田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札響 & NHKウィンターコンサート

2010-02-18 19:39:38 | ステージ & エンターテイメント
NHK教育テレビの「札響&NHKウィンターコンサート ~名曲への誘い~」の公開番組収録のペア鑑賞券を入手することができ、妻と二人で札響の演奏、ダカーポの歌、清水ミチコさんの多才ぶりなどを楽しんだ。

                         

 コンサートの趣旨が今一つ理解できなかったのだが、おそらく想像するに「名曲への誘い」というよりは「オーケストラへの誘い」という色合いが濃いように思えたコンサートだった。
 というのもコンサートの構成が、第1部「音楽の似合う北海道」、第2部「札幌姉妹都市の旅」、第3部「オーケストラは面白い」、第4部「銀盤の上の音楽」となっていて、それぞれのテーマに沿った曲を札響オーケストラが演奏する形をとっていたからだ。

 2月16日夜、公開収録は札幌コンサートホール“キタラ”で行われた。
 外は雪が深々と降る真冬の様相だったが、キタラの中は温かな空気と穏やかな雰囲気に満ちていた。
 コンサートはまずオープニングとして札幌の冬の代表曲「虹と雪のバラード」で始まった。爽やかな札響サウンドにぴったりの曲である。

 続いて、第1部に入り、北海道の歌メドレーと題して「宗谷岬」、「知床旅情」、「襟裳岬」、「函館の女」とメドレーで演奏された。札響もびっくりの演歌、フォークの曲オンパレードである。しかし、これも編曲(藤野浩一)の素晴らしさだろうか、少しの違和感もなく耳に心地良かった。
 そしてダカーポ親子が登場した。彼らは持ち歌の「宗谷岬」、「ふたすじのレール」を札響オーケストラをバックに気持ちよさそうに歌って聴かせた。

 第2部は札幌の姉妹都市に関係のある曲をチョイスして演奏するというものだった。
 アメリカ・ポートランドは「映画『大いなる西部』」、ドイツ・ミュンヘンは「歌劇『ローエングリン』」、中国・瀋陽は「草原情歌」、ロシア・ノボシビルスクは「組曲バレエ『くるみ割り人形』」がそれぞれ演奏された。

 第3部はそれまでもNHKの伊藤雄彦アナと軽妙なやりとりで会場を和ませていた清水ミチコさんがオーケストラの魅力を紹介するということだったが、それよりはむしろ清水さんの多才ぶりを披露する場になったような感じだった。彼女はいわゆる物真似を得意とするタレントとして私も知っていた。その片鱗は司会をしながらも披露していたのだが、彼女にはピアノ演奏という隠れた特技あったようだ。ピアノを駆使しながら、五輪真弓風、松任谷由実風、モーツァルト風、ベートーヴェン風と一つの曲をモチーフにして、いかにもそれらしく弾き分けたのだ。
 さらには、新井満の名曲「千の風になって」を札響をバックにピアノの弾き語りを披露した。そのときの声がまた彼女の地声ではなく、男性歌手のような声音で歌ったところは一ひねり効かせた演出だったのだろうか。
 そして清水さんリクエストとして耳馴染みのベートーヴェンの「『運命』第一楽章」が演奏された。

 最後の4部は現在行われている冬季オリンピックを意識したのだろうか。「銀盤の上の音楽」と題して、日本の女子フィギア陣が使用している(していた)曲が3曲演奏された。それは・・・、
 浅田真央選手が使用する「組曲『仮面舞踏会』」、安藤美姫選手使用の「ドラマ『ROME[ローマ]』メインテーマ」、そしてトリノオリンピックで優勝した荒川静香選手が使用してすっかり有名になった「歌劇『トゥーランドット』~“誰も寝てはならぬ”」が演奏された。
 
 私にとって札響はいつ聴いても安心して聴ける素晴らしいオーケストラである。キタラに集った多くの人たちも同じ感想を抱いたと思う。と同時に清水ミチコの多才ぶりを見せられたコンサートでもあった。

