アフガニスタン人民のために全身全霊をかけて支援に取り組んでいた中村哲医師が昨年12月4日、何者かの凶弾に倒れたことは記憶に新しい。その中村医師のお別れ会が福岡市で営まれた本日、それに連動して札幌市のおいても「中村哲医師 追悼の集い」が開催されたので参加した。
本日(1月25日)夜、エルプラザホールにおいて「中村哲医師 追悼の集い」が開催された。会場の定員は320名だそうだが、関心の高さを反映して立見席が出るほど多くの人たちの参加の中で開催された。
代表の方の挨拶の後、中村医師にとって生前最後となるDVD「用水路が運ぶ恵みと平和」(2016年刊)が放映された。それは奇しくも中村医師が1984年にパキスタンのペシャワールに医療奉仕団として赴任して以来、アフガニスタンにおける3年前まで全活動を網羅したものであった。
実は私は中村医師が2011年5月に来札して講演した際に、同じエルプラザホールにおいて中村医師のお話を直接伺ったことがあった。(その時の記録はこちらhttps://blog.goo.ne.jp/maruo5278/d/20110523)そのときは確か用水路建設のための資金援助を求めての全国行脚の一環だったと思われる。中村氏はご自身の行動を特別に誇るでもなく、むしろ淡々とご自身の考え、実践を語っていたのが印象的だった。私はむしろその姿に氏の誠実さを感じ、その姿勢に打たれたことを記憶している。
ところが今夜の集会は、その後私の期待とは少し方向が違ってきてしまった。というのも、この日の集会は「北海道パレスチナ医療奉仕団」が主催で、集会名も正式には「中村哲医師 追悼の集い」+「第13次パレスチナ医療・こども支援活動報告会」となっていた。主催者としてはむしろこちらの方が主眼だったようだ。したがってDVD放映の後は、報告会が主となってしまった。こちらの活動も尊い活動ではあるが、その報告は割愛させていただく。
そこで今夜の集会で渡された文書の中に、中村医師が生前に語った印象的な言葉が紹介されていたので、その言葉を紹介したい。
◇病気やけがの背景を解決しなければ、本当の予防と治療にはならない。
◇小さな希望を実現することが大切。戦よりも食料自給。武器ではなく命の水を。
◇100万発の銃弾より、1本の用水路。
◇憲法は、我々の理想です。理想は、守るべきものじゃない。実行すべきものです。
◇憲法9条は、近代の歴史を背負う金字塔。しかし、同時に「お位牌」でもある。平和憲法は、戦闘員200万人、非戦闘員100万人、戦争で亡くなった約300万ランの人々の位牌なのだ。
◇ことを思い立ったら、直ちに取り組んでください。
◇どんな小さな希望でもその実現のために力を尽くしなさい。
◇最初は小さなことでも継続すれば、現地の住民との信頼関係が生まれます。
どの言葉も、中村医師が言うから重い。そして素直に私たちの心に浸み入る。
今夜の集いでは、中村医師の活動を中心的に支えてきた「ペシャワール会」の追悼号(号外)が渡された。その中にはペシャワール会の主だった方々と共に、奥様、長男、長女の方の寄稿文も寄せられている。貴重な会報である。整理下手の私だが、長く保存したいと思っている。