突然の訃報に驚いた。多くのファンが、そして氏と触れ合った多くの人が、それぞれ氏へのオマージュを捧げていると思うが、私も私なりの言葉で氏にお別れの言葉を捧げたいと思う。
和平さん(とここでは呼ばせてください)、あまりの突然の訃報に驚いています。
あなたと大して触れ合ったわけではないけれど、私なりにあなたのことを振り返り、静かにご冥福をお祈りしたいと思います。
和平さん、私が提案したあなたの息子さんの林心平氏との「親子連続講演会」を快く引き受けていただき、ありがとうございました。
あなたもやっぱり人の子の親、講演会で息子の心平氏のことを嬉しそうに語り、ライターとして自立した息子のことを気にかけていることを知り、あのような企画が閃きました。
「立松和平親子連続講演」はオホーツク地方の都市で「私が北海道に魅(み)せられた理由(わけ)」~立松親子北海道の自然を語る~と題して実現することができました。
私はその講演会を聴くことができなかったのですが、講演を聴いた人たちからたくさんの謝意をいただきました。ほんとうにありがとうございました。
次には、私がちょうど一年前、沖縄の離島を旅したときでした。
旅する前に息子さんの心平氏からあなたの著書「サトウキビ畑のマレビト」という本を紹介していただきました。そこにはあなたの若かりし頃「サトウキビ刈り援農隊」に加わり、サトウキビ刈りに苦闘した様子が描かれていました。あなたの素晴らしい行動力と観察力の鋭さに触れた思いでした。
与那国島を訪れ「「サトウキビ刈り援農隊」の人たちの姿を見たとき、和平さんの若かりし頃の姿が重なって見えました。
そして何より和平さん、あなたを多くの人たちが知ることになったニュースステーションでの「立松和平の心と感動の旅」です。
あなたが栃木弁で朴訥と語るレポートは多くの人たちを魅了しました。それは単なる口調に対してだけではなく、そこで語られるあなたの自然に対する慈しみ、自然を見つめる優しさを感じたからでした。
それ以来、私はあなたの講演会に幾度も足を運び、あなたの考え方を吸収しようと努めてきました。
そんなあなたの講演も昨年10月2日にお聴きしたのが最後になろうとは・・・。
もっともっとあなたの声を聴きたいと思っていましたが、叶わぬこととなってしまいました。
ご冥福を祈ります。
和平さん(とここでは呼ばせてください)、あまりの突然の訃報に驚いています。
あなたと大して触れ合ったわけではないけれど、私なりにあなたのことを振り返り、静かにご冥福をお祈りしたいと思います。
和平さん、私が提案したあなたの息子さんの林心平氏との「親子連続講演会」を快く引き受けていただき、ありがとうございました。
あなたもやっぱり人の子の親、講演会で息子の心平氏のことを嬉しそうに語り、ライターとして自立した息子のことを気にかけていることを知り、あのような企画が閃きました。
「立松和平親子連続講演」はオホーツク地方の都市で「私が北海道に魅(み)せられた理由(わけ)」~立松親子北海道の自然を語る~と題して実現することができました。
私はその講演会を聴くことができなかったのですが、講演を聴いた人たちからたくさんの謝意をいただきました。ほんとうにありがとうございました。
次には、私がちょうど一年前、沖縄の離島を旅したときでした。
旅する前に息子さんの心平氏からあなたの著書「サトウキビ畑のマレビト」という本を紹介していただきました。そこにはあなたの若かりし頃「サトウキビ刈り援農隊」に加わり、サトウキビ刈りに苦闘した様子が描かれていました。あなたの素晴らしい行動力と観察力の鋭さに触れた思いでした。
与那国島を訪れ「「サトウキビ刈り援農隊」の人たちの姿を見たとき、和平さんの若かりし頃の姿が重なって見えました。
そして何より和平さん、あなたを多くの人たちが知ることになったニュースステーションでの「立松和平の心と感動の旅」です。
あなたが栃木弁で朴訥と語るレポートは多くの人たちを魅了しました。それは単なる口調に対してだけではなく、そこで語られるあなたの自然に対する慈しみ、自然を見つめる優しさを感じたからでした。
それ以来、私はあなたの講演会に幾度も足を運び、あなたの考え方を吸収しようと努めてきました。
そんなあなたの講演も昨年10月2日にお聴きしたのが最後になろうとは・・・。
もっともっとあなたの声を聴きたいと思っていましたが、叶わぬこととなってしまいました。
ご冥福を祈ります。