 なお、このコンサートの模様は2月28日(日)NHK教育テレビで15時~16時30分にかけて北海道内だけで放送されるそうである。

南の島へ Ⅱ

2010-02-17 16:52:53 | 道外の旅

 昨年の旅に比べなぜ今回の旅はエキサイティングな旅と云えないのか? それは旅する形にあると云えそうだ。

 旅する形・・・。
 昨年は「石垣島2泊8日の旅」というスケルトンツアーと云われる旅だった。
 つまり、石垣島往復の空のチケットと石垣島の2泊分のホテルは確保されるものの、その間の5泊は自分が計画し、自分で空や海のチケットを確保し、自分で宿を手配しなければならない旅だった。
 ところが今回の旅は、4泊5日ながら空のチケットも、宿も(しかも朝夕食付き)全てが組み込まれたチケットなのだ。
 その点では私が工夫する余地は全くないのだ。

        

 最近、「『地球の歩き方』の歩き方」という本を読んだ。
 私は「地球の歩き方」世代ではなく、それより先の時代にバックパッカーとしてヨーロッパ、アジアを彷徨したのだが、同著はとても興味深く読むことができた。
 その中でスケルトンツアーなる言葉を知った。つまり、外国旅行において空のチケットと前後泊のホテルは確保されるものの、後はスカスカでその部分は自分で埋める旅、ということからスケルトンという名が付けられたと思われる。

 国内の旅でもスケルトンツアーは大流行で、私の今回の目的地にもスケルトン的なツアーがたくさんあった。
 その中には一見有利そうなツアーもあったのだが、冷静に判断したとき、今回はスケルトンよりは全てが組み込まれたものの方が有利と判断したのだ。
 そして私は今回、旅する形よりは、旅の内容でエキサイトする内容を選択したのだ。

 旅の内容でエキサイトするとは?
 次回、そのことを語ってみたい。
 


地域発展の意味を問う

2010-02-16 16:41:25 | 札幌学 & ほっかいどう学
 講師は受講者に投げかけた。地域の発展を経済の領域拡大だけを追い求めることから脱却すべきではないのかと・・・。
 
 北海道新聞と小樽商科大学が共催する「時代が読める経済・ビジネス講座」の受講券が1月に続いて舞い込んだ。
 2月13日、札幌駅近くの小樽商大サテライト教室で「公共事業依存からの脱却を目指して」と題して小樽商大准教授の田中幹大氏が講義したのを受講した。

          

 田中氏は概ね次のような構造で話された。
 北海道の経済は公共事業(土木建設業)に負うところが大きいが、その公共事業は1993年当時と比べると2006年には半減してしまっている。その公共事業がこの先大きく復調するとは考えられない。
 日本経済が現在やや復調気配にあるのは製造業の好転である。
 その製造業の代表として北海道に進出している「トヨタ北海道」を例にして考えると、トヨタの好況につられて下請けも恩恵にあずかっているが、その下請けで「トヨタ北海道」に部品を納入している道内企業は6社にすぎない。
 その「トヨタ北海道」も企業としての意志決定をする権限はなく、あくまでトヨタ本体からの指示・命令に左右される。親会社の動向により業績が左右される下請け製造業に大きく期待はできない。
 そうした中、「食」を通じて地域・経済発展に取り組む十勝・帯広の動きを注目した。

 その十勝・帯広の動きとは・・・、
 ◇食品加工技術センターとの連携による食品開発
 ex.丸勝の「酢」、「鮭節」、「枝豆サラダ麺」など…。
 ◇「北の屋台」を通したまちづくり ~ 地産地消
それらの動きが十勝・帯広では点の動きから線の動きに成りつつある。

