あの「禁じられた遊び」を彷彿させる題名であるが、私の映画の見方が悪いのか?題名と内容がマッチしていなかったり、主題が今ひとつはっきりしなかったりなど、消化不良の思いで映画を観終わってしまった…。
※ 映画タイトルの後にナンバーリングを付けた。この数字は私が2007年に札幌に転居後に観た映画の通算の映画の数である。「映画は最高のエンターテイメント」と考える私にとって、これからも有料・無料にかかわらずできるだけ映画を観ていこうと思っている。
昨日(1月14日)午後、エルプラザにおいて本年初の「エルプラ・シネマ」が開催された。今回取り上げられた映画は2014年制作のフランス・モーリタニア合作の「禁じられた歌声」だった。
最近の私は映画をより理解するために、映画を観る前にウェブ上で予め内容をチェックしてから観賞するように努めている。今回もその例に漏れずチェックしたところ、次のようにあらすじが紹介されていた。
「西アフリカ、マリ共和国の古都ティンブクトゥを舞台に、イスラム過激派の弾圧に立ち向かう家族の戦いを描いた。ティンブクトゥ近郊の街で暮らす音楽好きの男ギダーンは、妻サティや娘トーヤ、12歳の羊飼いイッサンと共に幸せな毎日を送っていた。ところがある日、イスラム過激派が街を占拠し、住民たちは音楽もタバコもサッカーも禁じられてしまう。住人の中にはささやかな抵抗をする者もいたが、ギターン一家は混乱を避けてティンブクトゥから離れた郊外に避難する。しかし、ある漁師がギターンの牛を殺したことをきっかけに、彼らの運命は思いがけない方向へと転がっていく」とあった。
※ イスラム過激派からの迫害を逃れ、砂漠でのんびり暮らしていた頃のギダーン一家です。
私はこの紹介を読んで、イスラム過激派が占拠した地域で理不尽な振る舞いをすることに対する抗議の映画かな?との思いで上映会に臨んだ。
確かに映画のそこここにISIL(イスラム国)を彷彿とさせるイスラム教過激派が住民に対して理不尽な要求や惨いリンチをする場面が描かれているが、映画の主人公であるギターンの運命が思いがけない方向へ転がっていくことにイスラム教過激派が特に関わっていたわけではない。たまたま漁師との間の諍いによって彼が持っていた拳銃が暴発したことで警察権力まで掌握したイスラム教過激派の兵士にギターンが裁かれるということなのだ。
※ 素手を見せてはいけないという過激派の指示に逆らったために弾圧される女性の嘆きです。
つまりギターンの運命が思わぬ方向へ転がっていく直接の原因にイスラム教過激派は関与していないのである。映画はその題名が表すとおりイスラム過激派によって住民が楽しみにしていた音楽を取り上げてしまったことを示唆する題名なのだが、映画のストーリーはギターン一家の悲劇が主たるテーマのように思えた。このあたりが私にはどうも釈然としない思いが残った映画だった。
映画を観終えて会場を出たところで、観客の方がその点をスタッフに問いかけていた方がいたが、あるいは同じ思いだったのかもしれない…。
聖火リレートーチ
次の話題であるが、新聞に「ビッグカメラ札幌店」で東京オリンピック2020の聖火リレートーチを展示しているとの記事が出ていたので、映画の帰りに寄ってみた。
トーチはお店の総合案内のところに置いてあったが、多くの人たちが写真を撮るために集まっていた。トーチは2本展示されていたが、2本の色が違っているのに気づいた。一本は金色、もう一本はブロンズ色だった。予備知識無かった私は、その点をスタッフに問いただしたところ金色がオリンピック、ブロンズ色がパラリンピックのためのトーチだということだった。トーチの特徴は炎の吹き出し口のところが桜の花びらを模しているところだそうだが、そこのところもしっかりと撮ることができた。
※ オリンピック聖火リレー用の金色のトーチです。
※ こちらはパラリンピック聖火リレー用のブロンズ色のトーチです。
※ トーチを真上から見ると炎の吹き出し口が桜の花びらを象っています。