田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

小樽北照 甲子園を掴む!

2013-07-21 21:34:21 | スポーツ & スポーツ観戦
 高校野球南北海道大会決勝戦、小樽北照 対 駒大苫小牧戦は10 対 4で北照の勝利! 結果だけを見る北照の圧勝のように見えるがさにあらず、甲子園を掴むに相応しい素晴らしい熱戦となった…。 

          

 高校野球の私の夏は終えたと思っていたのだが、やはりどこかでは気になっていた。円山球場に駆け付けることはなかったが、テレビの前で一投一打も見逃すまいと試合の行方を追った。

 決勝戦は、昨年秋の秋季北海道大会,今年春の春季北海道大会に続いて、小樽北照 対 駒大苫小牧 の対戦となった。ということは、今期の世代においては両校の実力が他校より頭一つ飛び出ていたということを示していると云えそうだ。
 試合は前半、北照大串、駒大石井の両エースがそれぞれ持ち味を発揮して3回までを零点に抑えた。

 試合が動いたのは4回の駒大の攻撃だった。相手にミスに乗じて連打を重ね2点を先取した。その後も1死2・3塁という押せ押せムードの中で、次打者が鋭いライナーを打った。しかし、この打球が投手大串の差し出したグラブにすっぽりと収まり、ランナーも打球の勢いにつられて離塁していたためダブルプレーとなった。ここが一つの勝負のあやだった。

 北照が駒大石井に襲いかかったのは6回だった。今度は駒大のミスに北照が乗じる形で3点を奪い、形勢を逆転した。さらには8回にも石井から1点を奪い2点差とし、流れは北照に傾きかけたかに見えた。ここで特徴的なのは、6回の3点目、8回の得点と2度にわたってスクイズで得点したことだ。ベンチの冷静な采配を感ずる。
 反対に、この頃には前日に120数球で完投したという石井の球の勢いに陰りが見えていたのではなかったろうか? この石井に対してベンチはどう見ていたのだろうか?

 駒大苫小牧の粘りはここからだった。8回裏、ここでも北照のエラーが絡む形で駒大が劣勢を押し返すように見事2点を奪い、試合を振り出しに戻した。
 両チームの気迫と気迫がぶつかり合う素晴らしい試合展開となり、勝利がどちらに微笑むのか、この時点ではまったく分からなくなった。ムードとしては劣勢から同点に追いついた駒大の方が意気が上がっていたと思われる。

 ところが9回、意外な勝負のあやが待っていた。
 北照は7番に代打(名前は忘れた)を送ったが、ベンチの期待に応えてセンター前へライナーのヒットを打った。次打者の大串は当然送りバントをしたが、これが小フライとなった。それを捕球しようと投手石井は猛然と突っ込んだが惜しくも捕球できず、しかも慌てて悪送球をしてしまい、ランナーは3塁まで進み、無死1・3塁となった。駒大絶体絶命のピンチである。
 おそらく石井はこの時点でいっぱいいっぱいだったのではないだろうか?次打者にあえなくレフト前にクリーンヒットを放たれてしまった。

 ここでようやくベンチは動き、石井から吉尾にスイッチしたが北照の勢いを止めるどころか、火に油を注ぐ形となった。結果、この回だけで北照は6点をもぎ取り、試合を決してしまった。

 駒大苫小牧は現楽天の田中投手を擁して全国準優勝をして以来、甲子園への進出を果たしていない。ただ、この2~3年の戦いぶりを見ていると、近いうちに甲子園に駒を進める駒大苫小牧の姿を見ることができる予感がする。

          
          ※ 優勝インタビューに答える北照のエース大串君です。

 さて、見事春夏連続で甲子園進出を果たした小樽北照であるが、甲子園ではどのように戦ってくれるだろうか?
 気になったのが失策の多さである。(この試合で4個)その失策が相手の得点に絡んでいるのである。投手力も打力も特別に傑出した力を持つわけではない北照にとって、失策を重ねて相手に得点を許すようでは甲子園では勝ち抜けない。
 監督も選手も「春の忘れ物を取りに行く」と表現していたが、レベルが上がっている夏の大会を勝ち抜くことはそれほど簡単なことではないだろう。
 これからの長くはない時間の中で、一人ひとりのさらなるレベルアップを図り、甲子園で勝ち抜いていく北照の姿を期待したい。

 ※ 写真はテレビの画面を写しました。

大学的北海道ガイド

2013-07-20 19:10:23 | 大学公開講座
札幌学院大学が開催するコミュニティカレッジを再び受講した。テーマは「大学的北海道ガイド」と称し、7月に3回講座として開講され、このほど閉講した。期待した割にはやや肩透かしをくったかな?というのが正直な感想である。 

          
          ※ 札幌学院大学の先生たちが発刊したという「北海道ガイド」の表紙です。

 札幌学院大学のコミュニティカレッジを昨年くらいから興味を抱いた講座を積極的に受講するようにしている。というのも、開講している学院大学のサテライト(社会連携センター)が大通公園に面していて、通いやすいからである。
 今年度も5月に開講された「アイヌ民族の碑が訴えていること」に次いで、この「大学的北海道ガイド」が2度目の受講である。講座スケジュールは以下の通りだった。
 ◇7月03日(水) 「北海道の大地と自然」
 ◇7月10日(水) 「十勝の魅力」
 ◇7月17日(水) 「北海道における最果て感~知床と宗谷の楽しみ方~」
以上、三講である。

