鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

残念です!

2013-09-21 22:42:47 | 思いつくまま

  きょうは暑かった!!文句なしに、猛烈な暑さと言っていい。 行燈枠の設置等は朝6時から始めたので暑くは感じなかったですが、その後芳名簿を貼る頃には全くもって強い日差しとなりました。

 

 道路を挟んでの南北の行燈枠です。 これだけでも何かと大変な作業で、集まった人たちでああでもない、こうでもないと言いながらの作業ですが、はじめて作業に従事する人もいたので、あまりにすんなりと作業が進むよりは会話が成り立って、いわゆるコミュニケーションを図ることになりますし、その後の町内会活動に参加してくれるかもしれません。 

 一緒に作業をすることにより、役員の個性?を少しでも知ってくれて、いろんな活動が面白そうだと思ってくれたらシメタものです。

                     

 

 子どもたちから募集したお祭りのPRポスターです。 ポスターを描いてくれたり、行燈の絵を描いてくれたりした人にはイベントで使用できる”金券”を進呈しています。

         

 

 上下の写真は午後5時30分頃のものです。上が東で、下は西側です。

             

 

 きのうきょうと地元紙や全国紙で結構大きく取り上げられているのが 『震災遺構』 をどうするかです。 地元の河北新報の見出しは、「南三陸防災庁舎解体へ 町、11月にも着手」、「『解体』『解体延期』『保存』 遺族ら 三様のまま」、「遺族を思い庁舎解体へ理解 残念がる見学者ら複雑」、朝日新聞は、「南三陸町、防災庁舎撤去へ」 となっています。きょうの朝日新聞ではさらに「消えゆく震災以降」として、7段組みの記事を大きく掲載しています。

 写真の南三陸町防災庁舎の写真は先月8月15日撮影のものです。

 

 この防災庁舎は11月に解体されそうです。 遺族からの「見るのが辛い」という意見が町を動かした感じですが、保存が難しい理由は、① 国、県の支援がなく、財政面の手当てがつかないこと、② 復旧工事に伴う土地のかさ上げで、庁舎の1階部分が周囲から見えなくなること、③ そのため排水が難しい、というものです。

            

 しかし、本当にそれでいいのか、私は疑問です。 これこそは何とかして後世に残すべきものと考えます。 気仙沼の大型漁船については、個人的にはこちらも残してほしかったのですが、漁船は民間会社の所有であり、打ち上げられているところも民間の土地のようで、行政が後世に残すとしても、なかなかに大変かと思います。

 でもこちらの防災庁舎は南三陸町の所有物です。土地も建物も公共のものです。このことはかなり大きいことではないかと思っています。 ようは町長のやる気がどれだけあったのかということに尽きるでしょう。 町長が何としても後世に残していくべきものだと考えれば、たとえ町民が反対したとしても、行政の責任で町民の、とくに遺族等の理解を得るべく最大限の努力をすべきでした。 残念です。 自分たちで2年6か月前の大きな悲劇を忘れないために、また日本全国の人たちにも忘れないために、忘れ去られないために何とかしようという気持ちが必要ではなかったかと思います。 大地震・大津波・原発事故は、残念ながら風化してきていますが、これ以上風化させないためにも残すべきだと思います。 記憶の風化には7年後の東京オリンピックも大きく影響することでしょう。 これからますます東京オリンピックによる景気浮揚策が大々的にマスコミにも取り上げられるでしょう。 辛い悲しい記憶よりも、オリンピックという楽しい行事の方が誰にとっても受け入れやすことでしょうし。

 私なりに反論してみると、①の国や県の支援がないなんてことを理由にするのは情けないです。 なんですぐに国や県に頼ろうとするのか。 独自の考えで費用の面も含め徹底的に考え、行動に移すべきではなかったかと考えます。 きちんとした計画があるのであれば、全国に訴えて寄付金との援助を求めてもいいはずです。 なんの恥ずかしさもありません。

 ②については、そのままでいいと思います。 この建物の周辺を”記憶の公園”とすればいいのです。 観光地化してもいじゃないですか。 当時はここまで低かったけど、そのごここまでかさ上げしたのだということが一目瞭然でしょう。 全国からアイディアを募集してもいいでしょう。 ことはひとつの町のことだけではない、その範囲を超えているものと考えます。

 ③の排水が困難なんて、今の日本の土木技術をもってすれば何とかなるのではないでしょうか。土木国家、土建国家の面目躍如となるのではないでしょうか。 自民党の独裁体制になってますます公共事業、公共工事は推進されることでしょうし。

 壊すのは簡単です。壊した後に後悔しても後の祭り、もうどうしようもありません。

 遺族の思いを大切にすることは当然大事なことです。大事なことですが、町民が、人間がこれからも生き続けていくのであれば、悲しみは将来、後世にも引き継ぐべきではないでしょうか。 悲しみ苦しみは遺族だけのものではないこと、幅広い国民が悲しみを共有するためにも、そしてそれをずーと長期にわたって引き継いでいくためにも保存は意義があります。

 みんなで風化させない、悲しみを共有することによって、遺族の悲しみを少しでも軽減するという方向で、もういちど保存か解体か考えてほしいと思います。とくに町長には。

 みなさん、まだ無残な防災庁舎をみたことがない人は、このさい何とかして一度見てみてください。 後世に残す意義があるかないか、防災庁舎がひとり一人に応えてくれることでしょう。

 


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