女子ジャンプでは高梨選手の優勝を信じて、好位置を確保して7時間も待ち続けその瞬間を待ったという。冬季五輪なのに、日向ではTシャツでも過ごせたとか?現地で取材したからこそのエピソードの数々を聞いた。
北海道新聞が「春の新聞週間」に合わせて、札幌駅前地下歩行空間(チ・カ・ホ)の北3条広場に「ニュースカフェ」を開催した。
この催しは、コーヒーを飲みながら、新聞を読んだり、さまざまな催しを楽しんだりする場所として4月11~13日の間、北海道新聞が開設したものだ。
私はたくさんあったミニイベントの中から、三つのトークイベントに参加してみた。

※ 取材のために持参したカメラなどを据え、質問に答える中川記者です。(右側)
その手始めに参加したのが、4月11日(金)午後に行われた「ソチ五輪 カメラを通して感じたこと」と題して話をした道新写真記者の中川明紀氏のトークショーを聞いた。
中川記者は2月いっぱいソチに滞在し、大会期間中は一日に数千カットの写真を撮り、そのうち期間中に200枚前後の写真が新聞に掲載されたという。だからソチに関する道新の写真は全て中川記者の手によるものといえるようだ。
いろいろと楽しいエピソードを聞いたが、その中から特に印象的だったことレポートしてみることにする。
リード文でも触れたが、写真記者にとって大切なことの一つは決定的なシーンを切り取るために好位置を確保することだという。女子ジャンプは今回の五輪でも最も金メダルに近い種目と目されていたことは我々の良く知るところだった。
そのため、中川記者は好ポジションを確保して競技開始を待ったという。その時間、競技時間も含めて寒空の下に計7時間も立ち尽くしたという。決定的瞬間を撮るためにはそれなりの苦労が付きまとうということのようだ。

次に、面白いエピソードを聞いた。
開会式のことだったという。開会式の模様は撮ったその場でそのデータを本社(札幌)に送信することになっていたという。ところが、会場内では観客の多くが携帯電話を使用しているために通信状況が極めて難しかったらしい。
困っていたところ、開会式にロシア大統領のプーチンが登場したときだったという。会場内のロシア人たちが揃って大統領に向かって拍手を送ったという。つまりその時、ロシア人たちは携帯から手を放したらしい。その瞬間に通信状況が良くなり、無事に写真データを送信することができたそうだ。
中川記者はそのとき、ロシアにおけるプーチンの権威(権力?)の大きさを感じたという。しかし、それ以上に、中川記者にとっては無事に職務を遂行できたことにホッとしたというのが本音ではなかったろうか?
今回、中川記者はカメラを3台、望遠レンズも大小3台、さらには三脚などを持参したという。
それら写真記者にとっての七つ道具を背負って、時にはスキー場を上ったり、好ポジションを確保するために寒空の下で待ち続けたりと、苦労の裏側を知ることができた意味のあるトークショーだった。
北海道新聞が「春の新聞週間」に合わせて、札幌駅前地下歩行空間(チ・カ・ホ)の北3条広場に「ニュースカフェ」を開催した。
この催しは、コーヒーを飲みながら、新聞を読んだり、さまざまな催しを楽しんだりする場所として4月11~13日の間、北海道新聞が開設したものだ。
私はたくさんあったミニイベントの中から、三つのトークイベントに参加してみた。

※ 取材のために持参したカメラなどを据え、質問に答える中川記者です。(右側)
その手始めに参加したのが、4月11日(金)午後に行われた「ソチ五輪 カメラを通して感じたこと」と題して話をした道新写真記者の中川明紀氏のトークショーを聞いた。
中川記者は2月いっぱいソチに滞在し、大会期間中は一日に数千カットの写真を撮り、そのうち期間中に200枚前後の写真が新聞に掲載されたという。だからソチに関する道新の写真は全て中川記者の手によるものといえるようだ。
いろいろと楽しいエピソードを聞いたが、その中から特に印象的だったことレポートしてみることにする。
リード文でも触れたが、写真記者にとって大切なことの一つは決定的なシーンを切り取るために好位置を確保することだという。女子ジャンプは今回の五輪でも最も金メダルに近い種目と目されていたことは我々の良く知るところだった。
そのため、中川記者は好ポジションを確保して競技開始を待ったという。その時間、競技時間も含めて寒空の下に計7時間も立ち尽くしたという。決定的瞬間を撮るためにはそれなりの苦労が付きまとうということのようだ。

次に、面白いエピソードを聞いた。
開会式のことだったという。開会式の模様は撮ったその場でそのデータを本社(札幌)に送信することになっていたという。ところが、会場内では観客の多くが携帯電話を使用しているために通信状況が極めて難しかったらしい。
困っていたところ、開会式にロシア大統領のプーチンが登場したときだったという。会場内のロシア人たちが揃って大統領に向かって拍手を送ったという。つまりその時、ロシア人たちは携帯から手を放したらしい。その瞬間に通信状況が良くなり、無事に写真データを送信することができたそうだ。
中川記者はそのとき、ロシアにおけるプーチンの権威(権力?)の大きさを感じたという。しかし、それ以上に、中川記者にとっては無事に職務を遂行できたことにホッとしたというのが本音ではなかったろうか?
今回、中川記者はカメラを3台、望遠レンズも大小3台、さらには三脚などを持参したという。
それら写真記者にとっての七つ道具を背負って、時にはスキー場を上ったり、好ポジションを確保するために寒空の下で待ち続けたりと、苦労の裏側を知ることができた意味のあるトークショーだった。