 講座案内で次のような文章が目に留まった。
 「旅行ガイドブックでもなく専門職でもない、北海道をガイドする本を大学人が書き下ろしました」
 大学の先生がどのように北海道をガイドするのだろう?との興味から受講を決めた。

          
          ※ 第一講目の小出教授が講義をしているところです。

 三講のうち、大学人的ガイドかな?と思われたのは一講目の「北海道の大地と自然」である。講師の小出氏の専門である地質学の側面から、山脈と火山列の生成の違いについて触れた後、北海道の山の特徴について解説した。
 それによると、最近はマスコミでもよく取り上げられるように、日本列島は2つの海洋プレートと2つの大陸プレートがぶつかり合っているという複雑な地形であるが、このことが地震の多発地帯になるとともに、火山列ができる地形でもあるということである。
 現在の北海道は海洋プレートの沈み込み帯にあり、火山列が道東の知床岬から樽前山、有珠山を結ぶよう東西に連なっているが、日高山脈のところで途切れているという。
 この日高山脈は現在の火山列が形成される前に列島が盛り上がり山脈となったために、火山列が途切れることになった、という説明であった。(学問的にはもっともっと複雑なものだとは思うが、素人に分かりやすく説明してくれたものと思う)
 聴いていた私には「なるほど」と納得感のある講座だった。

 ところが他の二つの講座がいただけない。
 「十勝の魅力」は、北海道の開拓の歴史について述べるだけで、いっこうに十勝の魅力を語ろうとしないのだ。講座の最後に刺身のつま程度にちょっと触れるだけでは、講座名に期待して集まった受講生は私同様肩透かしをくった思いだったのではないだろうか?

 そして「北海道における最果て感」である。聴いていて「どこが旅行ガイドブックと違うのか?」と突っ込みを入れたくなるほど、単なる知床を紹介するだけの講座だったと言っても良い内容だった。
 「最果て感」という言葉ついても、私はいま一つピンとこなかった。「最果て」という語感には「寂寥」という感じが伴うものだと私は思う。その点からいくと、いつも観光客で賑わっている知床に私はそれほど「最果て感」というものを感じない。むしろ、オホーツク沿岸の枝幸町から猿払村にかけての寒々とした風景にこそ「最果て感」のようなものを感じるのだが…。

 総じて今回の講座には「肩透かし感」を抱いたというのが偽らざる気持ちだ。一緒に受講したH氏、S氏とも話をしたのだが、受講する我々の側もいろいろな講座を受講することによって多少耳が肥えてきたということもあるのかもしれない。
 講座内容を吟味しつつ、これからもいろいろな講座を受講したいと思っている。

カンテレ in 京王プラザ

2013-07-19 22:12:37 | ステージ & エンターテイメント
 カンテレの音色があんなに優しく、繊細だとは…。今年のカルチャーナイト2013は京王プラザホテル札幌のチャペルで「カンテレあんさんぶる みゅう」の音色を楽しんだ。

         

 今夜はカルチャーナイト2013が札幌市内各所で一斉に開催された。過去数年、私は何ヵ所か渡り歩いて楽しんでいたのだが、今年は京王プラザのコンサートだけに絞って楽しむことにした。
 京王プラザのカルチャーナイトの催しは毎年良質の音楽を聴かせてくれるので、たくさんの人たちが詰めかける。今年もざっと見て100人くらいの人が駆けつけていたのではないだろうか。

               

 カンテレとはフィンランドの弦を指で弾いて奏でる民族楽器である。ハープのように一弦一弦音階が違っていて、今回の演奏では38弦のカンテレが用いられていた。
 演奏をしてくれたのは、日本で5本の指に入るカンテレ奏者の佐藤美津子さんの教え子にあたる「カンテレあんさんぶる みゅう」の三人だった。(野中明子さん、ホッカネン弘美さん、八島紫帆さんの落ち着きのある年代の三人)

          

 演奏した曲は次の9曲である。
 ◇コサックの子守唄(ロシア民謡) ◇カレワラの歌(フィンランド伝統曲) ◇虹と雪のバラード(札幌五輪の歌) ◇オーラ・リー(アメリカ民謡) ◇グリーンスリーブス(イングランド民謡) ◇いつも何度でも(映画「千と千尋」の主題曲) ◇コネピスト教会の鐘の音(フィンランド伝統曲) ◇花は咲く(東日本大震災復興ソング) ◇ふるさと(お馴染みの日本の唱歌)

          
          ※ 写真にあるのは今回のコンサートでは使用しなかった15弦と6弦の小型のカンテレです。

 いずれの曲もカンテレの紡ぎだす繊細な音が心地良く私の耳に入ってきた。
 その中でも特に印象深かったのは、カンテレのために作曲された「コネピスト教会の鐘の音」という曲だった。やはりカンテレの魅力を最大限引き出すように創られた曲のように思えた。

