ご存知の映画黎明期の喜劇王と称されたチャールズ・チャプリンの代表作の一つである。1936(昭和11)年制作ということだが、機械文明が発達する中で人間が翻弄される姿を笑いと共に表現した秀作である。
本日(1月23日)午後、かでる2・7において今年初の「懐かしのフィルム上映会」があり参加した。今回取り上げられたフィルムは、チャールズ・チャプリンが監督・製作・脚本・主演を務めた「モダン・タイム」だった。
「モダン・タイム」は過去にも見たことがあるが、チャプリンが機械に挟まれるところとか、最後のシーンで恋人と夕陽の中を歩いていくシーンが印象に残る映画だった。
映画では冒頭に経営者に管理されながら、流れ作業の中、まるで機械に振り回されるように強制されるチャーリーの姿が映し出された。その当時の日本はどうだったのだろうか?紡績工場などで女工さんがやはり機械に振り回されていた時代だったのか?いずれにしても産業革命によって機械化がどんどん進み、人間が阻害されている状況をチャプリンは笑いと共に鋭く風刺している点が印象的である。
あまりの非人間的な工場現場の中、チャーリーは発狂してしまい精神病院送りとなってしまうが、それから数々の変転が描かれている。そうした中で、実生活でもパートナーとなった少女と出合い、同じ境遇の二人は心を通わせることになる。
チャプリンの演技で印象的だったのは、例のチャプリン歩き(という表現が適切かな?)とともに、まるでマイケルジャクソンが編み出したムーンウォークを彷彿とさせるような歩き方を当時すでにやっていたことに驚いた。また、我が国で一世を風靡したドリフターズのお笑いの原型のようなものも映画の中でふんだんに織り込まれていたのも驚きだった。
映画を観ていた人たちの反応は、どの場面でも「クスッ」といった反応だったが、それはチャプリンの笑いが今の人にはある種当たり前と受け取られるからであり、1936年当時だと、映画館内は爆笑の渦に包まれたのではないかと思われた。
解説によると、この「モダン・タイム」や「独裁者」、「殺人狂時代」などは社会風刺が強調され過ぎているだとか、政治的であるなどの理由からパッシングにも悩まされたそうだ。しかし、それはチャプリンが単なる喜劇役者の範疇を超え、社会的な影響力を持つ映画人として大成していたことを表す証拠であるともいえる。
チャプリンの代名詞ともいえる窮屈な上着に、だぶだぶのズボン、大きすぎる靴、山高帽に竹ステッキのいでたち、そしてパーマ頭にちょび髭、アヒルのように足を広げてガニ股で歩く姿は、今なおチャプリンのオリジナルとして通用するところに彼の偉大さを見る思いである。