 そして田中氏は次のように締め括った。
 十勝・帯広では地域住民が生き生きとしてこうした取り組みに参加している。
 地域の発展の意味を量的拡大の面からのみ捉えるのではなく、地域が元気になる、人が元気になることも地域の発展として捉える考え方があっても良いのではないか。地域が元気になり、人が元気になることが、やがて量的拡大に繋がることもあると思う。
 そして将来の展望として、「食」を通じての中国への展開を視野に入れるべきだとして講義を終えた。

        
        ※ 講義をする田中幹大小樽商大准教授です。

 土木建設業や製造業と、食品加工業や飲食業を同列に論じるにはやや難があるような気もしないではないが、田中氏の結論もやはり北海道の発展は「食」にあり、と見たようだ。
 これまで何人かの経済の専門家のお話を伺う機会があったが、誰もが北海道の発展を考えるとやはり北海道の農畜産漁業の産品を主として戦略を立てよ、と云っていたようである。
 識者の見方・考え方は一致している。問題はいかに戦略的にこの課題を克服していくかということのようだ。官民一体となって課題を克服し、北海道新時代の到来を目指してほしいものである。

 まったくの専門外と思い遠ざけていた経済のお話ですが、こうして何度か話を伺っているうちに面白くなってきましたね。

南の島へ Ⅰ

2010-02-15 17:01:12 | 道外の旅

 この季節になると南の温かさが恋しくなる。三たび、南の島を目ざすことにした。諸般の事情で実現は少し先になるが、南の島を目ざすことにした。
 
 あれこれとウィンタースポーツに取り組んでいる自分だが、ホンネの部分ではどうも南の島の温かさが恋しいようだ。
 今年もまた、一人で南の島を目ざすことにした。
 昨年、一人で沖縄の離島を巡った旅は、私の中に眠っていた学生時代に経験した旅の醍醐味を覚醒させてくれた。
 沖縄の離島から帰宅して、エキサイティングな一人旅を嬉々として語る自分を見て、妻は「また行ってきたら」と私の背中を押してくれた。

 いろいろと考えを巡らせた。
 昨年のような旅もいい。しかし、二番煎じのような感じもする。
 私の中では「今しかできない旅」というのが一つのテーマになってきた。と同時に、日数や資金の問題も当然考慮の対象となってくる。

 私は一つの決断を下した。
 「今しかできない旅」・・・、体力の衰えを自覚する今、「これしかない」と・・・。
 4泊5日で南の島へ。
 昨年のようなエキサイティングな旅とは一味違うけれど、私にとっては十分エキサイトできる南の島の旅だ。
 全ての手配を終え、職場の有給休暇も申請し、3月4日の出発を待つばかりである。

 南の島・・・、それを今日は明かさないことにします。

 出発までまだ少々の時間がある。
 その間、また旅についていろいろ考えを巡らせてみたい。


和式カンジキと洋式カンジキ(スノーシュー)と

2010-02-14 22:00:32 | 札幌ウォーク & Other Walk
 和式のカンジキと洋式のカンジキ(スノーシュー)とを履き比べる意味もあり、一日で両方のカンジキを体験し、雪上ハイキングの魅力を満喫した。ところがこの時、愉快な錯覚があった・・・。        
        
        ※ 滝野公園の雪上を歩く。こうして足跡のないところに踏
         み跡を残すのは雪上ハイクの醍醐味です。        
 
 ここに三流の旅行社が企画したような旅行企画書がある。まずそれをご覧に入れることにしよう。

「冬の札幌満喫ツアー」のご案内 
 冬の北海道にはいろいろな楽しみ方がございます。
 そこで当ツアーデスクでは数ある楽しみの中から、自分の身体も少々使い、リーズナブルでありながら札幌の自然を満喫する健康的なツアーをご提案申し上げます。
 このツアーの最大の特長は、一日で和式のカンジキと洋式のカンジキ(スノーシュー)の両方を体験できるところにあります。体力的にも無理のない、きわめて健康的なツアーと自負しています。
ご検討いただき、ぜひともご参加いただきますようご案内いたします。