 わずか40分程度のコンサートだったが、心地良く、そして心豊かな時を過ごせた40分間だった。

北海道低山紀行 34 藻岩山(慈啓会コース)

2013-07-18 22:12:23 | 北海道低山紀行 & Other
 平日にも関わらず多くの老若男女が藻岩山登山を楽しんでいた。藻岩山に五つある登山口のうちで最も人気のある登山コースだそうだ。快晴に恵まれた今日、久しぶりの藻岩山登山を楽しんだ。 

          

 高校野球の私の夏が想像以上に早く終わってしまい、ポッカリと空いたスケジュールに「はて?どうしょう」と思ったときに、藻岩山登山を思いついた。というのも、月末に十勝岳連峰の縦走登山が控えている。富士山登山の疲れも癒された今、少しは足慣らしをしておく必要がある。
 そこでこれまで体験のなかった「慈啓会コース」を登ってみようと思ったのだ。

 これまでも藻岩山は冬も含めて3~4度登っていたが、それは全て「旭山記念公園コース」だった。できればいつかは五つのコース全てを体験してみたいと思っていたのだ。

 今日(7月18日)昼過ぎ、我が家から車でおよそ10分、「慈啓会コース」の登山口がある駐車場に着いた。この駐車場は公共のものではなく、慈啓会病院のものだそうだ。登山者にはありがたい話である。
 駐車場から一歩山に踏み入るとそこはもう藻岩原始林である。こうしたロケーションが大都市でありながら自然が直ぐ近くにある札幌の魅力である。

          

 初めはやや緩やかな上りが続き、道の脇にはところどころに石仏が置かれている。その昔、藻岩山は霊場として登山道を開削したそうだ。
 やがて登山道は徐々に傾斜を増していく。それほど急ではないが、絶えず上り続けるところが「旭山記念公園コース」とはやや違うところかもしれない。
 時には階段登りやつづら折りに登るところもあった。

          

          

 空は快晴だが、コースは林間コースのために絶えず木陰になっているのが有り難い。
 かなり高度を上げたところにコンクリートの土台が残っていた。戦時に造られた高射砲台座の跡だそうだ。

          

 かなり急な沢地を登ると「旭山記念公園コース」との合流地点に至る。標識には「馬の背付近」とあった。登山口から30分が経過していた。すでにこの時点で体全体が汗にまみれていた。
 ここで小休止をして初めて冷たい飲み物を口にした。

          

 ここからしばらくは尾根伝いのようなコースを行く。私はその登山路を見て「藻岩山のハイウエイ」と呟いていた。私が登ったときさえ、20~30人の人と挨拶を交わしたが、年間ではおそらく6ケタを下らない人たちが藻岩山登山を楽しんでいるのではないだろうか。
 それくらい多くの人が通る登山道は整備も行き届いていた。たまたま私が「馬の背」を前に登っているときにもコース脇のササなどを刈り取り作業をしている人を目にした。

          

          

 コースはやがて岩がゴツゴツと連なる胸突き八丁(と私が呼んでいるだけだが)に差しかかった。山頂前の最後の上りである。
 そして藻岩山山頂展望台が建っている山頂に到達した。
 今回初めて分かったのだが、山頂直前に「藻岩観音奥の院」というのがあって、そこに「水かけ観音」という像があった。女性登山者がその像に水をかけながら「帰りに交通事故に遭わないようにお願いしますね」と言いながら水をかけていた。それを見て、私も殊勝にも真似て観音様にお願いしたのだった。

          
   
          

          

 また、頂上の位置を示す三角点が山頂展望台の建物の陰になるところにあることも今回初めて知った。
 山頂から眼下に見る札幌の街はもちろん素晴らしい眺めだった。

【藻岩山(慈啓会コース 登山データー】
標 高  531m
駐車場  公共の駐車場ではないが、慈啓会病院が所有の駐車場を利用させてもらえる。
行 程  登山口→(30分)→馬の背(分岐)→(25分)→藻岩山山頂→(15分)→馬の背(分岐)→(25分)→登山口
時 間  登山(約1時間) 下山(約40分)
天 候  快晴
登山日  ‘13/07/18

札幌日大 夏に散る…

2013-07-17 22:48:35 | スポーツ & スポーツ観戦
 夏の高校野球はある意味で残酷である。一試合戦うごとに一つの高校野球部の夏が終わってゆく…。南北海道大会では今日までに9校の夏が終わりを告げた。その中に札幌日大高校が早くも含まれてしまうとは…。 

 甲子園大会の出場校を目ざしての南北海道大会が7月15日から円山球場で行われている。支部代表校15校が参加して今日で三日目が終わった。ここまで9試合が行われ、9校が姿を消してしまった。

 私は昨日、今日と円山球場に駆け付けたが、札幌日大の夏が終わりを告げたのと同時に、私の夏も終わりかな?と思っている現在である。

 札幌日大は出場15校のしんがりとして今日の第一試合に登場した。対戦相手は道大会出場24回を誇る北海道栄高校である。
 毎年好チームを作ってくる栄高校はダークホースとして注目はされていたが、力的には札幌日大が一枚上と私は見ていた。NHKラジオの解説者も「打力で日大が上回っている」と戦前に語っていた。

