今日4月7日は、1945年の今日の日は、沖縄戦の支援のため連合艦隊が最期の作戦「菊水作戦」を断行し、あえなく海の藻屑となってしまった日です。無駄死に、犬死です。
沖縄に向かう途中の12:32アメリカ空軍の攻撃を受け、2時間後の14:23に横転し、海中深く没してしまいました。
その3分前の14:20には傾斜左舷へ20度と大きく傾き、総員退去(正しくは「総員上甲板」というようです。)の命令が出されましたが、3分でどうして退去できるでしょうか、3000人の乗組員のうち、2740名が死亡し、生き残ったのはたったの269名でした。
沖縄での日米の死闘は、3月26日から6月23日まで続きました。
日本軍による沖縄住民の虐殺が行われたのに、自決を強いたのに、手榴弾で自決するように導かれたのに、鎌や剃刀で親類兄弟、住民同士が殺し合いをさせられたのに、何かというとスパイ容疑をかけられ殺されたのに、避難していた洞窟(がま)から友軍?により追い出されたりしたのに、時の隊長が自決を命令したことはないと、名誉毀損での裁判を起こしているということだけで、たったそのことだけで事実を事実でなくしてしまおうとする文部科学省の教科書検定、一体なんでここまで日本人は腐ってしまったのでしょうか。
それもこれも、行き着く先は東條英機がつくった戦陣訓にいきつきます。「生きて虜囚の辱めを受けず」。一体このために何十万人の兵隊や軍属、民間人が死ななければならなかったでしょうか。
私は言いたい、名誉毀損の裁判を起こした隊長に。なぜ生き残ったのだ。今でも遅くはないから自決せよと、自決して見せろと、強く言いたい。
「生きて虜囚の辱めを受け」たのに、のうのうと軍事恩給を受けて生き延びてきた隊長に今すぐにでも自決しろと。殺された慶良間列島の住民に成り代わって言いたい、死ねと、死んでみろと。
職業軍人であったらならば、なおのこと許せない。自決できなければ、呪われて死ね。いくら戦時中とはいえ、許されることと許されないことがある。
ここに典型的な無責任さをみます。この伝統を継いでいるのが、今の政権党です。なんでこんな党が、「美しい日本」とか「愛国心」を声高にいえるのか。恥も外聞もなくした売国奴の党が政権を握っている、それを選挙という形で認めている一部の国民、この国民が経営者や自営業者等の金持ち、資産家ならまだ話は分かるが、支配されているのに支配されていることすら分かっていない国民が言われるままに信じて支えているという現実、悲しく空しい現実がありますが、絶望しているわけにはいきません。
「絶望の虚妄なること正に希望と合同じい」は魯迅の言葉ですが、私はとてもそこまでは理解できません、到達できません。
何か話はどんどん外れていってしまいました。
写真は仙台のお花見の名所西公園で始まった花見の風景です。今日の夕方です。宮城教育大学の学生たちが、ひとりひとり自己紹介をしていました。「私は福島県の出身で、・・・」という女子大生の大きな声が聞こえてきました。
このすぐ近くに歩道橋があり、その下にダンボールハウスがあります。ずーとホームレスが住んでいます。
若い人たちがワイワイガヤガヤお花見を楽しむ一方で、歩道橋に下でひっそりと息を潜めている人がいます。
今日の朝日新聞にホームレスのことが載っていました。全体で18564人。2003年前の調査と比べて6732人、27%減ったとのことです。
生活の場所は公園が5702人で45%の減ということで、自治体が公園から排除した結果が現れています。
平均年齢は57.5歳、5年以上の人が41%、直前の仕事は建設関係が48%だそうです。