けっして能弁とは云えない石川直樹だが、自身の冒険のこと、写真のこと、そして彼のポリシーについて、淡々と語った。

北海道博物館において11月28日~1月17日の期間に「Across Borders:石川直樹写真展」が開催されている。
この写真展は、「北海道とアルバータ州の姉妹州提携35周年の記念事業として、カメラマン石川直樹氏による現代写真展で、 石川氏が北海道とアルバータ州の両方で撮影した、風景や人びとの暮らし、先住民の文化などの写真を展示し、両地域のつながりを探ります」という趣旨で開催されている。

11月28日(土)午後、その石川直樹氏が写真展開催を記念してのトークショーが行われ参加したのだ。
私が石川直樹の存在を知ったのは、確か2001年頃だったと記憶している。TBS系のドキュメント番組「情熱大陸」で彼が世界7ヶ国の若者と9ヶ月間かけて北極点から南極点までを踏破するという「Pole to Pole2000」に参加した模様が放送されたときだった。その中で紹介された彼の経歴(冒険の歴史)にも触れ、彼に興味を抱いたのだった。
その前後に彼は当時の「七大陸最高峰登頂世界最年少記録」を打ち立てたりして、それなりに注目を浴びる存在だった。
私は彼に興味を抱き、彼の最初の著『この地球を受け継ぐ者へ ~ 人力地球縦断プロジェクト「P2P」の全記録』を買い求めた。しかし…、正直に告白しよう。私はこの著書を読んで彼への熱が一気に覚めてしまったことを覚えている。こんなことを書くと、彼のファンからお叱りを受けそうだが、期待が大きかっただけにその内容があまりにも凡庸に思えたからだった。

※ カナダ・アルバータ州でカメラを構える石川氏です。
その後、彼を追いかけることはしなかったのだが、足跡を辿ると2008年に『最後の冒険家 太平洋に消えた神田道夫』で開高健ノンフィクション賞を受賞しているというから筆力も上達したものと思われる。
若い頃の彼の業績を見ると、「将来はどのような冒険家になるのだろうか?」という興味があったが、彼は例えば植村直己氏のような命を削るような冒険は志向しなかった。むしろ彼は、冒険的な行為は活動の一環として維持しつつ、そこに映るものを映像に切り取る写真の世界に軸足を移したようである。
彼は写真の世界においても資質を発揮し、数々の賞を受賞するなどかなりの成功を収めているようである。今回の写真展もそうした活動の一環と受け取れた。

その写真展を覗いてみた。
それほど多い点数ではなかった。それでも総計50点くらいあったろうか?カナダ・アルバータ州と北海道の自然を写したものだった。
アートに弱い私である。正直言って、その良さが私には分からなかった。ただ一点、アルバータ州の高速道路を疾走する大型トラックがクリアにではなく、流れるように捉えられている一枚があった。クリアでない分、私には疾走感が出ていると思ったのだが…。
トークショーの中で彼は言った。自分は「ブラウベルマキナ」という愛機を大切していると…。このカメラはドイツ製で1960年代に製作されたオールドファッションのカメラで、その操作がマニュアルであるところに彼はこだわっているように思えた。高速で疾走するトラックを捉えきれなかったのも、「ブラウベルマキナ」だからこそ、と私には思えたのだが…。
トークショーでは今年ヒマラヤのK2に挑み、雪崩のために撤退した模様を動画で紹介もしてくれた。
石川直樹、当年38歳。冒険家としてはまだまだ若い。はたして彼はこの後も冒険家を標榜していくのだろうか? それとも?

北海道博物館において11月28日~1月17日の期間に「Across Borders:石川直樹写真展」が開催されている。
この写真展は、「北海道とアルバータ州の姉妹州提携35周年の記念事業として、カメラマン石川直樹氏による現代写真展で、 石川氏が北海道とアルバータ州の両方で撮影した、風景や人びとの暮らし、先住民の文化などの写真を展示し、両地域のつながりを探ります」という趣旨で開催されている。

11月28日(土)午後、その石川直樹氏が写真展開催を記念してのトークショーが行われ参加したのだ。
私が石川直樹の存在を知ったのは、確か2001年頃だったと記憶している。TBS系のドキュメント番組「情熱大陸」で彼が世界7ヶ国の若者と9ヶ月間かけて北極点から南極点までを踏破するという「Pole to Pole2000」に参加した模様が放送されたときだった。その中で紹介された彼の経歴(冒険の歴史)にも触れ、彼に興味を抱いたのだった。
その前後に彼は当時の「七大陸最高峰登頂世界最年少記録」を打ち立てたりして、それなりに注目を浴びる存在だった。
私は彼に興味を抱き、彼の最初の著『この地球を受け継ぐ者へ ~ 人力地球縦断プロジェクト「P2P」の全記録』を買い求めた。しかし…、正直に告白しよう。私はこの著書を読んで彼への熱が一気に覚めてしまったことを覚えている。こんなことを書くと、彼のファンからお叱りを受けそうだが、期待が大きかっただけにその内容があまりにも凡庸に思えたからだった。

※ カナダ・アルバータ州でカメラを構える石川氏です。
その後、彼を追いかけることはしなかったのだが、足跡を辿ると2008年に『最後の冒険家 太平洋に消えた神田道夫』で開高健ノンフィクション賞を受賞しているというから筆力も上達したものと思われる。
若い頃の彼の業績を見ると、「将来はどのような冒険家になるのだろうか?」という興味があったが、彼は例えば植村直己氏のような命を削るような冒険は志向しなかった。むしろ彼は、冒険的な行為は活動の一環として維持しつつ、そこに映るものを映像に切り取る写真の世界に軸足を移したようである。
彼は写真の世界においても資質を発揮し、数々の賞を受賞するなどかなりの成功を収めているようである。今回の写真展もそうした活動の一環と受け取れた。

その写真展を覗いてみた。
それほど多い点数ではなかった。それでも総計50点くらいあったろうか?カナダ・アルバータ州と北海道の自然を写したものだった。
アートに弱い私である。正直言って、その良さが私には分からなかった。ただ一点、アルバータ州の高速道路を疾走する大型トラックがクリアにではなく、流れるように捉えられている一枚があった。クリアでない分、私には疾走感が出ていると思ったのだが…。
トークショーの中で彼は言った。自分は「ブラウベルマキナ」という愛機を大切していると…。このカメラはドイツ製で1960年代に製作されたオールドファッションのカメラで、その操作がマニュアルであるところに彼はこだわっているように思えた。高速で疾走するトラックを捉えきれなかったのも、「ブラウベルマキナ」だからこそ、と私には思えたのだが…。
トークショーでは今年ヒマラヤのK2に挑み、雪崩のために撤退した模様を動画で紹介もしてくれた。
石川直樹、当年38歳。冒険家としてはまだまだ若い。はたして彼はこの後も冒険家を標榜していくのだろうか? それとも?