                               ツアーデスク「C & T 企画」

◆日 時  平成22年2月11日(祝)午前9時 JR「桑園」駅集合
◆目的地  1) 札幌市南区 滝野すずらん丘陵公園
        2) 札幌市南区 札幌芸術の森
◆体 験  1) 滝野すずらん丘陵公園では、「スノーシュー」をレンタルし、設定されたコースを歩きながら滝野の自然を満喫する。(約2Kmくらいです)
         滝野すずらん丘陵公園は北海道唯一の国営公園として、夏も冬も多くの道民が訪れ、雄大な滝野の自然を楽しんでいます。
      2) 札幌芸術の森では夏季間は有料の野外美術館を、冬期間は無料開放しています。雪の中に見え隠れする73体の彫刻を和式の「カンジキ」を用いて歩いて雪の野外美術館を見て回ります。(こちらも長くて約2Km程度です)
◆費 用  ◇「スノーシュー」、「和式カンジキ」ともに無料でレンタルしてくれます。
      ◇駐車場代 滝野すずらん丘陵公園 400円  札幌芸術の森 500円
             ※お客様にご負担いただきます。
      ◇昼食は滝野すずらん丘陵公園内に複数のレストラン、軽食ショップなどがあり、市内価格で食事を摂ることができます。
◆日 程  9:00       JR「桑園」駅前集合(移動) 
     10:00       滝野すずらん丘陵公園着 
     10:00~11:30 スノーシューで滝野の自然を散歩する。
     11:30~12:30 昼食(滝野公園内レストラン等) ※昼食後移動
     12:45       札幌芸術の森着 
     13:00~14:30 野外美術館観賞 
     15:30頃      JR「桑園」駅前(解散)

◆移動手段 当ツアーデスクの方で乗用車をご用意いたします。
※ なお、当ツアーの利点は当日の天候により、催行を行うかどうかの判断ができるところにあります。催行がもし中止となった場合にも違約金の発生はございません。

        
      ※ 札幌芸術の森の野外彫刻の一つ。「走行世界」田金鐸作とありました。


 以上のような案内書を私が作り、友人夫妻を誘おうとしてメールで送った。
 すると友人夫妻は先の案内書を本当の旅行社の企画と錯覚したようなのである。
 つまり、私が旅行社の案内書を入手し、それを友人夫妻のところへ送り「一緒に参加しませんか」と受け取ったというのである。(う~ん。そんなに出来の良い案内書かなぁ?)

        
        ※ スノーシューとストックが無料で貸与されます。(滝野公園)

 あまり戸外へ出るのを好まない友人夫妻ははじめ参加を断ってきた。
 その後、私の脅し(?)にも似たような説得でどうにか参加の同意を得た。(この時点でも私は私自身が企画したものとして話をしているのだが、友人夫妻はまだ旅行社の企画だと思っていたらしい)
 当日、友人の奥さんの方はやはり団体行動は自信がないと桑園駅頭には姿を現さなかった。

        
        ※ こちらは芸術の森で貸与された和式のカンジキと長靴です。

 話は長くなってしまったが、肝心の「冬の札幌満喫ツアー」の方は絶好の天候に恵まれて、雪上ハイキングの魅力を満喫した。
 滝野すずらん丘陵公園ではスノーシューを、札幌芸術の森では和式のカンジキを体験することが出来た。
 難を云えばどちらのコースもしっかり踏み固められたコースだったために、その魅力を十分に堪能したとはいえないかもしれない。ただ、滝野公園では少しコースを外れて新雪を歩いてみたのだが、これぞ本当の雪上ハイクの魅力ではないかと思えた。

        
        ※ 夏はなかなか分け入ることのできない滝野公園の森の中です。

 両者の比較だが、一度では何とも云えないというのが本音である。どちらにも長短があるように思える。もう少しいろいろなシチュエーションで比べてみると両者の特徴がはっきりしてくるように思える。
 しかし、企画書にあるとおりリーズナブルに両者を体験することが出来るので、皆さまにもお勧めである。

