それまで日産派だった私を、誘惑した初めてのホンダ車が2代目アコードだったことについては、先日語ったとおりである。
そして1982年の秋、このクルマのCMに、私の目はクギ付けになった。
そう、ホンダの2代目プレリュードである。そのボレロの音楽と相まって、ものすごくカッコよく、オトナのクルマに見えた。それに対して日産は「マッチのマーチはあなたの街にマッチ!」とかやっていたものだから・・・なんとも切ない。
そして、多感なモラトリアムの中学生だった私は、日産派を止めて、ホンダ派に寝返ったのだった。
私は、ホンダベルノ店まで自転車を走らせ、プレリュードの本カタログを入手した。
「Something Coming 私の時が始まる。」・・・当時のホンダは、広告展開が非常に大人びていた。当時の日産とは、まさに好対照である。
このカタログの前半は、主にメカニズム解説に費やされている。まずは「1気筒あたり3バルブ」のデュアルキャブ12バルブ1.8リッターSOHCエンジンの解説。
それは125PS・15.6Kg・mを発揮。MT車の10モード燃費は13.0km/L。
当時のノンターボの1,800cc車としては、なかなかハイパワー。この時代においては、燃費とのバランスにも優れたエンジンだったと言えるかもしれない。
4-2-1-2エキゾーストは、F1やF2で磨き抜かれた、とっておきのレーシングテクノロジーが活かされたものだという。
文系の私は、このカタログにびっしりと書かれていた解説を読んでも、なぜそれがイイのか、さっぱり理解できなかったが・・・
フロント・ダブルウィッシュボーン・サスペンション。
それは、FF横置きエンジンのこのクルマのボンネットフードを低くすることに、大いに寄与した模様。
今では当たり前の装備のABS。それを国産車で初めて搭載したのは、このプレリュードだった。
当時のホンダは「4輪アンチロックブレーキ・システム=4W A.L.B」と呼んでいたのだ。
「ウルトラ・ワイド・&ロー」なボディは、空力特性にも優れていた模様。
アイポイントは低いながらも、さらに低く構えたボンネット。当時、自動車評論家の星島浩氏は、「前方視野はまさにパノラマで、ミッドシップのスポーツカーでもなければ味わえない。大げさにいえば新しい次元の視界だ」と、大絶賛していた。
全方位に渡って良好な視界が確保されていたのは、この時代のホンダ車の美点である。
フロントドアの横幅いっぱいに設置されたデフロスターは、エアカーテンとなって、広いガラスエリアの曇りを素早く取り除くという。
この時代から流行し始めたデジタルメーターは、最上級車の「XX」に装着車を設定。
それよりも重要な美点は、全車に「図形表示式の半ドア警告灯」を標準装備していたことだ。これは実用上、本当に便利な装備なのだ。
トランスミッションは、当時としては先進の、「ロックアップ機構付ホンダマチック4速フルオート」を用意。
ATシフトレバーの形状が、なんとも、男っぽいというか、なんというか・・・・
そして、このフロントマスク。非常に幅広く、低く、実にカッコ良く見えた。
この頃のホンダは、メッキモールの使い方が、実に上手かった。
本当に、他メーカーの国産車とは一線を画する上質さを持っていたのだ。
当時のBMW6シリーズのエッセンスを、巧みに取り入れていたと言えましょう。
実にアートな、細部のデザイン。登場当時はブラックだったリアガーニッシュはマイチェンでレッドになってしまったが、ブラックの初期型の方のデザインを、私は好む。
全車標準装備の電動スモークドガラス・サンルーフ。フラッシュサーフェス化されたドアハンドル。そして、リトラクタブルヘッドライト・・・もう、ツボがいっぱいである。
スポーティーでありながらも、シックなインパネ。この当時のホンダ車は、プラスティックの質感の出し方が、他メーカーよりもずっと上手だったのだ。
いかにもホールド感のありそうな、フルバケットシート。
実用性とデザインとを両立させた、インパネ周辺の意匠。
リヤシートは一体可倒式で、現代のスバルBRZにも共通する利便性を持っていたのだ。
「マン・マキシマム/メカ・ミニマム」という、当時からのホンダの思想が読み取れる、この透視図。
最上級の「XX」は、パワーウインドウ・パワーステアリングを装備。
スポーティグレードの「XZ」は、レッドのストライプでスポーツ感を演出。
ベーシックグレードの「XC」にすらも、電動サンルーフとクルーズコントロールが、標準で付いている!
全長4,295mm/全幅1,690mm/全高1,295mmのディメンション。
ちなみに、スバルBRZのそれは、4,240mm/1,775mm/1,300mmである。全幅以外は、かなり近いサイズなのだ。
プレリュード、憧れのクルマだった。この頃のホンダの立ち位置は、他の国産車メーカーとは一線を画する、ストイックかつ上質なイメージだった。それは、CM戦略のみならず、実際に作っていたクルマが、下世話で幼稚な他の国産車メーカーとは、まったく異なっていたのである。
私の考えるホンダの黄金期は、’80年代前半だった。この2代目プレリュードは、ホンダが輝いていた時代の、まさに前奏曲だったと思う。