K氏は私のブログの愛読者である。K氏が言う。「あなたのブログはカラフル」だと…。カラフル??? つまり多彩だということか?それならマルチと言ってほしいのだが…。
某日、久しぶりに以前からお付き合いしているK氏と一献傾ける機会をもった。互いの近況を語り合う中で、自然と拙ブログの話題となっていった。K氏は以前から拙ブログを愛読してくれている。
歓談する中で、K氏が突然のように「あなたのブログはカラフルである」と発言した。「カラフル?いったい何のこっちゃ?」と思ったのだが、聞いているうちに「ブログの内容が多彩である」ということのようだった。
「それならマルチと言ってほしいなぁ」と私が言ったのだが、K氏は「いや、カラフルだ」と言って譲らないのである。
「カラフル」or「マルチ」…、どちらでもいいんだけれど、「カラフル」というイメージはどちらかというと“軽い”イメージである。
それに対して「マルチ」という言葉には、マルチな才能とか、マルチプレイヤーなどという使われ方をして、「多彩」というよりは「多才」というイメージがあるではないか。
私は自分自身を多才などと思ってはいないが、そうでないだけに「マルチ」というイメージに憧れるのだが、K氏に言わせると、まだまだそんなイメージではないということなのだろう…。
いつかK氏から「マルチなブログ」と呼ばれるように精進しましょうか。
※ 今日はちょっと事情があり、いつもとは違い朝の投稿になりました。
某日、久しぶりに以前からお付き合いしているK氏と一献傾ける機会をもった。互いの近況を語り合う中で、自然と拙ブログの話題となっていった。K氏は以前から拙ブログを愛読してくれている。
歓談する中で、K氏が突然のように「あなたのブログはカラフルである」と発言した。「カラフル?いったい何のこっちゃ?」と思ったのだが、聞いているうちに「ブログの内容が多彩である」ということのようだった。
「それならマルチと言ってほしいなぁ」と私が言ったのだが、K氏は「いや、カラフルだ」と言って譲らないのである。
「カラフル」or「マルチ」…、どちらでもいいんだけれど、「カラフル」というイメージはどちらかというと“軽い”イメージである。
それに対して「マルチ」という言葉には、マルチな才能とか、マルチプレイヤーなどという使われ方をして、「多彩」というよりは「多才」というイメージがあるではないか。
私は自分自身を多才などと思ってはいないが、そうでないだけに「マルチ」というイメージに憧れるのだが、K氏に言わせると、まだまだそんなイメージではないということなのだろう…。
いつかK氏から「マルチなブログ」と呼ばれるように精進しましょうか。
※ 今日はちょっと事情があり、いつもとは違い朝の投稿になりました。