 友人夫妻はだんなが家に帰り着いてからの夫妻の話で、ようやく私が作成した企画書と確信したらしい。私の家の電話が鳴ったのは、帰宅してホッと一息ついた後だった・・・。

        
        ※ 野外彫刻の一つ、「コタンクルカムイの詩」と題された米
         坂ヒデノリさんの作品です。


アクセス絶好調!! 
 おかげさまでこのところアクセスが絶好調である。
 特にこの一週間のアクセス数の伸びには私も驚いている。
 2/07~2/13の間の一週間の訪問者数の合計が2,418を記録した。これは、gooの全投稿ブログ1,366,119の中で2,752位とのことだ。
 この数字は、一日あたり345人の方が訪問してくれている計算になる。もちろん私にとってはこれまでの記録の大幅更新である。拙ブログにアクセスしていただいている方に感謝、感謝である。
 原因を探ると、どうやら2月2日に投稿した 映画「インビクタス/負けざる者たち」の投稿が影響しているようだ。
 反作用が怖い。こんな地味なブログですがこれからもぜひ覗いてみてください。


EZO音楽祭 in 時計台ホール

2010-02-13 20:14:48 | ステージ & エンターテイメント
 今年もEZO音楽祭に参加し、たくさん(?)のミュージシャンの音楽に触れることができた。そこで私はある種の感慨を抱きながら彼らの歌を聴き入った。
 
 今年で3回目となる「EZO音楽祭」だが、いつも「さっぽろ雪まつり」に合わせるように開催されている。
 この音楽祭は札幌在住のミュージシャン浅川のぶ氏が主宰する「蝦夷音楽企画」が道内外のミュージシャンに呼びかけ、市民やさっぽろ雪まつりで訪れた人たちに無料で提供されている音楽祭だ。
 今年は2月8日から札幌時計台ホールで3夜連続で行われたが、私はスケジュールの都合上最後の10日だけの参加となってしまったので、リード文の「たくさんのミュージシャン~」というのはいささか語弊がある。

 10日にステージに上がったミュージシャンは、
 ◇さかもとふみや with 仲豊夫(関西在住)

        
        ※ 左側がさかもとふみやさん、右側が仲豊夫さんです。

 ◇田代ともや(埼玉在住)

        

 ◇浅川のぶ with 末松義密(札幌在住)
      
        
        ※ 右側が淺川のぶさん、左側が末松義蜜さんです。

の3組だった。メインの三人は全て50才代という年季の入ったシンガーたちだった。

 それぞれ長い間歌い込んできただけあって、味があり、個性が確立している歌い方だった。
 また、50代は声を張り上げてもメロディーが乱れないだけの声量も失っていない。
 十分に聴き応えのある歌声と感じた。

 特に私は「田代ともや」の伸びやかな歌声が魅力的に聞こえた。
 彼は音楽活動を通して、アフガニスタンの子どもたちへの支援活動を行っているそうだ。
 そちらの活動ではかなり有名らしいが、彼が歌った「アフガンの大地」という曲はアフガンをよく知っている人だからこそ創れた曲のように思えた。

 ところで私が抱いた感慨とは・・・。
 登場した人たちが全て50代だったこともあり、人生の後半戦を迎えた彼らの生き様が気になった。
 好きな歌を自らの生業とし、メガヒットを夢見ていたかもしれない。
 しかし、その夢は果たせないまでも、サラリーマンのような安定的な生活はできなかったとしても、彼らに悔いはないだろう。
 好きな歌をこれまで続けてこられたのだ。そして彼らは彼の歌で、人々に何らかの影響を与えることができたのだから・・・。

 田代ともやさんは、前述のようにアフガニスタンの子どもたちのために彼の力を注いでいる。
 さかもとふみやさんは、筋ジストロフィーの患者を勇気付けるために曲を創り励ましている。
 淺川のぶさんは、特に紹介はなかったけれど彼も彼なりに何らかの行動を起こしているのだろう。

