「飯田橋」駅から「神楽坂」駅に通ずるメインストリートは文字どおり坂の街であり、猥雑さも感じさせる街だった。しかし、裏通りに一歩入ると閑静な雰囲気に包まれた中に料亭や老舗が軒を連ねる歴史を感じさせる街でもあった。
※ 私はマップの右端の「飯田橋」駅から複雑な経路を辿り、左端の「神楽坂」駅まで散策した。
東京滞在最後の8日、帰札の便は夕方5時過ぎということで、私は粋な街で知られる神楽坂を散策してみることにした。
東京メトロ南北線を駆って〔飯田橋〕駅に降り立つと、いきなり猥雑な感じの町並みが目に飛び込んできた。
そんな中に、全国で唯一「ペコちゃん焼」が買えるという「不二家 飯田橋神楽坂店」が目に入る。全国唯一ということで記念に購入を!と思ったのだが準備中ということで購入は叶わなかった。
※ 飯田橋駅前にあった「不二家 飯田橋神楽坂店」です。駅前の猥雑感が感じられすねぇ。
※ メインストリートですが、道が坂になっているのがお分かりいただけると思います。
東京メトロ東西線〔神楽坂〕駅に至るメインストリートは別に通り名があるようだが、一般的にはその通りを「神楽坂」と称しているようだ。その通りは名称のとおり緩やかな上りが続く道だった。
その「神楽坂」を歩きはじめてほどなく、小路へと導かれる。
「神楽坂仲通り」、「かくれんぼ横丁」、「本多横丁」、「芸者新道」といった具合だ。
歩を進めるにつれ、異空間へ導かれる思いだった。小路の両側には大小の料亭や老舗がひしめいている感じである。「こんな小路に、これだけたくさんの店があって成り立つのか?」などと要らぬ心配をしながら辺りを散策する私だった。
※ ここから5枚の写真は、神楽坂らしい雰囲気を醸し出している写真です。
帰宅してから調べてみると、神楽坂も一時の隆盛とは隔世の感があるとのことだ。大正時代には花街として隆盛を誇っていたようだが、最近は街の様子も徐々に様変わりしているらしい。それでも一歩小路に入ると歴史が脈々と息づいているということか?
経路は複雑に折れ曲がりながら歴史を感じさせる「東京理科大学近代科学資料館」に導かれる。資料館の内部を覗かせてもらったが、そろばん・計算尺・手回し計算機・電子式卓上計算機、等々…、あらゆる事務機器の歴史が展示されているようだった。圧巻は第一世代の商用コンピュータが展示されていたことか?
※ 東京理科大学近代科学資料館の古風な外観です。
※ 館内にはありとあらゆる事務機器が展示されているように思われました。
※ 商用コンピュータの第一世代にあたる機器が剥き出しの状態で展示されていました。
その後も神楽坂の小路に展開する界隈の散策が続くのだが、その途中創業60年という老舗割烹の一つ「割烹 加賀」の店の前を通った。すると店の前にお品書きが置かれていたので一部手に取り、中を見ると「お昼の献立」、「ご夕食 会席コース」とあった。昼会席の方は4~6千円くらい、夕食の会席で7千円~1万数千円くらい、となっていた。老舗であっても今はのんびり構えているわけにはいかなく、こうして大衆化を図らねば生き抜いていかれないということか?
※ 老舗割烹 加賀のエントランスです。右の椅子のところにお品書きがおかれていました。
コースは晩年をこの地で過ごしたという作曲家で筝曲家の「宮城道雄記念館」(休館日だった)を経由し、メインストリートに戻り、この地のランドマークともいわれる「善國寺」に至る。朱色の鮮やかな建物が周りから浮き上がっているようにも見える。
※ ”神楽坂の毘沙門天”と親しまれているという「善國寺」です。
そこから再び小路に導かれるのだが、私はこの一角にある「神楽坂茶寮」というちょっとレトロな喫茶店で一服を、と思っていたのだが開店が11時30分ということで願いは叶わなかった。こんなところは神楽坂が夜の街ということの表れだろうか?
※ このレトロな雰囲気に魅かれたりですが、入店は叶いませんでした…。
願いが叶わなかった私は、今風のチェーン店であるカフェで一休みした後、メインストリートを「神楽坂」駅に急いだのだった…。
※ メインストリートといえども、この道路の狭さです。
それほど大きな街ではなく、表通りと裏通りでは違った貌をもった神楽坂はなかなか興味深い街だった。