私は'89年秋頃からF1の虜になり、それからほぼ全戦欠かさず観ているが、今週末のスペインGPと次回のモナコGPで”ファイター”佐藤琢磨の走りを観戦できないのは残念なことである。2戦出場停止というのは、思いのほか軽い裁定であったともいえるし、FIAのいちゃもんによるイジメと取ることも出来るかもしれない。
かつて'84年には「ティレルの水タンク事件」というのがあり、このシーズンのティレルの全成績が抹消されている。そして、赤旗中断されなければ「プロストではなくセナが勝っただろう」といわれている、あの有名な雨のモナコグランプリで、セナよりも速いペースで走っていたのが、そのティレルに在籍していたシュテファン・ベロフなのだそうだ。ベロフはセナと同世代のドライバーだから、彼が存命していれば二人の熱いバトルは「セナ・プロ対決」以上のものだっただろう。
そして、'94年のサンマリノGPでセナがあんなことになっていなければ、ミハエル・シューマッハの記録もココまでは伸びなかっただろう。勝っても勝っても人気の出ないシューマッハを見ていると、私は北の湖全盛時代の相撲を思い出してしまう。セナの死はシューマッハにとっても不幸なことであった。
かつて'84年には「ティレルの水タンク事件」というのがあり、このシーズンのティレルの全成績が抹消されている。そして、赤旗中断されなければ「プロストではなくセナが勝っただろう」といわれている、あの有名な雨のモナコグランプリで、セナよりも速いペースで走っていたのが、そのティレルに在籍していたシュテファン・ベロフなのだそうだ。ベロフはセナと同世代のドライバーだから、彼が存命していれば二人の熱いバトルは「セナ・プロ対決」以上のものだっただろう。
そして、'94年のサンマリノGPでセナがあんなことになっていなければ、ミハエル・シューマッハの記録もココまでは伸びなかっただろう。勝っても勝っても人気の出ないシューマッハを見ていると、私は北の湖全盛時代の相撲を思い出してしまう。セナの死はシューマッハにとっても不幸なことであった。