 いろいろな人生があっていい。
 三人が三人とも、50才を過ぎてなお前を向き歌の力を信じて歌い続けている姿が美しかった・・・。

        
        ※ 最後に三日目に登場した全ミュージシャンがステージに
         上がり、さかもとふみやさんが創った筋ジスの子を励ます
         「まんまるラブ」を熱唱しました。

市民カレッジ「さっぽろ『食』の事はじめ」 №2

2010-02-12 21:09:43 | 札幌学 & ほっかいどう学
「平岸リンゴ」今むかし

 明治の一時期、北海道がリンゴの生産額全国一だった時期があるという。その主産地が札幌の平岸地区だったと・・・。現在の平岸の様子からは想像もつかない。まさに「平岸リンゴ」今昔物語である

        
        ※ 直接講義とは関わりないが、講師の斎藤氏からプレゼン
         トされた「陸奥」という品種である。これは無袋(袋を被せず)
         で育てたので黄色い色をしているそうです。

 市民カレッジ今シリーズ2講目は2月9日(火)に行われた。
 講師は、弘前大学名誉教授で長い間リンゴの研究を続けてこられた斎藤健一氏が務められた。
 斎藤氏は実家が平岸でリンゴ農家を営まれていたという希有なリンゴ研究家である。

 平岸のリンゴはやはり西欧から来道した開拓史によって明治8~10年頃に苗木を導入したことが始まりである。
 苗木を配付されてもリンゴの苗木など初めてのため半信半疑であったという。
 ところが定植後数年経ち、美味しい味・食感・芳香などに驚き、本格的にリンゴ栽培に着手するようになった。
 特に平岸地区は大消費地札幌に隣接していたことで徐々にリンゴ園経営者が増えいったという。
 明治の末期から大正、昭和にかけて平岸のリンゴ栽培面積は伸び続け、昭和22年の作付け分布図を見ると、豊平川沿いがリンゴ園で埋まっているのが分かる。(この様子を「ベッタリリンゴ園」とか「リンゴの樹海」と称したようである)札幌の他の地域(本村、山鼻、白石、中島)が明治末期を境に衰退していったのとは対照的である。

 開拓史によってもたらされたリンゴ園の経営は全道的に広まり、札幌以外では特に空知地方が一大産地だったようである。
 そうしたこともあって明治37~40年にかけて北海道のリンゴ生産額は青森などを上回り全国一に輝いていたと記録にある。その後は青森県にその座を奪われたが・・・。

 他のところとは違い、大正、昭和になっても平岸のリンゴ経営面積は伸び続けたが、やがて平岸にも転換期が訪れた。
 昭和20年代後半になって、樹勢低下、品種更新の遅延、気象災害の続発、大規模病院や住宅団地の開設など地域の住宅化が進み、リンゴ園を経営する農家が徐々に減り始めた。
 それでも昭和46年の分布図ではまだ僅かに残っていたリンゴ園だったが、昭和50年頃には消滅してしまった。

 今、リンゴ園が盛んであった平岸の辺りを歩いてみても住宅が密集していて、その痕跡を見出すのも難しい。
 環状通の中央分離帯にあるリンゴ並木、その一端に建てられた「リンゴ並木の碑」、そして平岸郷土資料館の中などにその名残を見ることができる。

 以上、「平岸リンゴ」今昔物語である。

        
         ※ これも直接講義とは関係ない写真だが、講師の斎藤
          氏がたくさんのリンゴの品種を持ち込んでその多様な品
          種を紹介してくれた。もちろん平岸産ではない。
          

引退間近?原始林クロカン大会

2010-02-11 17:27:08 | スポーツ & スポーツ観戦
 よたよたと走り(滑走し)ながら、体力のなさを痛感し「もうそろそろ引退かなぁ…」などと考えながら、野幌の原始林の中を走ってきました。
 
