読了・崖っぷち弱小大学物語
杉山幸丸、2004、『崖っぷち弱小代が開く物語』、中公新書ラクレ
短大も含む大学への進学率は50パーセント超、平成17年には、大学入学定員と大学進学希望者の数が均衡するという。大学への進学希望者の動機は、主体的でなく状況依存的であるにせよ需要と供給が均衡するとの状況は、大学関係者としては、非常に大きなインパクトを与える環境である。こうした流れは最近になって突然の変化として現前したわけでもなく、当然の事ながら、ずいぶん前から、予測されていた。しかし、バブル時代の右肩上がりのチャートがそれを一時覆い隠していただけである。
著者は、日本のエリート大学を卒業し霊長類学の研究にいそしみ、研究所において長年勤務を続け、定年退職を待って地方の新設大学の学部長として赴任した。その、ここ数年における「戦い」の記録である。
著者の主張は、エリートではない普通の大学生は日本の大学生の標準モデルであり、彼らとどのようにかかわって「教育」をしていくかと言うことが日本の未来を規定する。従って、普通の大学の教育は、様々な葛藤を克服しつつ、やり遂げなければならず。著者の経験がその事例として語られるのである。学生との対応、教員や理事会、事務方への意識改革・・・。
本年4月以降の国立大学法人化、そして、その後へと模索する各国立大学への様々の試みとは違い、ある種、本音の部分がうかがえ大変身につまされた。もちろん、それは、読者であるわたしが大学関係者であり、同時に、ある程度の歴史ある大学の教員であることもその理由である。しかし、押し寄せる波に飲み込まれようとしている状況には変わりない。何らかの解決を見いださなければならないのだ。
主張としては、大変よく共感できる。すなわち、大衆化した大学における教育は、否応なく近未来日本を規定する。しかし、各大学には共通の課題を抱えつつも、解決すべき課題とアプローチは、非常に個別的である。
私立大学の場合、国立大学が一気に法人化への進むといった状況とは、明らかに異なる。各大学法人は、それぞれ、日本全体の流れに従いつつも、それぞれ独自の歩みを遂げなければならない。それであればこそ、独自性を主張しうる。
ここに、もっともらしく普遍的な二律背反が存在する。すなわち、問題解決の方向性について他の
大学と同調しなければならないにもかかわらず、同時に埋没せずに独自の道を見いださなければならないのである。カリキュラムや歴史をふまえ、様々な事柄で独自の方向性も見いだしつつも、金太郎飴の様な大学にならずにすます・・・、本当は、それができればいいのだが・・・。
短大も含む大学への進学率は50パーセント超、平成17年には、大学入学定員と大学進学希望者の数が均衡するという。大学への進学希望者の動機は、主体的でなく状況依存的であるにせよ需要と供給が均衡するとの状況は、大学関係者としては、非常に大きなインパクトを与える環境である。こうした流れは最近になって突然の変化として現前したわけでもなく、当然の事ながら、ずいぶん前から、予測されていた。しかし、バブル時代の右肩上がりのチャートがそれを一時覆い隠していただけである。
著者は、日本のエリート大学を卒業し霊長類学の研究にいそしみ、研究所において長年勤務を続け、定年退職を待って地方の新設大学の学部長として赴任した。その、ここ数年における「戦い」の記録である。
著者の主張は、エリートではない普通の大学生は日本の大学生の標準モデルであり、彼らとどのようにかかわって「教育」をしていくかと言うことが日本の未来を規定する。従って、普通の大学の教育は、様々な葛藤を克服しつつ、やり遂げなければならず。著者の経験がその事例として語られるのである。学生との対応、教員や理事会、事務方への意識改革・・・。
本年4月以降の国立大学法人化、そして、その後へと模索する各国立大学への様々の試みとは違い、ある種、本音の部分がうかがえ大変身につまされた。もちろん、それは、読者であるわたしが大学関係者であり、同時に、ある程度の歴史ある大学の教員であることもその理由である。しかし、押し寄せる波に飲み込まれようとしている状況には変わりない。何らかの解決を見いださなければならないのだ。
主張としては、大変よく共感できる。すなわち、大衆化した大学における教育は、否応なく近未来日本を規定する。しかし、各大学には共通の課題を抱えつつも、解決すべき課題とアプローチは、非常に個別的である。
私立大学の場合、国立大学が一気に法人化への進むといった状況とは、明らかに異なる。各大学法人は、それぞれ、日本全体の流れに従いつつも、それぞれ独自の歩みを遂げなければならない。それであればこそ、独自性を主張しうる。
ここに、もっともらしく普遍的な二律背反が存在する。すなわち、問題解決の方向性について他の
大学と同調しなければならないにもかかわらず、同時に埋没せずに独自の道を見いださなければならないのである。カリキュラムや歴史をふまえ、様々な事柄で独自の方向性も見いだしつつも、金太郎飴の様な大学にならずにすます・・・、本当は、それができればいいのだが・・・。