今日はことのほか暑い一日でした。73年前のきょうも暑かったのでは。
≪天皇陛下のおことば≫
本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来既に73年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。
戦後長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
簡潔にして明瞭、その思慮深さに今更ながら素晴らしいことと共鳴してしまいます。さすが”祈る人”としての象徴天皇がここにあるという感動すら覚えます。
そこいくとデンデン宰相の式辞は、いかにも官僚が書いたような文言が並ぶだけで、心に響くようなことはありません。特に笑ってしまうのは、「歴史と謙虚に向き合いながら」という文言です。歴史修正主義者の言う言葉か。
”歴史と謙虚に向き合った”外交を展開してきたのなら、対韓国・対北朝鮮・対中国との関係はもっともっといい方向に進んでいただろうに。 アメリカのポチになることが”歴史と謙虚に向き合った”結果なのか。
そしてよく追悼式等で語られることば、「今日の平和と繁栄が、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れません。」という言葉ですが、本当にそうなのでしょうか。
厳しく考えてみると、生き残ったものが自分を正当化するための考えではないでしょうか。一見すると亡くなった人々を追悼するかのようですが、単にそのように語ることによって生き残った自分を正当化し、生き残ったという責任から逃れようとする、そういういやらしい魂胆が含まれていないでしょうか。
じゃあもしも日本が戦争に勝っていたら、どうなっていたのか。平和と繁栄を謳歌するような国になっていたのか。多くの犠牲者がなかったら平和と繁栄の世の中はこなかったのか。310万人という多大な犠牲者を”犬死ではない”ということによって救済するかのようであって、実は生き残った者たちの平安を得ることになっていないか。
「平和と繁栄」を「310万人の犠牲」と同列に扱っていいのか。同列に扱えるものなのか。平和と繁栄をもたらしたから戦争を指導した者たちを免罪にしていいのか(東京裁判で東條以下絞首刑にはなったものの)。
もっと突き詰めれば日本人自らの手で戦争責任を究明し追及するということをすべきではないか。不十分だったから歴史修正主義者が闊歩するような時代になってしまったのではないか。310万人の犠牲者が出たのに、戦後日本は平和でもなく繁栄もしていなかったらどのように総括するのか。いろんなことを考えてしまいます。堂々巡りに近いのかもしれません。
そのように考えてくると、「片時たりとも忘れません」ということは、自分の祖父の戦争責任を、岸信介本人の戦争責任を、常に深く自覚しつつ政治をやって欲しいものです。
まとまりがつかなくなってしまいました。言いたいことがどれくらい伝わったか心もとないですが、このままでいいとは思いません。
msnニュースで読んだことです。「96歳 元海軍兵の「遺言」」を書いた大阪市の瀧本邦慶さんの言葉です。空母飛龍の乗組員で、大敗北のミッドウエー海戦でも生き残り、そのため事実を漏らされないようにとトラック諸島に配置というか監禁された時の話です。
・・・・・。(引用開始) 送りこまれたトラック諸島では、戦友や部下が次々と餓死していった。「やせてやせて、本当に骨と皮になって、ほんで死んでいくんですよ。人間の姿ではありません」
仲間が餓死すると、近くの山に埋めにいく。穴を掘る体力などない。地面をかきむしって遺体を入れ、穴からはみでているところは土を乗せて薄くならした。それで終わり。
「なんと申し訳ないことを死者にしたのかと思う。思うけれど、その時はそれどころじゃないんですわ。遺体の処理をしながら、あ、俺はいつやろかと、そんなことを考えながらやっとるわけです。あすは自分の番や。だから堪忍してくれと心の中で手をあわせて、ほいでかえってきた」
それまで上官から繰りかえし聞かされたのは「貴様ら、よく聞け。いったん戦地に行ったら階級の上下は関係なしに一緒に死ぬんやぞ」ということだった。
嘘だった。
戦後73年となる今も瀧本さんが声に怒気と殺気を込めて語るのは、やはりトラック諸島でのできごとだ。
木の葉を海水で煮て食らうしかない日々。餓死していく下っぱ兵たちを尻目に、非常用の備蓄食糧に手を出して食べている上官たち。どうにも我慢ならなくて瀧本さんは分隊長に食糧の開放を願いでる。
「一発でことわられました」
「われわれ下っぱが草を食って命をつないでいるときに、士官どもは銀飯を食べとるんですよ。銀飯ですよ、銀飯。こっちは草くうとるんや」
みずからにも餓死が迫りくる中、瀧本さんはこう考えるしかなかった。
「こんなね、南のね、ちっぽけな島で骨と皮になってね、のたれ死んでね、ヤシの木の肥やしになるだけなんて、こんな死にかたは納得できない」
「ここで死ぬことがなんで国のためか。こんなばかな話があるか。こんな死にかたがあるか。何が国のためじゃ。なんぼ戦争じゃいうても、こんな死にかたに得心できるか。敵と戦こうて死ぬならわかる。のたれ死にのどこが国のためか」 (引用終わり)
インパール作戦でもひどい隊長がいましたね。自分専用のお風呂一式を持っていったとか、ある本に書かれていました。輸送船で海の藻くずとなった兵士は35万人もいるし、軍事用に徴用された船の乗組員(民間人)の死者は60,643人で船は7,240隻(NHKTV)というし、仲には20歳未満の漁船員にアメリカの軍艦の偵察をやらせたりもしていたそうです。そして軍人の死亡は戦闘行為でよりも逃避行による餓死・病死の方が多いという現実。外地に眠る遺骨を本当に発掘して日本に持ち帰るつもりなのですか。『全力を尽くしてまいります』なんて言っても口ばかりなのは国会での答弁を見ればお分かりのはずです。
暗い話しになってしまいました。平成天皇が退位されてからの日本が心配です。皇太子妃が美智子さまのようであれば安心なのですが、実質的に皇太子ひとりではなんか心細い感じがします。