鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

桜との訣別

2007-04-22 23:19:34 | お知らせ

 昨日の夜からの雨。日中も雨、夜になって強くなってきました。まるで、梅雨に入ったかのようです。

 この分では、残っていた桜もほぼ全滅でしょう。致し方ありません。楽しませてくれた分、桜に感謝しないといけませんね。

 

 丁度、ということはないか、今から417年前の春、桜が咲き誇っていたであろう吉野山で、豊臣秀吉主催の大花見会が開催されました。

 伊達政宗のことを調べていて、偶然分かったのですが、豊臣秀吉、豊臣秀次、徳川家康、、前田利家、小早川秀秋、宇喜田秀家、そして伊達政宗らの大名・武将も、公家や歌人らとともに吉野山の花見に参加したそうです。

 大名たちは仮装をし、正宗は山伏の扮装をしたとか。

 

 このとき、花に関する「五つの歌題」に応じて歌を詠むという遊びをしたらしいです。各人の教養を試したのでしょうか。

 私が目にしたのは、秀吉・家康・利家・政宗の4人の、それぞれの題に応じた歌ですが、元は同じはずなのに、資料によっては少しずつ異なっているのですね。

 

 まず、5つの題からして少し異なっています。でも、これくらいならひらがなと漢字の違いという言い方もできると思います。

 

①「はなのねがひ」「花のねがひ」「花の願い」

②「はなをちらさぬかぜ」「花を散らさぬ風」「花をちらさぬ風」

③「たきのうへの花」「滝のうへの花」「瀧上花」

④「かみのまへのはな」「神のまへの花」「神前花」

⑤「はなのいはひ」「花のいはい」「花祝」

 

 ①に対しての政宗の歌;(これはまあ問題なしですか)

(1)おなじくはあかぬ心にまかせつつちらさで花を見るよしもがな

(2)おなじくはあかぬこころにまかせつつちらさで花をみるよしもがな

(3)おなじくはあかぬ心に任せつつ散らさで花を見るよしもがな

 

 ②に対しては;(これは「くみし」と「かりし」は違います)

(1)とをくみし花の木ずゑもにほふなり枝にしられぬ風やふくらん

(2)とをかりし花の木ずゑも匂ふなり枝にしられぬ風やふくらん

(3)遠く見し花の梢も匂うなり枝に知られん風や吹くらん

 

 ③に対しては;(「たきの」と「たきつ」、「れば」と「るは」)

(1)よし野山たきのながれに花ちればいせきにかかる浪ぞたちそふ

(2)よしの山たきつながれにはなちればいせきにかかる浪ぞたちそふ

(3)吉野山瀧津流れの花散るは井関にかかる浪ぞ立ちそう

 

 ④に対しては;

(1)むかしたれふかきこころのねざしにてこの神垣の花をうへけん

(2)むかしたれふかきこころのねざしにてこの神がきのはなをうゑけん

(3)昔誰深き心の根差にてこの神垣のはなを植えけん

 

 ⑤に対しては;(「はの」と「はを」、「そは」と「そう」)

(1)君がためよしのの山の槙の葉のときはに花の色やそはまし

(2)君がためよし野の山のまきのはのときはに花の色やそはまし

(3)君がため吉野の山の槇の葉を常磐に花の色や添うまじ

 

 という風に微妙に異なっているのです。原本というか1594年(文禄3年)のときの文書を見れば、ひらがなと漢字の使い方がどうなっているのかはわかると思うのですが・・・。

 でもこのときは、歌を歌うのは本人ではあっても、秀吉は供の歌人に書かせたらしいですし、家康や政宗は自筆だったようです。

 政宗はこの時の歌によって、戦いばかりではなく、教養人でもあることを広く世間に知らしめたということです。

 

 写真は家のシクラメンです。

コメント (3)
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