民主化されたとはいえ、未だに私たちにとって近くて遠い国ロシア…。そんなロシアのことを2回にわたって聴く機会があった。「石狩市民カレッジ」である。昨日記したような理由から石狩市まで足を伸ばして受講した講座である。
先週(19日)と今週(26日)、「石狩市民カレッジ」の講座を受講した。講座名は「知られざる隣国、ロシアとのかかわり」という講座だった。

※ シベリアでの作業の様子を写す写真を背にお話する山口氏です。
1回目は「各地に送られたシベリア抑留者の真実」と題して、実際にシベリア抑留を体験された山口福司氏という92歳のご高齢の方のお話だった。
山口氏は92歳とは云え、すこぶる健康そうでかくしゃくとされた方だった。
山口氏は陸軍衛生軍曹として奉天、鐡嶺の陸軍病院で勤務し終戦を迎えるとともにシベリアに抑留されたという。山口氏が抑留されたのは現在のウズベク共和国の首都タシケントの近郊だったという。
山口氏が幸運だったのは、ウズベクが旧ソ連邦の中では最も南部に位置したことから極寒の冬に見舞われることがなかったという。対してシベリア地域や極東地域に送られた抑留者は酷寒の冬に次々と倒れていったらしい。
山口氏は軍隊生活や抑留生活そのものについては多くを語らず、65万人にも上るという日本人収容所の位置図、6万人にも上ったという死亡者の分布図などを提示しながら淡々と語ってくれた。
山口氏は最後に、スターリンの抑留者の扱いに関する極秘指令の全文を提示されたが、その内容はソ連邦各地域に送る抑留者(捕虜)の数を事細かに指示しているのが印象的である。スターリンにとって抑留者(捕虜)は対ドイツ戦において徹底的に破壊された国土の再建のための労働力としてしか見ていず、人道的な扱いに留意するような指示は文書のどこにも見当たらない。
山口氏が抑留生活について多くを語らなかったのは、あまりに非人道的な扱いに思い出すこと自体を封印しているのではないか、と思ったのだった…。

※ 姉妹提携を伝える市広報紙を手に説明する三上氏です。
2回目は「姉妹都市ワニノ市との友好から始まったロシアとの関係」と題して、ユーラシア協会石狩支部事務局長の三上正一氏が務めた。
石狩市は1993(平成5)年、間宮海峡に面する港湾都市ワニノ市と姉妹都市提携をしたという。
三上氏は事務局長として交流団を率いて二度にわたりワニノ市を訪問したという。
講座はその訪問時に撮影した写真を投影しながら、現地の様子を語るものだった。
しかし、私にとってロシアの一地方都市の様子を知ることに対してそれほどの興味はなかった。それよりは姉妹都市として提携して、石狩市、あるいは石狩市民にとってどのような成果があったのか、あるいは今後どのように姉妹都市としての連携を深めていくのか、といったようなことを聞きたかったのだが、残念ながらそうしたことに触れられることはなかった。
そういう意味では消化不良の講座という思いだけが残った。
片道約17キロ、40分を要して、2回の出席で取得した単位はわずか3単位。とても高コストの「石狩市民カレッジ」であるが、今後もできるかぎり出席していきたいと思っている。
先週(19日)と今週(26日)、「石狩市民カレッジ」の講座を受講した。講座名は「知られざる隣国、ロシアとのかかわり」という講座だった。

※ シベリアでの作業の様子を写す写真を背にお話する山口氏です。
1回目は「各地に送られたシベリア抑留者の真実」と題して、実際にシベリア抑留を体験された山口福司氏という92歳のご高齢の方のお話だった。
山口氏は92歳とは云え、すこぶる健康そうでかくしゃくとされた方だった。
山口氏は陸軍衛生軍曹として奉天、鐡嶺の陸軍病院で勤務し終戦を迎えるとともにシベリアに抑留されたという。山口氏が抑留されたのは現在のウズベク共和国の首都タシケントの近郊だったという。
山口氏が幸運だったのは、ウズベクが旧ソ連邦の中では最も南部に位置したことから極寒の冬に見舞われることがなかったという。対してシベリア地域や極東地域に送られた抑留者は酷寒の冬に次々と倒れていったらしい。
山口氏は軍隊生活や抑留生活そのものについては多くを語らず、65万人にも上るという日本人収容所の位置図、6万人にも上ったという死亡者の分布図などを提示しながら淡々と語ってくれた。
山口氏は最後に、スターリンの抑留者の扱いに関する極秘指令の全文を提示されたが、その内容はソ連邦各地域に送る抑留者(捕虜)の数を事細かに指示しているのが印象的である。スターリンにとって抑留者(捕虜)は対ドイツ戦において徹底的に破壊された国土の再建のための労働力としてしか見ていず、人道的な扱いに留意するような指示は文書のどこにも見当たらない。
山口氏が抑留生活について多くを語らなかったのは、あまりに非人道的な扱いに思い出すこと自体を封印しているのではないか、と思ったのだった…。

※ 姉妹提携を伝える市広報紙を手に説明する三上氏です。
2回目は「姉妹都市ワニノ市との友好から始まったロシアとの関係」と題して、ユーラシア協会石狩支部事務局長の三上正一氏が務めた。
石狩市は1993(平成5)年、間宮海峡に面する港湾都市ワニノ市と姉妹都市提携をしたという。
三上氏は事務局長として交流団を率いて二度にわたりワニノ市を訪問したという。
講座はその訪問時に撮影した写真を投影しながら、現地の様子を語るものだった。
しかし、私にとってロシアの一地方都市の様子を知ることに対してそれほどの興味はなかった。それよりは姉妹都市として提携して、石狩市、あるいは石狩市民にとってどのような成果があったのか、あるいは今後どのように姉妹都市としての連携を深めていくのか、といったようなことを聞きたかったのだが、残念ながらそうしたことに触れられることはなかった。
そういう意味では消化不良の講座という思いだけが残った。
片道約17キロ、40分を要して、2回の出席で取得した単位はわずか3単位。とても高コストの「石狩市民カレッジ」であるが、今後もできるかぎり出席していきたいと思っている。