今年も「さっぽろアートステージ2010」の一環として「500m美術館」が開催されている。話題探しに覗いてきたのだが、私にとって美術は竜馬言葉でまぜっかえすのが精いっぱいだった 。
「500m美術館」とは、地下鉄東西線の「大通駅」と「バスセンター駅」を結ぶ500mの地下コンコースを利用して美術作品を展示して美術館に見立てたものである。
ふだん殺風景なこの地下コンコースがこの期間(11/1~12/12)だけはさまざまな美術作品があふれた空間になるのだ。
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しかしさまざまな美術作品があふれた空間も、美術に関してはまったく不案内というか、素養すらない私にとってはいつ見てもちんぷんかんぷんの世界である。
特に「抽象」というカテゴリーに属する作品についてはその良さを感じようとさえしていない自分がいる。
そうした中で、「具象」的作品だと、その精密さ、作者の腕の確かさを感ずることができるのだ。
私の記憶では毎年出品されている切り絵作家の佐藤隆之氏の立体的な切り絵にはいつも感動をもらっている。
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また、今回会場も最も大通駅側に展示してあった彫刻家の野又圭司氏の「存在の耐えられない軽さ」というパソコンとデスクを木彫的に制作した作品も私の目を惹いた。
その他にも具象的作品もあったが、私の目から見るとやはり抽象的作品が多くを占めていたように思う。
いつ見てもその良さを感じられない自分であるが、わけの分からぬ多くの作品を眺めているうちに、思いもよらずこうした作品を肯定的に感じていた。
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それは、素養すらない自分にとっては今その良さを感ずることはできないが、きっとこうした作品が街のデザインや、ファッション、工芸品のデザインや配色に大きな影響を与え、やがてはそうした作品が形を変えて自分たちの生活に溶け込んできているんだろう、と…。
と考えつつも、やっぱり「美術はまっこと分からんぜよ」
「500m美術館」とは、地下鉄東西線の「大通駅」と「バスセンター駅」を結ぶ500mの地下コンコースを利用して美術作品を展示して美術館に見立てたものである。
ふだん殺風景なこの地下コンコースがこの期間(11/1~12/12)だけはさまざまな美術作品があふれた空間になるのだ。
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しかしさまざまな美術作品があふれた空間も、美術に関してはまったく不案内というか、素養すらない私にとってはいつ見てもちんぷんかんぷんの世界である。
特に「抽象」というカテゴリーに属する作品についてはその良さを感じようとさえしていない自分がいる。
そうした中で、「具象」的作品だと、その精密さ、作者の腕の確かさを感ずることができるのだ。
私の記憶では毎年出品されている切り絵作家の佐藤隆之氏の立体的な切り絵にはいつも感動をもらっている。
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また、今回会場も最も大通駅側に展示してあった彫刻家の野又圭司氏の「存在の耐えられない軽さ」というパソコンとデスクを木彫的に制作した作品も私の目を惹いた。
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その他にも具象的作品もあったが、私の目から見るとやはり抽象的作品が多くを占めていたように思う。
いつ見てもその良さを感じられない自分であるが、わけの分からぬ多くの作品を眺めているうちに、思いもよらずこうした作品を肯定的に感じていた。
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と考えつつも、やっぱり「美術はまっこと分からんぜよ」