名匠山田洋二監督自身が「監督人生でほとんど最後に近い映画になる」と語った作品である。その作品として選んだのが、生前交友のあった作家の故井上ひさしさんの遺志を継いで長崎が被った原爆被災をテーマとした「母と暮らせば」だった。
11月15日(日)、NHK・BS1スペシャルで「戦争を継ぐ~山田洋二・84歳の挑戦~」という番組を視聴した。いわゆる映画「母と暮らせば」のメイキングビデオ的な番組だった。
番組は「戦争がもたらす絶望や怒りを未来にどう伝えていくか」という山田監督の思いに模索し続ける現場を描いたものだった。
そこでは、映画制作に携わるすべてのスタッフ・キャストが戦争を経験していない世代に対して、山田監督が原爆や戦争の悲惨さどうリアルに描くことができるかの闘いでもあった。山田監督が撮影中にしきりに発していた言葉が“想像力”ということだった。
山田監督は言う。「想像できる能力を持つことが、この地上に平和をもたらすことになる」のだと…。
スタッフにも、キャストにも、想像力を要求し、ひとつ一つのセリフを丁寧に、ひとつ一つの場面を慎重に創り上げていったことがメイキングビデオから伝わってきた。
このメイキングビデオを観て、ぜひとも映画本作を観なければと思ったのだ。
12月15日(火)午後、ユナイテッドシネマに向かった。
平日の昼だったが、公開直後(12月12日)であり、しかも話題作とあってかなりの観客の入りだった。
ストーリーについては、ネット上でもいろいろ出ているのでそちらに譲るとして、私の率直な感想は、もしこの映画をエンターテイメントとして観るとしたら少々辛いかな?という感じである。これといった山場もなく、劇的な展開もない。
原爆で亡くなった医学生の息子(二宮和也)が亡霊となって現れ、その母(吉永小百合)と語り合う場面が主の映画である。原爆の被害に遭った市井の家族を描く映画であるから、色調としては当然のように全体が暗く、重い感じである。
ただ、唯一山田監督が最後までこだわったという原爆投下の場面にはハッと驚かれた。どのように描かれたかについては映画館で体験してみてほしい。
したがって、残念ながら映画として大ヒットするという予感はあまり感じさせない。それは山田監督としては本意ではないかもしれないが、映画がヒットする、しないという問題と、映画そのものの価値とはあまり関係はないように思う。
この映画の価値、それは戦後70年が経過し、戦争や原爆の悲惨さを知る世代が非常に少なくなってしまった今、戦争の悲惨さを知る世代の山田監督としてはどうしても伝えたかった、遺したかったテーマだったのだと思う。
メイキングビデオで監督は次のように語っている。
「人間が幸せになることを妨げる条件の中に戦争というものがある。それから原子爆弾というものがある。地上から戦争というものがなくならない限り、人間は幸せとはいえない」
そして映画の中で、脚本家・山田洋二は母である吉永小百合に次のようなセリフを語らせた。それは、息子・浩二が原爆で亡くなった自分を「運命だったんだよ」と言ったときに、母は「そんなことを云っちゃダメ。地震や津波で亡くなるのは運命かもしれないけれど、原爆は人の手で、人の意志で何万人もの命を奪ったんだから…」(私の記憶によるものなので、正確なものではありません)
※ 医学生・浩二と恋人・町子が愛を語り合う場面です。
「戦争を知らない子どもたち」第一世代である私自身に立ち返って、この問題を考えたとき、山田監督が言う本当の意味での“想像力”が豊かであったかどうかと問われた時に、その豊かさの欠如に気付く。
幸いなことに、曲がりなりにもこの70年間、日本には戦争というものは存在しなかったと言えるだろう。しかし海外に目を移せば、戦争による悲惨な現実が毎日のように報じられている。彼らが感じている絶望や怒りに思いを寄せつつ、戦争のない世界の実現のために自分なりに寄与しなくてはと考えさせられた映画だった。
ぜひ、映画館に足を運び、山田監督の思いに浸る時間をつくってほしいと思います。