 先発は日大がエース白崎、栄が背番号10番を付けた菊谷だった。
 試合序盤は両投手の素晴らしい投げ合いが続いた。特に日大白崎は3回までに7三振を奪うという快投ぶりだった。
 しかし、安定度という点では菊谷の方が上を行っていたように思われた。序盤両校とも〇(ゼロ)行進が続いたが、塁上を賑わわせていたのは栄高校であり、札幌日大は塁に人を送ることさえ稀だった。

 試合の均衡が破れたのは、栄高校6回の攻撃だった。この回、白崎は二死を取った後、なんでもない遊ゴロを日大遊撃手が一塁へ悪送球をして生かしてしまう。白崎には前半の力投で疲れが溜まっていたのだろうか。ここから連打を許して2点を献上してしまった。
 緊張の糸が切れたかのように、その後6回、7回にも相手打線に捕まり1点ずつを取られ、4対0とリードされ、ベンチは投手交代を告げざるを得なかった。

 一方、菊谷は好調を持続した。強打を誇る日大打線は攻略の糸口をつかめないまま回を重ね、私の記憶では7回まで3人ずつの攻撃で終わっていた。(ただし、ここまで完全試合ということではなく、2度ほどヒットで出塁はしていたが、盗塁死やまずい走塁で走者をつぶしてしまっていた)

 8回になり、ようやく日大らしい攻撃を見せ、一死満塁と攻め立てたが、ここは菊谷に上手くかわされた。
 そして9回、札幌日大打線は意地を見せた。ヒットを連ねて満塁とした後、さらに菊谷を攻めて2得点し、ここにきてようやくの盛り上がりを見せたが時すでに遅し、後続が断たれて万事休す。2対4で敗戦が決まった。

 この試合を振り返ったとき、札幌日大の敗因は一にも、二にも、自慢の打線が相手投手菊谷に抑えられたことだろう。
 スタンド横からの観戦だったため、菊谷の球筋などは分からないが、札幌日大打線は当たり損ねのフライを打つ場面が多かった。菊谷の変化球に惑わされていたように思われる。
 エース白崎は責められない。5回までの力投は素晴らしく、私が見た試合の中では最も良い出来だった。惜しむらくは6回、7回に追加点を許したことだろう。そこのところさえ気持ちを切り替えて投球してくれていれば、と悔やまれる。ただ、打線がもう少し早い回に得点をしていたら、試合展開も変わって白崎の力投が続いていたことも考えられる。
 打線は水物とよく言われるが、今日の試合はそのことをよく表していたとも言える。
 私が注目していた選手Mも他の打者同様に不振で、最終回にようやく意地のセンター前ヒットを放ったものの時すでに遅かった。

 しかし、悔いても仕方がない。札幌日大の今年の夏は終わったのだ。
 選手Mはレギュラーで唯一残った2年生である。明日からは彼がチームの中心となって新たなチームを引っ張っていかねばならない。
 札幌日大高校野球部の捲土重来を期待したい。

 札幌日大を追いかけた私の夏も終わった・・・。(※ 本日は敢えて写真抜きの投稿としました)

サッポロ・シティ・ジャズ パークジャズライブ

2013-07-16 21:16:12 | ステージ & エンターテイメント
 青空の下でオーケストラ・ジャズ(ビッグバンド)を聴くのは最高!である。14日(日)、私は札幌市役所西駐車場でスイングしたビッグバンドのジャズを堪能した。 

          
       ※ 私が耳を傾けた札幌市役所西駐車場です。ビルの間にジャズの音色がこだまするロケーションです。

 6月下旬から8月下旬までの2か月間にわたってサッポロ・シティ・ジャズが開催されている。その中で、アマチュア(中にはセミプロも含まれているかな?)が市内各所で演奏するのがパークジャズライブである。

 今年は市内13カ所で行われたのだが、パークジャズライブと銘打ちながらほとんどがホールや室内、あるいは地下歩行空間と天候に左右されない会場となっている。(青空の下の会場は、札幌市役所西駐車場、大通公園1丁目、ESTA 2F テラスの3ヵ所か?)

 内情はよく分からないが、戸外のためにいろいろな音が聞こえてくる会場のため、大音量が出るビッグバンドのグループ・団体が西駐車場には割り当てられたものと推測される。

          
          ※ ユニフォームがばっちときまっていたSJF Junior Jazz Orchestra 2013のバンドです。

               
          ※ 元気よくSJF Junior Jazz Orchestra 2013のバンドをリードしていた○君を演奏後撮影させてもらいました。

 今回私が札幌市役所西駐車場で聴いたグループ・団体は次のとおりだ。
 ①エレガント・モシモシ(このグループだけは、札幌市役所ロビーで聴いた)
 ②BIGBAND北極 ③Brass Entertainment Children Of Nakanoshima ④札幌あゆパラダイスオーケストラ ⑤Asahikawa Minami Jazz Club ⑥SJF Junior Jazz Orchestra 2013 ⑦Stellar Wind Jazz Orchestra
の七つのグループ・団体だった。①を除き、②~⑦までは全てビッグバンドだった。
 その内訳は、②、④、⑦が社会人のグループ、⑤が高校生、③、⑥が小中学生のグループだった。

