今年も何とか初滑りを終えることができた。最近は年に一二度滑るだけであるが、今日もなんとか昔取った杵柄で無事に滑り終えることができた。それにしてもスキー場は閑古鳥が鳴く状況だった…。さらにはなんととんだ災難にも遭遇した。
本日(1月24日)、特に予定もなかったのでスノーシューにでも出かけようかと思っていたが、寝過ごしてしまいスノーシューで遠くへ行くことが難しくなった。そこで近間のban.Kスキー場でシーズンの初滑りをすることにした。
※ ban.Kスキー場は全コースオープンと謳っていたが左右のリフトは休止状態だった。
ロッカーからスキーを引っ張り出し、ban.Kスキー場に着き硬いプラスチック靴を苦労して装着し、チケット売り場に着くとちょうど12時だった。シニア4時間券(2,600円)を購入して「さあ!久しぶりに楽しもう」としたとき、手にしているストックの片方が違っているのに気づいた。急いでスキーを立てかけたところに行ってみたがそこには跡形もなかった。チケットを購入するほんの僅かな時間に取り違えられてしまったらしい。片方だけ取り違えたのだから意図的なものではないと思う。私はスタッフにお願いし、場内放送をかけてもらったが、間違えた方は現れなかった。幸い長さは大して違いがなかったので、間違えた人が現れるまで左右違うストックで滑ることにした。
※ 午後0時半ころのメインゲレンデの様子です。
久しぶりのスキーは1本目こそやや安定を欠いたが、やや後傾になっていることに気づき、それを修正してからは安定して滑ることができた(と思っている)。しかし、哀しいかな体力の衰えは覆うべくもない。リフトで5本を滑ったころには大腿部の筋肉が硬直しているのに気づいた。時計を見ると、滑り始めてからまだ40分程度しか経っていなかった。
※ スキーロッジ前のスキー立てに立てかけてあるスキーも少なかったです。
一休みを入れ、それからも同じ本数滑ったが、もういっぱいいっぱいだった。結局スキーを脱いだのは14時15分、実質的には2時間に満たない初滑りだった。結局、瞬間的に大きな負荷のかかる運動に耐える筋力がもはや失われてしまった…ということか?ちょっと寂しい気分だが、いたしかたないことか?
ことスキーに関して、私は特別な思い入れがある。聞きづらい話になるかもしれないが、少々お付き合い願いたい。
※ 閉鎖されたコースでは人工降雪機が稼働していました。
私が若かったころは、冬といえばスキー一色だった。特に20代の頃は、スキーの準指導員の資格取得を目指して夢中にスキーに取り組んだ。準指導員が目前の頃などは年間50日を超すほどスキーに打ち込んだ。(というのも、勤務後に夜間スキーに通っていたのだ)
30歳の時に待望の準指導員の資格を取得し、それから3年後には無事に指導員の資格を得た。指導員の資格を得てからは、その名の通りスキーの指導に没頭した。地域のスキー振興のために少しは貢献できたのではとの自負はあるつもりだ。海外スキーにもスイス・フランスとカナダへと2回の海外スキーも体験した。
※ スキー場内にはご覧のように閉鎖されたところが何か所もありました。
「もうおスキーも腹いっぱいかな?」と思い始めた時期と、職場で管理職となる時期が重なった。すると、スキー指導に出かけることが徐々に困難になり始めた。一校を預かるような立場になると、夜間のスキー教室の指導はほぼ困難となってしまった。そうしたことが重なり、やがて指導員の資格を返上することになってしまい今日に至っている。しかし、中には管理職となっても工夫をしながら熱意をもって指導員を継続されてきた方もたくさんいらっしゃる。私はその意味では意思の弱い人間である。スキーに情熱を傾けた時期を懐かしく思い出している。
さて、現実に戻ろう。ban.Kスキー場は閑散としていた。少雪の上、平日とあってゲレンデはガラガラだった。目立つのはスキー授業の中学生と、中国から来た人たちだった。リフトにも乗っている人が数えるほどだった。昔のスキーブームを知っている一人としては寂しいかぎりだが、これも時代の流れ、致し方のないことか?
※ スキー授業中の中学生です。
※ さすが雪国・札幌の中学生なかなかの足前に映りました。
結局、間違えられたストックは私の元へは戻らなかった。以前ならすぐに新しいものに買い替えるところだが、今はそんな経費をかけるつもりはない。左右の違ったストックを使用するのも悪くはない、と考えるほどスキーへの情熱が冷めてしまった私である。