「深川の八幡さま」として親しまれているそうであるが、私としては江戸勧進相撲発祥の地として相撲関係の碑がたくさんあるということで興味があった社(やしろ)である。
※ やはり通りに面して立つ大鳥居です。本殿のバックにビルが見えるのはいかにも都会の神社ですね。
※ 御本殿を写した時には上手く背景のビルを写し込まずに撮れました。
通りに面した大鳥居を潜ると直ぐに江戸後期に測量家として名を成した「伊能忠敬」像が立っていた。
その向かいには、相撲に関わる「大関力士碑」、「巨人力士身長碑」などが並んでいた。
面白かったのは「巨人力士身長碑」である。その碑の高さは最高身長力士の高さと同じ碑を建てたのだろうと思われる。私が横に立って手を伸ばしてもとても頂点に手は届かなかった。ちなみに最高身長力士は生月鯨大左衛門(いけづき-げいたざえもん)といい、身長2m30cmと記されていた。
※ 「巨人力士身長碑」は左側の碑なのですが、比較にするものがないためその高さは分かりづらいのが残念です。
信心深くない私は御本殿にはあまり興味がなく、その本殿の裏手にある「横綱力士碑」に向かった。
「大関力士碑」よりは当然のように立派な碑であったが、面白いと思ったのはその碑の立っている位置である。大関碑が表参道の入口という誰からも目に付く位置に立っているのに対して、横綱碑は本殿裏手という人の目に付きにくい位置だったことだ。
このことは、素人考えでは相撲界においては「横綱」という制度が後年になって定められたために、「大関力士碑」が先に立てられて、その後「横綱力士碑」が境内の空いていた敷地に立てられたのではと想像されるのだが、果たして?
時間の関係もあって、私はこの「門前仲町」コース全てを歩いたわけではなく、この街を代表する二つの施設を巡っただけだった。
そしてせっかくなので、この地の名物(?)「深川丼」を食してみようと思った。
「深川不動堂」の参道にも深川丼を謳った店があったが、こうした店を避けて脇道に入った小さな和食堂「たこ井」という夫婦で切り盛りしている店に入った。
まったく予備知識なく注文した「深川丼」であるが、ご飯の上に、アサリ、ハマグリやアオヤギとネギなどの野菜などを煮込んだ味噌汁をかけた丼だった。味の方は、貝類があまり得意でない私には、特別に美味しい丼だとは思えなかったのが残念である。
※ 私が「それほど…」と思ったから、写真の写りが悪くなったとは思えないのですが…。
と、あまり信心深くないところを暴露してしまった東京下町ウォークの最後だった。今回、三日間にわたって東京の下町を巡り歩いたのだが、また東京の奥深さを知った思いである。
田舎者故、少しでも多くの街を見たいと多少駆け足になったキライはあるが、北海道では出会うことのできないたくさんの光景に出会えた下町ウォークを私は心から楽しむことができたと思っている…。