 私が印象に残ったのは、③のBrass Entertainment Children Of Nakanoshimaと、④の札幌あゆパラダイスオーケストラである。
 ③は市内中の島小学校のバンドである。小学校のバンドでありながら、その力量はなかなかであった。小学校単独のバンドという特性を生かし、相当に練習を積み重ねていることを窺わせる演奏だった。その点、同じ小中学生によるSJF Junior Jazz Orchestra 2013は4月に結成したばかりで、練習もおそらく週末だけに限られているせいもあるのだろう。これからの練習でどれだけ力量向上を図れるかというところだろう。

          
          ※ Brass Entertainment Children Of Nakanoshimaのステージの様子です。

 一方、社会人バンドの札幌あゆパラダイスオーケストラは、東京スカパラダイスオーケストラをコピーしたバンドである。「スカミュージック」を自分たちのものにした演奏が耳に心地良かった。

          
          ※ こちらは札幌あゆパラダイスオーケストラのステージの様子です。

 その他のどのバンドも青空の下で心地良い音を奏でてくれた。ペアやトリオなどで聴くジャズもいいが、音に厚みのあるビッグバンドジャズはやはり楽しく、聴いていて心地良い!

東京下町ウォーク 7 葛飾・柴又編

2013-07-15 17:50:33 | 道外の旅

 東京下町ウォークの最後の地に私は寅さんの故郷「柴又」を選んだ。東京都心からは少々離れるが、是非とも訪れたいと思っていたところだったが、期待どおりの寅さんワールドが広がる街だった。

     
     ※ 「柴又帝釈天」そしてその参道はマップにあるようにこじんまりとまとまっていた。


 富士山登山を終えた翌日(7月1日)、帰札を前にした私は最後の東京下町ウォークの地に「柴又」を選んだ。
 「柴又」へは東京スカイツリーのある「押上」駅から、京成押上線、京成金町線を乗り継いで、あの寅さんがいつも妹のさくらに見送られてどこかへ旅立つごく小さな柴又駅に降り立った。

           
           ※ 京成金町線「柴又」駅は何の変哲もない小さな駅だった。

       
 駅がすでに寅さんワールドなのだから、駅前も同様である。駅を出たとたんにあの独特のボストンバッグをさげたフーテンの寅さん像に出迎えられた。
 駅前から土産物屋さんなどが並ぶ小路を行くと間もなく、「帝釈天参道」と描かれたアーチに出迎えられる。狭い小路にびっしりと煎餅屋、だんご屋、佃煮屋、蕎麦屋などが並んでいる。寅さんがどこからかフラッと帰ってくるあの映画の中の柴又の街そのものである。
 参道は意外に短い。およそ200mくらいだろうか?その先に柴又帝釈天の山門がどんと構えている。

          
          ※ 「柴又」駅前に例のボストンバッグをさげた姿で立つ寅さん像です。

          
          ※ 「帝釈天参道」のアーチをくぐるとお寺の参道らしいさまざまな店が並んでいます。

          
          ※ ご覧のような狭い路地の両側に店が並んでいます。

 山門をくぐると、本殿の堂々とした帝釈堂が現れる。本殿は誰でも自由に入ることができ、お詣りすることができる。
 本殿のどこかから、あの笠智衆演ずる御前様がどこからか現れるのではという錯覚に陥ってしまう。
 当日は平日だったが、それなりに訪れる人が目立った。私と同じように全国から柴又帝釈天を訪れる人がいるということだろう。

          
          ※ 「柴又帝釈天」の威厳ある山門です。

          
          ※ 建物の陰から御前様が現れてきそうな「帝釈堂」です。

 柴又帝釈天から近くにある「葛飾区 山本亭」と「葛飾字又寅さん記念館」を訪れることにした。
 「葛飾区 山本亭」は大正から昭和初期に建てられた和洋折衷の邸宅と日本庭園を公開しているところだ。邸内から眺める日本庭園は小さいながら見事なもので、昭和初期の上流階級の生活ぶりをうかがえるものだった。

          
          ※ 「山本亭」の入口の門です。

          
          ※ 「山本亭」の和室です。珈琲やお茶が供され喫茶店の機能もあります。

          
          ※ 「山本亭」の和室から見た日本庭園です。

 山本亭のすぐ隣に建っているのが「葛飾柴又寅さん記念館」である。
 ワンフロアだけのそれほど大きくはない記念館であるが、寅さん映画のエッセンスがびっしりと詰まっている展示だった。
 まず最初にタコ社長が経営する朝日印刷の工場内や社長の机などが心憎いまでのディテールのこだわりをみせて展示されていた。その後は映画の中の柴又の街が何分の一かに縮小されて再現されているコーナーや、映画の名場面を見せてくれるAVコーナーなど、寅さんファンにとってはたまらない記念館である。

