早いですね、毎日が早く過ぎ去ります。 長月が去り、神無月がやってきます。 そして今年も残すところあと三か月となりました。
あの暑かった夏も本当にあったのか、と懐疑的になったりして、本当に人間は(私は)忘れっぽい存在だなあとつくづく思います。
風化させない、忘れない、永遠に記憶にとどめておくと言っても、よほど意識しなければ、また繰り返し原点に戻るようにしなければ忘れてしまいます。
その意味でも、今回の大震災を記憶し、将来に渡って語り継いでいくためにも、「震災遺構」と言われるものは極力残していくということが大切なことだと思うのですが、現実には多くの震災遺構は取り壊される運命にあります。
確かに遺族の感情を考えれば、無責任に何が何でも残すべきだとは言えませんが、遺贈の感情も十分にくみ取ったうえでの震災遺構の保存ということは可能ではないでしょうか。
それはたとえば震災遺構そのものを記念して残す物とするだけではなく、祈念する対象物として指定し、当該地の市町村や県も中心となって慰霊の対象物として、そこを中心として毎年慰霊祭を執り行い、後世に引き継いでいくというものです。 遺族だけではなく、その市町村に住むすべての人々が悲しみを共有し、心から哀悼の意を表明する、そういう日を設けて決して忘れないように、義務教育段階での教育を充実して行く、そういうことは不可能でしょうか。 悲しみを共有するということが絶対的に必要なことだと思います。 でなければ単なる歴史上の悲惨な出来事として、後世語られるだけとなってしまいかねないのではなんでしょうか。
そんなことを午前10時過ぎの空の雲を見て思いました。
南の空
北の空
雲を見るといろんなことを感じませんか。いろんなことを思い出したり、思ったりしませんか。
一方陸地の川は、広瀬川は、分流はこうなっています。 減水しています。
上流側から下流へ向かいます。
広瀬川の「イギリス海岸」も露出し始めました。
分流が本流と合流するところです。 サケが遡上してくるのに十分な水量が欲しいところですが、今後のことが心配です。
北上川の上流部、盛岡の川にはもうサケが姿を現したと地元の新聞記事が伝えています。 鮎は史上最低と言っていい状態でしたが、サケは逆に最高の遡上の年となってほしいものです。