 2月7日、私にとって今シーズン3戦目となる「原始林クロスカントリースキー大会」が江別市で開催され参加してきた。
 吹雪模様で当初どうなるかと心配されたが大会は予定通りに行われた。
 今回はレースと同時進行で、私の心の内を描く形でレポートしてみることにする。

        
        ※ 10Kmの部のスタート前の様子です。スタート時は雪が
         舞い降りるコンディションでした。
         
 午前10時、10キロの部が一斉にスタートした。
 今回は無理して前の方には出ずに、後方からスタートした。「すぐに辛くなるんだからゆっくりゆっくり」と自らに声を掛けながら…。
 それなのに1キロも行かないくらいの頃から、呼吸も、脚の筋肉も辛さが顔を出し始めた。
 ぐっと我慢しながらペースを守って走り続ける。すると、中に周りのペースより遅い人が私の前に来たりする。やむを得ずそうした人を抜こうとするとペースを上げねばならない。これが呼吸にも、脚にも相当のダメージを与える。

 大した山坂はないコースなのだが、こうした繰り返しの中で体力をすっかり使い果たし4キロも行かないところで我慢の限界を超えた。一呼吸入れるために立ち止まった。後続のスキーヤーが次々と追い抜いていく。
 立ち止まりながら考えた。「そろそろ引退かなぁ」と…。

 一呼吸おいて再び走り始めた。
 「10Km中間点」の表示を目にしたとき、「え~、まだ中間点?」と思い、ガックリきた。
 空はいつの間にか雪が止み、雲間には青空さえ見え始めている。
 スピードは出ないものの、懸命にストックで押し、足を前に出しスキーを前へ進める。
 背中も、額も汗びっしょりだ。

 この頃になると、後方集団は前にも後にも人が見えず、一人旅となる。
 この状態が精神的には良い。ひたすら自分の世界に入って、ただただスキーを前へ押し出すことに専念できるからだ。すると不思議なことに身体の状態も良くなってくる。疲れてはいるものの、辛さをそれほど感じなくなるのだ。いや、それは不思議でも何でもなく、自分の体力に合ったペースで走っているということなのだろう。

「あと3Km」、「あと1Km」の表示も激励してくれている表示のように見えてくる。
 今回もまた、1時間も雪上で格闘の末にゴールした。
 サポート役で一緒に来てくれた妻は私の成績には大して関心がないらしく「そんなに遅い方ではなかったんじゃない」と慰めにもならないノー天気なことを云ってくれた。

 ゴール後のブタ汁が美味しかった…。

        
       ※ 出場者のために用意されたテント内で準備する選手たちです。          

立松和平氏に捧ぐ

2010-02-10 23:06:04 | その他
 突然の訃報に驚いた。多くのファンが、そして氏と触れ合った多くの人が、それぞれ氏へのオマージュを捧げていると思うが、私も私なりの言葉で氏にお別れの言葉を捧げたいと思う。

 和平さん(とここでは呼ばせてください)、あまりの突然の訃報に驚いています。
 あなたと大して触れ合ったわけではないけれど、私なりにあなたのことを振り返り、静かにご冥福をお祈りしたいと思います。

 和平さん、私が提案したあなたの息子さんの林心平氏との「親子連続講演会」を快く引き受けていただき、ありがとうございました。
 あなたもやっぱり人の子の親、講演会で息子の心平氏のことを嬉しそうに語り、ライターとして自立した息子のことを気にかけていることを知り、あのような企画が閃きました。
 「立松和平親子連続講演」はオホーツク地方の都市で「私が北海道に魅(み)せられた理由(わけ)」~立松親子北海道の自然を語る~と題して実現することができました。
 私はその講演会を聴くことができなかったのですが、講演を聴いた人たちからたくさんの謝意をいただきました。ほんとうにありがとうございました。