          
          ※ 「寅さん記念館」のエントランスです。

          
          ※ 記念館内に再現された「くるまや」の店内です。寅さんが奥で寝ていますね。

          
          ※ 寅さん映画を彩ったマドンナたちの写真が壁いっぱいに描かれていました。

 その記念館の隣には「山田洋次ミュージアム」がある。そちらも覗いてみたが、このミュージアムで印象的だったのは、山田監督の述べた数々の語録が表示されていたことだ。その中の一つを紹介すると、「日本人独特のつつましい、身の丈に合った暮らしかたや生活文化は、幕末から敗戦を貫いて昭和30年頃までは細々と繋がっていたと思う。今日、それがほとんど崩壊してしまった。何故なのか、どこでまちがってしまったのか。」この言葉の中に山田映画の神髄が詰まっているように思えた。

          
          ※ 細かな写真を組み合わせて山田監督の顔をモザイク模様で描いたものです。

          
          ※ 「男はつらいよ」他、山田監督が手掛けた映画のフィルムが山積みされていました。

 その後、私は葛飾柴又と隣の千葉県を結ぶ「矢切の渡し」を体験すべく、江戸川沿いに赴いた。この日は現在の東京ほどではなかったが、かなり暑い日だった。江戸川が見える柴又公園の木立の陰に入ると意外に涼しかったのは川面を渡る風のせいだったのだろうか?

 「矢切の渡し」はだだっ広い河川敷の一角にあった。その名が知られている割には案内もあまりなく、ひっそりとした感じだった。ひっそりだったのは、周りの様子だけではなく、その日の渡しが運休日だったこともその原因だったようだ。残念!

          
          ※ 江戸川の河川敷を活用した「柴又公園」です。

          
          ※ 「矢切の渡し」の桟橋は木製の意外に素朴な造りでした。

 「矢切の渡し」を体験できなかったという残念な思いを残しながら、帝釈天の参道に戻り、寅さん映画で実際に撮影に使われた階段があるという「とらや」で蕎麦を食し、寅さん映画の「くるまや」のモデルといわれる「高木屋老舗」で「草だんご」を土産に買い、葛飾柴又の散策を終えた。

          
          ※ 帝釈天の参道内にある「とらや」の外観です。昼に蕎麦を食しました。

               
               ※ その「とらや」ら映画で使われたという階段がありまし。

          
          ※ こちらも帝釈天参道内にあった「高木屋老舗」の外観です。名物「草だんご」を購入しました。

 思っていたより狭い一帯に寅さんワールドがぎっしりと詰まった葛飾柴又はとても興味深い散策だった…。
(※ これにて「東京下町ウォーク」シリーズを完結とします)


東京下町ウォーク 6 かっぱ橋道具街編

2013-07-14 21:40:30 | 道外の旅

 両国界隈ウォークを終えた私はこれも東京の下町の代表格である「かっぱ橋道具街」を訪れた。私はそれほど予備知識なく訪れたのだが、ここの道具街はいわゆる厨房用品に関してありとあらゆるものが揃う問屋街であった。 


※ 「かっぱ橋道具街」のマップです。私はこのマップの左端から道具街を往復しました。

 「かっぱ橋道具街」は両国から直線距離にすると2kmに満たない距離だが、電車では乗り継ぎをして近くの東京メトロ銀座線の「田原町」駅に降り立った。
 「田原」駅を降り、道具街に向かう途中の奥まったところに「東本願寺」があった。後から調べてみると、この「東本願寺」は浄土真宗東本願寺派の本山であるということだ。私が訪れたときには境内は静まり返っているように見えた。

          
          ※ 「東本願寺」の本山らしい堂々たる佇まいです。

          
          ※ 「東本願寺」の参道にあった民家の庭先です。いかにも下町という風情が漂います。

 「東本願寺」から引き返し、いよいよ「かっぱ橋道具街」である。
 「かっぱ橋道具街」は約800mに及ぶ「かっぱ橋道具街通り」を挟み、両側に店がびっしりと並んでいた。
 ただ、道具街通りが片側2車線(あるいは3車線?)もの広い道路のため、両側を行き来することは不可能であった。そのため私は道具街を往復して散策することになった。

 初めに目に飛び込んできたのは店舗ののれん・のぼり・提灯・旗・幕などを扱う店だった。一見した時には食堂や居酒屋さんと間違えるほどだった。
 派手な店構えにカメラを向けたところ、店主から厳しく写真撮影を拒否された。意外な反応だったが、はたして全てを規制することができるのだろうか?過去に何か問題が発生することがあったのかもしれない。
 この一件のため、カメラを向ける意欲が減退し、良い写真をあまり撮ることができなかった。

          
          ※ この店は写真を拒まれた店とは違う店の提灯などを扱う店です。

          
          ※ いかにも道具街!といった商品の陳列の仕方ですね。

 道具街は厨房に関する食器具・包材・調理器具・食品サンプル・食材・調理衣装などありとあらゆるものが揃っているという感じで店の総数は170店を超えるそうだ。
 私が道具街に興味を抱くきっかけとなった食品サンプルの店ももちろんあった。

