今日はというか、今日もいい天気。そんな中うちの奥さんは、午後から一人でフルキャストスタジアム宮城へ、野球観戦へ行きました。
私はテレビで時々見ていました。
今日で、奥さんとしては2回目の観戦、応援となりますが、この前も今日も大差で、”楽天”は負けています。
昨日ほどひどくはなかったものの、いいところで打てない病は重症です。ワンアウト満塁での山崎の三振は痛かったし、次の外国人の当りはライナーのいい当りだったけれどもセンター正面となり、あえなくスリーアウト・チェンジ。球場はほぼ満員の入りでしたが、応援空しく完敗でした。
それに引き換え、”ベガルタ”はやってくれました。ようやくすっきりと、2-0で水戸を下しました。”札幌”も昨日勝っていますので、順位は変わらないでしょうけど、何にしろ負けないことはいいことです、と言っては失礼か、勝ったのだから素直に喜ぶべきでしょう。
その間私は、5月3日のニジマス放流の準備をし、テレビを見、ツタヤにて初めてDVDを3枚も借りてきました。映画を見ようと思っていたけど、見られなかったものばかりです。
ニコラス・ケイジの『ロード・オブ・ウオー』、『ホテル・ルワンダ』そして『白バラの祈り』で、さっそく、『白バラの祈り』を見ました。
1943年の時点で、こういうナチスに対する大学生の抵抗運動があったんですね。
抵抗運動と言うと、今日は「昭和の日」といわれるはじめての祝日です。去年までは「みどりの日」、昭和天皇がなくなるまでは「天皇誕生日」でした。
”山崎”・”抵抗”・”昭和”とくれば、思い出すのは【山崎天皇を撃て】という本です。映画にもなったはずですが、著者は奥崎謙三というもと日本兵で、山崎と言う人も日本兵でした。
うろ覚えで恐縮ですが、奥崎という元軍人は、お正月の皇居参賀のとき、国民にあいさつするために皇居に並んだ天皇に向かって、山崎という戦友に成り代わって≪パチンコ玉≫を発射したものです。
もう何年前になるでしょうか、30年以上も昔のことだと思いますが、こういうことがあったために、次の年から参賀の場所はガラス張りになってしまいました。主権在民、国民主権なのに、天皇は単に象徴なのに、国民と天皇の間にそれこそ目に見えない壁が築かれてしまいました。
たったこれだけのために、パチンコ玉だったのに、天皇一家を隔離してしまったのは残念です。
奥崎謙三元日本兵は、無念の死を迎えなければならなかった山崎に代わって、不条理かつ理不尽、無責任な戦争指導者、そのトップに君臨していた天皇の戦争責任を問うというものだったと思います。
何もかもが曖昧なままに、水に流されてしまうかのように事実を究明しようともせず、だから責任を明確にすることもなく、あまつさえそういうことはなかったと強弁して憚らない、恥も外聞もなく無責任極まりない体制になってしまった日本、そういう国が独立国として、世界平和のために貢献するなんてことができましょうか。
どうしてもそういう愚痴になってしまいます。
そんな国が、安倍ごとき輩を首相とし続けて、憲法改正まで一気にやってしまおうとしている現状は恐ろしいとしか言いようがありません。
救いは夏の参議院選挙で退廃している自民党を大敗させて、安倍を引退させることしかありません。
でも、救いは天皇が靖国神社参拝をやめた動機が、靖国神社がA級戦犯を合祀したからだということです。よっぽど天皇の方がしっかりしている。アジア太平洋戦争についてもはっきりと反省しているようですし。