田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

ひまわりおじさん物語 8

2010-02-03 17:38:11 | その他
 「ひまわりおじさん物語」の№6で私Mが神戸を訪れたときに在籍していた学校に触れていなかった。当時私は海辺の学校から転任して、北見市内の大規模校に勤めていました。
 その学校へ転任してからもMは学校の花壇や実習園にジャンボひまわりを咲かせ続けていました。
 そんな中、ひまわりおじさんから原稿依頼が舞い込み、送った原稿が以下の文章です。
 この原稿で、ひまわりおじさんと私Mとの交流がコンパクトにまとめられたと思う。
 この原稿はひまわりおじさんの5冊目の著書「神戸から新潟へ 足跡がいつか道に」に掲載された。

北海道から連帯のエールを込めて・・・ 

 今年も北海道・北見の地に、神戸から受け継いだジャンボひまわりが高く空に向かって伸びています。
 私とジャンボひまわりとの出会いは、七年前にさかのぼります。赴任した学校がひまわりとの繋がりが深いことを知り、文献に当たっていたところ、神戸市でジャンボひまわりを広めている人を知ったことに始まります。その広めている人というのは、何を隠そう荒井勣(いさお)氏、その人なのです。
 早速、荒井氏に連絡をとったところ、親切にひまわりの種子を送付していただきました。学校は小さな集落に存在していましたが、その集落を巻き込んでジャンボひまわりコンテストなどを行うなど、集落全体をひまわりの花で彩ることができました。
 以来、細く長く、荒井氏とお付き合いさせていただきながら、私は三つの学校を渡り歩き、行く先々で、ジャンボひまわりを咲かせてきました。
 その間、荒井氏の著書「笑いのセールスマン」(正・続編)や「瓦礫のまちにひまわりを」を読ませていただく中で、荒井氏の人となりを理解させてもらいました。前書では肩肘張らずユーモアたっぷりにボランティアに取り組む姿勢が描かれていました。そして後書では、自らの仕事を投げ打ってまで市民を勇気付けようとする荒井氏の清々しいまでの奮闘の姿が綴られていました。そのほかにも手紙やメールでのやりとりをさせていただき、荒井氏の「無私の心」にいたく感動すると共に、その積極性、企画力、行動力には驚嘆し敬服するばかりです。
 昨年は、神戸市を訪ねる機会があり、荒井氏の本拠地での活躍ぶりにも触れさせていただきました。今回取り組まれた中越地震復興プロジェクトも荒井氏ならではの取り組みです。特に「お茶わんプロジェクト」は秀逸であったと私は思っています。
 かく言う私は荒井ファンを任じているだけで、何の行動もせずに傍観者を決め込んでいることを恥じています。せめてここ北の国からエールを送ると共に、荒井氏の心を受け継いで、ひまわりの花をこの北見の地にいっぱい咲かせ続けたいと思っています。



 この原稿を送り届けたのが2005年秋でした。
 この後、Mは学校を退職し札幌に転居するなど、環境も大きく変わりました。そうした中にひまわりおじさんの6冊目の著書が届けられたのです。
 そうした後日談を綴り、次回№9で一応この物語の最終章としたいと思っています。