 次には、私がちょうど一年前、沖縄の離島を旅したときでした。
 旅する前に息子さんの心平氏からあなたの著書「サトウキビ畑のマレビト」という本を紹介していただきました。そこにはあなたの若かりし頃「サトウキビ刈り援農隊」に加わり、サトウキビ刈りに苦闘した様子が描かれていました。あなたの素晴らしい行動力と観察力の鋭さに触れた思いでした。
 与那国島を訪れ「「サトウキビ刈り援農隊」の人たちの姿を見たとき、和平さんの若かりし頃の姿が重なって見えました。

 そして何より和平さん、あなたを多くの人たちが知ることになったニュースステーションでの「立松和平の心と感動の旅」です。
 あなたが栃木弁で朴訥と語るレポートは多くの人たちを魅了しました。それは単なる口調に対してだけではなく、そこで語られるあなたの自然に対する慈しみ、自然を見つめる優しさを感じたからでした。
 それ以来、私はあなたの講演会に幾度も足を運び、あなたの考え方を吸収しようと努めてきました。
 そんなあなたの講演も昨年10月2日にお聴きしたのが最後になろうとは・・・。

 もっともっとあなたの声を聴きたいと思っていましたが、叶わぬこととなってしまいました。

 ご冥福を祈ります。


JAXA管制官の「宇宙セミナー」

2010-02-09 22:03:06 | 講演・講義・フォーラム等
 現在、野口宇宙飛行士が国際宇宙ステーション(ISS)に搭乗し、日本の実験棟「きぼう」でさまざまな実験を行っているが、その実験をサポートし、実験棟の制御を行っている管制官の一人「村木祐介」さんから直接お話を伺うことができたのだが・・・。
  
 2月6日(土)夕刻、友人に誘われて札幌市青少年科学館で行われた「宇宙セミナー」に参加した。
 科学に弱く、宇宙開発にもそれほど関心があるとはいえない私としては、講師の村木氏が一般の人にも分かりやすくと説明しているにもかかわらず、理解するのに苦労した。
 そのうえ、セミナーはプラネタリウム室を暗くしてパワーポイントによる講義だったためメモもできず、村木氏の話は左の耳から右の耳へという状態だった。
 かろうじて記憶に残ったこと、後付で調べたことなどをもとに、なんとかレポートしてみたい。

 講師を務めた村木氏は札幌出身の方で、JAXA(宇宙航空研究開発機構)では「有人宇宙環境利用ミッション本部」に所属していて、「きぼう」の運用管制チームの中ではFLAT(環境・熱制御系機器担当)の役を担っているということだった。
 このFLATとは後付で調べてみると「『きぼう』内の環境を整える機器や、装置から出る熱を制御する機器の状態を、軌道上からリアルタイムで送られてくるデータによって監視するとともに、それらのシステムに対する制御を地上から実施する」セクションだということだ。(う~ん。なんとなく大切なセクションのようなのだか…)

 講義の最初で宇宙空間の特徴を「微少重力、無対流、高真空、視野が広い、宇宙放射線」の五つにまとめられた。
 この宇宙空間特有の環境の中で、実験棟「きぼう」内では野口さんの手によってさまざまな実験が行われているということだ。
 行われている実験の一つ一つは超科学的なことが多く、科学に弱い私としてはちんぷんかんぷんな話であった。その中から一つだけ多少記憶に残っている話を紹介すると、温度差、濃度差が原因によって起こる「マランゴニ対流」(こうした対流の存在も初めて知った)を微少重力の宇宙空間で起こしてその違いを考察する実験も行われているということだった。

 セミナーを拝聴して、セミナー後にJAXAのことを調べてみて、私なりに抱いた感想は…。
 講師の村木氏を始めてとして、日本の優秀な科学的頭脳がJAXAに集まり、現在のというよりは未来の地球のために日々汗していることを少しは理解できたような気がした。
 また、JAXAの年間予算は平成20年度で2289億円くらいのようである。これを多いと見るか、少ないと見るか? 
 事業仕分けが話題となった国の予算だが、日本の明日を担う優秀な科学者を育て、日本の将来への投資と考えればけっして多い額とは思えないのだが、このレポートに目を通された方はどう感じられるだろうか?