          
          ※ さまざまな形、さまざまな産地の陶器が並べられています。

          
          ※ 食券の自動販売機ですね。

          
          ※ こちらは中華の店を出店するために必要な品々が揃った店ですね。

          
          ※ ご存知の食品サンプルの店です。私が見たところ4店くらいあったようです。

 道具街にはシンボルの「かっぱ」の像が描かれた標識やビル自体にかっぱを描いているところもあった。
 また、道具街の中ほどにあるポケットパークには金箔張りの高さ1.5mの「かっぱ河太郎」像が立っていた。

          
          ※ 街の角々に立っていた街のシンボルの標識です。

          
          ※ ビルの壁に大きなかっぱが描かれています。ちょっと怖いかっぱですね。

          
          ※ 金色に輝く「かっぱ河太郎」の像です。

 通りの一方の端にあたるところに道具街には似つかわしくない真新しいビルが建っていた。区の図書館を兼ねた「台東区生涯学習センター」である。その一角が「池波正太郎記念文庫」になっているとのことだったので覗いてみた。
 池波正太郎は浅草に生まれ、一生を浅草で過ごし、浅草を愛し続けたことから記念文庫が設立されたようだ。記念文庫には彼の著書がずらーっと並べられ、彼の仕事部屋(書斎)が復元されていた。

          
          ※ 「台東区生涯学習センター」のエントランスです。「池波正太郎記念文庫」の表示も見えます。

          
          ※ 記念文庫内に復元されていた池波正太郎の書斎です。

 道具街は言問通りとの交差点から折り返したが、扱う商品や業種毎に集まっているのではなく、言葉悪く表現するとまるで無秩序に店が並んでいる風だった。それがまた散策するには楽しいのかもしれないのだが…。
 途中の小路のところから東京スカイツリーを望むことができ、改めて「かっぱ橋道具街」が浅草の一角にあることを教えられた思いだった。

          
          ※ 小路の間から向こうに東京スカイツリーが見えています。

 道路向かいの商店街を眺めていて気付いたことがあった。全ての店はビルの一階に位置していて、その上階はほとんど全てがマンションとなっていることだった。
 詳しい事情は分からないが、利便地故に問屋を経営しながら不動産経営も併せて行っているのだろうか?

          
          ※ 写真のように問屋街の上はすべてがマンションになっていました。

 物欲がすっかり減退してしまった私は特に何かを購入しようとする気はなく、ただ道具街を眺めるだけだった。しかし、通りを散策する若い人たちの中には熱心に品物を吟味する人たちもいて、食器や室内のインテリアに凝る人にとってはたまらない街なのかもしれない。
 もちろんこれから飲食店を開業しようとする人たちにとっては頼りになる道具街であることには間違いないことだが…。


東京下町ウォーク 5 両国界隈編 後編

2013-07-13 20:54:11 | 道外の旅

 両国界隈ウォークの後編は「国技館」、「旧安田庭園」、「東京都慰霊堂」、「東京都復興記念館」と前編同様見どころたくさんのウォークとなった。 

 JR「両国」駅は国技館前の駅らしく周辺に力士像が散見される大相撲城下町の様相を呈していた。しかし、その力士像が想像していたより小さな像だったのは意外だった。

          
          ※ 意外に小さな像だったが、周辺にいくつもお相撲さんの像が設置されていた。

 JR「両国」駅の向こう側にはお馴染みの緑の屋根をした「国技館」が見えてきた。大相撲は名古屋場所前とあって、国技館周辺に幟などは立っていなかったが、若者たちが大勢たむろしていた。後から調べてみると、国技館が貸館として若者向けのイベントが開催されていたようだ。
 せめて「相撲博物館」でも見学しようと思ったのだが、運悪く休館日のため入場することは適わなかった。

          
          ※ 緑青の屋根が特徴的な「国技館」の建物です。

          
          ※ 国技館の壁に描かれていた力士たちの錦絵(?)です。

 「国技館」と道路一本隔てたところに「旧安田庭園」がある。もともとは元禄年間に築造された庭園を明治になって安田財閥が所有することとなり、大正年間に東京都に寄贈された庭園だそうである。この庭園は潮入式回遊庭園として知られているが、現在は人工的に水位が調節されているそうである。
 庭園ではちょうど和式の結婚衣装を身に付けた若い男女が記念写真を撮っていた。

          
          ※ 「旧安田庭園」の入口の門です。

          
          ※ 潮入式回遊庭園として有名ですが、現在は人工的に水面を上下させているそうです。

          
          ※ 結婚式を控えたカップルが旧安田庭園を背景に前撮りをしていました。

 この庭園でもそうだったが、都内の公園を巡っていて所在無げの人がベンチにポツンと座っている姿を見かけることが多かった。勤めをリタイア人なら分かる気もするのだが、現役世代と思われる人も目立ったことが気になったのだが…。

 「旧安田庭園」の斜め隣りが「横網(よこあみ)町公園」である。この公園の中には「東京都慰霊堂」と「東京都復興記念館」がある。
 「東京都慰霊堂」は関東大震災と第二次世界大戦の東京大空襲において犠牲になった人たちを安置する施設だそうだ。両方合わせて15万人以上の犠牲者が眠る慰霊堂だということだ。

