どうしても書き出せないでいたレポートがあった。3月初めに受講していながら遂に月を超えてしまった。私には二人の発言を咀嚼するだけの素養が備わっていないことを痛感した。それでも自分の中で結末だけはつけたいと思った。そこでレポートとはいえないレポートでお茶を濁すことにする。
北大の山口二郎教授が主宰する「フォーラム in 札幌時計台」の最終フォーラム(第31回)が3月6日(木)夜に開催された。これまでも何度か参加し、日本の知性といわれる方々の発言に耳を傾けてきたのだが、最終回というのは少し寂しい思いである。
最終回となるのは、主宰する山口教授が4月より法政大学に転じることにより札幌を離れてしまうためである。
その最終回ゲストが哲学者の柄谷行人氏と作家の佐藤優氏だった。
テーマは「グローバル化に抗する人間とコミュニティ」だったが、知性派といわれる二人の発言は凡人の私には難しかった。彼らの発言は私の中に留まることなく彼方へ通り過ぎていくばかりだった。だからここでは、かろうじて私の中に残った二人の語った単語について反芻し、二人の想いに迫ってみたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/69/2aeadb5c654b6c217751bdea66c2b45a.jpg)
※ 柄谷行人氏のポートレートです。
最初に柄谷氏が、「日本の国民の現状は、私化と原子化がほとんどを占める」と発言した。
私にとっては「私化」とか「原子化」などという言葉は恥かしながら初耳だった。こうしたフォーラムに参加する者としては当然知っていなければならない言葉のようだった。
「私化」とか「原子化」とは、政治学者である丸山眞男が唱え始めた言葉のようである。
この二つの言葉をごくごく簡単に言うと、現代においては国民の中に「個人主義」が主流を占めつつあり、政治に無関心な層が増えてきているという。そうした層の関心事は自分のことやせいぜい家庭のことなど私的事柄に関心を向けるタイプを丸山は「私化」と称した。私もその一人なのかもしれないが…。
もう一つの「原子化」は政治に無関心ということでは「私化」と同じタイプなのだが、権威主義的リーダーシップをとる権威者に扇動されれば、簡単になびいてしまって、そのリーダーの言動にファナテック(狂信的)に帰依してしまうような、権威に左右される浮動層を指すとのことだ。
柄谷氏はこの「原子化」の層の増大に危機感を抱いているような論調に聞こえた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/e4/a4772b0dac2f242c10e20eadde8470f3.jpg)
※ こちらは佐藤優氏のポートレートです。
一方、佐藤氏も日本の現状には相当な危機感を抱いているようだ。
佐藤氏の発言の中で、現政権の安部首相は選挙で選ばれた王様のようにふるまっている。その点ではプーチンも、オバマも同様であるとした。そして、彼らは立憲主義を知らないのではないかとし、民主主義的統制ができないリーダーであると指摘した。
佐藤氏は現在の日本が1930年代に近い空気を感じるとし、戦争が勃発する可能性までも指摘したことに聴いていた私は戦慄をおぼえたのだった。
断っておきたい。紹介した言葉はあくまでもスピーチの中のごくごく一部の言葉である。彼らは多方面にわたって論を展開したのであるが、私が咀嚼できなかったということである。
二人の発言を一方の見方とする考えもあるだろうが、つねに日本全体を俯瞰しながら思索する立場の人の発言だけに無視できない見方ではないのか、と私は思った。
私個人としては、せめて「原子化」した人間にならぬように留意しなくては、と思うのが精一杯だった…。
北大の山口二郎教授が主宰する「フォーラム in 札幌時計台」の最終フォーラム(第31回)が3月6日(木)夜に開催された。これまでも何度か参加し、日本の知性といわれる方々の発言に耳を傾けてきたのだが、最終回というのは少し寂しい思いである。
最終回となるのは、主宰する山口教授が4月より法政大学に転じることにより札幌を離れてしまうためである。
その最終回ゲストが哲学者の柄谷行人氏と作家の佐藤優氏だった。
テーマは「グローバル化に抗する人間とコミュニティ」だったが、知性派といわれる二人の発言は凡人の私には難しかった。彼らの発言は私の中に留まることなく彼方へ通り過ぎていくばかりだった。だからここでは、かろうじて私の中に残った二人の語った単語について反芻し、二人の想いに迫ってみたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/69/2aeadb5c654b6c217751bdea66c2b45a.jpg)
※ 柄谷行人氏のポートレートです。
最初に柄谷氏が、「日本の国民の現状は、私化と原子化がほとんどを占める」と発言した。
私にとっては「私化」とか「原子化」などという言葉は恥かしながら初耳だった。こうしたフォーラムに参加する者としては当然知っていなければならない言葉のようだった。
「私化」とか「原子化」とは、政治学者である丸山眞男が唱え始めた言葉のようである。
この二つの言葉をごくごく簡単に言うと、現代においては国民の中に「個人主義」が主流を占めつつあり、政治に無関心な層が増えてきているという。そうした層の関心事は自分のことやせいぜい家庭のことなど私的事柄に関心を向けるタイプを丸山は「私化」と称した。私もその一人なのかもしれないが…。
もう一つの「原子化」は政治に無関心ということでは「私化」と同じタイプなのだが、権威主義的リーダーシップをとる権威者に扇動されれば、簡単になびいてしまって、そのリーダーの言動にファナテック(狂信的)に帰依してしまうような、権威に左右される浮動層を指すとのことだ。
柄谷氏はこの「原子化」の層の増大に危機感を抱いているような論調に聞こえた。
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※ こちらは佐藤優氏のポートレートです。
一方、佐藤氏も日本の現状には相当な危機感を抱いているようだ。
佐藤氏の発言の中で、現政権の安部首相は選挙で選ばれた王様のようにふるまっている。その点ではプーチンも、オバマも同様であるとした。そして、彼らは立憲主義を知らないのではないかとし、民主主義的統制ができないリーダーであると指摘した。
佐藤氏は現在の日本が1930年代に近い空気を感じるとし、戦争が勃発する可能性までも指摘したことに聴いていた私は戦慄をおぼえたのだった。
断っておきたい。紹介した言葉はあくまでもスピーチの中のごくごく一部の言葉である。彼らは多方面にわたって論を展開したのであるが、私が咀嚼できなかったということである。
二人の発言を一方の見方とする考えもあるだろうが、つねに日本全体を俯瞰しながら思索する立場の人の発言だけに無視できない見方ではないのか、と私は思った。
私個人としては、せめて「原子化」した人間にならぬように留意しなくては、と思うのが精一杯だった…。