田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

「網走監獄」入獄記

2010-02-24 19:35:36 | 道内の旅

 入獄!? そう博物館「網走監獄」に入獄してきたのです! 2月1日に施設の一部がリニューアルオープンしたという「網走監獄」を覗いてきました。

        
        ※ 通称「赤レンガ門」と呼ばれていた網走刑務所正門です。
          パンフには再現構築されたとありました。
 
 網走市呼人の天都山の麓にある野外博物館「網走監獄」がリニューアルオープンしたと聞いていたので、友人にお願いして連れて行ってもらいました。
 リニューアルしたのは、もと「行刑資料館」と呼ばれていた施設です。その名も「監獄歴史館」と呼称を変えてオープンしたようです。

         
         ※ 「監獄歴史館」に至る前にあった通称「動く監獄」と云わ
          れた本拠地から遠くで作業をするときの仮の宿舎を再現し
          た「休泊所」の内部です。丸太製の枕が見えます。
            
 以前と比べ大きく変わったものの一つは「赫い囚徒の森・体感シアター」という映像設備です。網走刑務所開設当時、満足な食料も医療も与えられずに鎖に繋がれながら国道の開削工事に従事した囚人の様子を体感してもらうというものです。
 さらには、護送時の蓑傘を被ってみたり、鎖を足に繋いだり、土石の入ったモッコを担いだり、丸太の枕に寝てみたり、と当時の囚人の体験ができるコーナー。

        
        ※ 鎖を足首に繋いでみる観光客です。鎖の後ろには重い
         鉄球が繋がっています。
        
 そして、ここだけはちょっと趣の違うコーナーとして現在の網走刑務所の独房と食事の内容が再現されていました。独房(個室)は4畳半の広さがありテレビが付き、食事内容もそれなりに充実していて「えーっ!?」というのが私と友人の感想でした。

 私が以前に訪れたのがいつだったのか記憶がはっきりしませんが、5~6年前のような気がします。その時と変わっていたのはその他に、二見ヶ岡農場、旧網走刑務所職員官舎、刑務所水門などが増設されていたことでしょうか。

 一つ、幸運なことがありました。
 博物館「網走監獄」の呼び物の一つである「五翼放射状平屋舎房」の見学したときでした。
 友人が元網走刑務所の刑務官(看守)をされていた説明員を見つけ、舎房の説明をお願いしました。元刑務官の方は懇切丁寧に舎房のことを説明してくれました。
 何せ元刑務官の方にとっては昭和58年までは自分の職場でもあったわけですから、説明にも具体性と迫真性がありました。
 例えば、比較的軽い罪の囚人をいれる房と、重罪の囚人を入れる房とは違った位置にあり、舎房の造りも違いがあります。軽い罪の房は鉄格子だけですが、重罪の房は鉄格子に網が加わっています。これは外から物を投げ込まれることのないように造っているそうです。
 また、房内で暴れた囚人を取り押さえた経験談などは当人でなければ語れない内容でした。

        
        ※ 「五翼放射状平屋舎房」の一翼の舎房内を写したものです。

 「監獄歴史館」に気になった記述の展示がありました。それは、「彼等は暴戻(ぼうれい)の悪徒であって、尋常の工夫では絶えられぬ苦役に充て、これにより斃(たお)れても、監獄費の支出が減るわけで…」という時の内務卿、後に総理大臣になった山県有朋の言葉です。
 「これにより斃れても…」とは、囚人が労役によって死に至ってもかまわない、と受け取れる発言です。
 現在と当時の人権意識には天と地ほどの差があったことを思い知らされた記述でした。