          
          ※ 「東京都慰霊堂」本殿正面からの写真です。

          
          ※ こちらは本殿内の様子です。

          
          ※ 慰霊堂の横にあったのは遺骨堂でしょうか?鳩を象った花壇が目に止まりました。

 また、同じ横網町公園内には関東大震災の惨禍を永く後世に伝えることを目的とした「東京都復興記念館」がある。昭和6年の建設ということで、やや古びた建物ではあるが当時の遺品などが展示され、関東大震災の凄まじさを伝える内容となっていた。

          
          ※ 同じ横網町公園内にあった「東京都復興記念館」の外観です。

          
          ※ 大震災の際に熱風で飛ばされ、飴のように下り曲がった自転車が展示されていました。          

 横網町公園を出るとゴールの都営大江戸線「両国」駅は直ぐだった。
 両国界隈ウォークは、前後編2回に渡るレポートだったが、それだけ中身の濃いコースだった。
 現代的な建築物と由緒ある施設や碑が混在していて、歩いていても楽しい街だった。
 東京下町の光景を代表する街の一つが「両国」なのではないだろうか、と思えた両国界隈のウォークだった。


東京下町ウォーク 5 両国界隈編 前編

2013-07-12 21:57:13 | 道外の旅

 両国界隈は「江戸東京博物館」、「国技館」、「旧安田庭園」、「東京都復興記念館」、さらには「芥川龍之介文学碑」、「勝海舟生誕之地碑」、「鼠小僧次郎吉の墓」など歴史的にも興味の尽きない見どころたくさんの散策コースだった。

          
  ※ 両国ウォークではマップと同じ方向に回ったが、スタート&ゴールがマップ右側の都営大江戸線の「両国」駅だった。 

 巣鴨から電車を乗り継ぎ、地下鉄都営大江戸線の「両国」駅に降り立った。そして地上に出るとそこは「江戸東京博物館」の真ん前だった。まずはその規模の大きさに驚かされる。カメラにとても収まりきれない大きさだ。(もちろん遠望すれば可能なのだが…)

          
          ※ とてもとてもカメラに収まりきれない江戸東京博物館の外観です。

 早速チケット(600円)を購入し、6階の常設展示室へ向かい、入口を入ると原寸大で復元した「日本橋」に出迎えられる。その「日本橋」を渡りながら、橋の上からはこれまた原寸大の歌舞伎小屋「中村座」が見られるといった具合である。その他にも縮尺して復元した建物や、江戸城や江戸の町並みをジオラマ化した展示など、見て、体験して理解する展示が多いのが「江戸東京博物館」の特徴のようである。
 展示はもちろん江戸のことばかりでなく、東京になってからのゾーン、そして通史のゾーンがあり、じっくりと見て回るには時間が足りなかった。

          
          ※ 原寸大で復元した「日本橋」が来館者を迎えます。

          
          ※ こちらも原寸大で復元した「中村座」です。

          
       ※ この建物も原寸大で復元された「朝野新聞社」です。社屋の前に立っているのは見学の人です。

          
          ※ こちらは寛永時代の町人たちの街のジオラマです。

 「江戸東京博物館」の隣が「国技館」なのだが、私はマップに示された経路に従い、都営大江戸線の「両国」駅をスタート&ゴールとして両国界隈を散策することにした。

 「両国」駅を南下して遭遇した交差点のところに「キングサイズライオン堂」という店があった。相撲取りさんたちのようなビッグな人たちのための品々を揃えた衣料品店である。ひやかしで店内に入ることははばかれたのでウィンドーに飾られたシャツをカメラに収めるだけにした。

          
          ※ ウィンドーにキングサイズのシャツとパンツが展示してあります。

 国技館からはさらに遠ざかるように界隈を散策したのだが、一帯は多くの史跡や碑が点在する歴史的にも興味ある一帯だった。
 順に記していくと、両国小学校脇に「芥川龍之介文学碑」、両国公園に「勝海舟生誕の地碑」、本所松坂町公園内に「吉良上野介の上屋敷跡」、回向院(えこういん)境内に「鼠小僧次郎吉の墓」といった具合である。
 回向院にはまた江戸大相撲の名残を留める大きな「力塚」が境内に建てられており、いかにも相撲の街「両国」を象徴しているようだった。

          
          ※ 芥川龍之介作「杜子春」の一節を刻した文学記念碑です。

          
          ※ 両国公園の一隅にあった「勝海舟生誕の地碑」です。

          
       ※ 本所松坂公園の前にあった吉良邸跡を印す碑です。公園内には吉良上野介義史公三像などもありました。

          
          ※ 回向院内の墓石の中に「鼠小僧次郎吉の墓」がありました。

       
          
          ※ こちらは回向院の境内に建てられていた「力塚」です。

          
 回向院の傍には両国らしく「両国花火資料館」という小さな資料館もあった。こちらもちょっと覗いただけで失礼してしまった。なにせ両国界隈は見どころが沢山あり大変である。

          

          
          ※ 名刹「回向院」の山門です。

          
       ※ 北海道の人間にはこうした光景が珍しいのです。回向院の庫裏の屋根には竹が植えられていました。

(※ 後編で国技館、旧安田庭園、東京都復興記念館などをレポートします)