South Is. Alps
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Coromandel
Coromandel, NZ
Square Kauri
Square Kauri, NZ
Lake Griffin
Lake Griffin


きゅうり、わかめ、うなぎの酢の物

きゅうり、わかめ、うなぎの酢の物(きゅうりに包丁目を細かくいれ、一センチほどに切る。ボウルに入れて塩もみする。米酢、砂糖少々、醤油をあわせ、戻した若芽、茗荷のスライス、戻したわかめ、うなぎの切り身を入れてあえる)
うなぎの長焼(花椒をかけて食べるとおいしい)
小松菜のおしたし

2006-06-22 21:14:04 | 夕食・自宅 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『補給戦:なにが勝敗を決定するのか』

マーチン・ファン・クレフェルト、2006、『補給戦:なにが勝敗を決定するのか』、中公文庫(復刻版)

近代戦によらず、大量の兵士やその武器を動員する戦争は必要となる兵員や食料、武器弾薬の調達およびその輸送を行う兵站術=補給なくしては、成立し得ない。たとえ、すべてを侵入先において現地調達するとしても、戦争の目的遂行のためには、必ず、兵站の発想を必要とする。一点に大軍を集中すれば当然のことながら、食料や移動手段や武器弾薬をどのように移動させるかが戦争の成否にかかわることになること、これは、言わずもがなのことである。しかし、本書は、そうした言わずもがなのことを17世紀以降の戦史を踏まえつつ詳述しながらも、戦争遂行の成否が兵站術の成否とはむしろ一致することはなく、むしろ、それを超越する人間の意志が兵站を凌駕することを指摘するのである。
たとえば、第二次大戦中、北アフリカに進出したドイツ軍のロンメル将軍率いる機動部隊の戦略と、ロンメルに並び賞される米軍のパットン率いる戦車隊の突出とが比較される。前者は敗退したのであるが、その理由は、補給の失敗であるとされていたのだが、じつは、地中海の困難な補給戦をかいくぐって届けられた物資が大量に備蓄されている港湾から離れ、長躯エジプト駐留のイギリス軍に挑んだために、補給線が伸びきり、最後の打撃を与えることができなかったのであって、戦略物資そのものの絶対量は十分であったにもかかわらず、補給線を考慮しなかったロンメルの戦略が過ちを犯したわけである。
一方、同じく補給を考慮せず、一方的にドイツ軍に攻勢をくわえた米軍のパットンは、慎重に兵站が考慮され構築されたにもかかわらず米英連合軍によるフランス上陸作戦の補給が計画通りに進まず、司令部が慎重に戦線拡大を図ろうとしたのに対して、その指令を無視して、猛進したことが、かえって、ドイツ軍の崩壊を早めたのである。つまり、補給線の伸張を無視して猛進したことが、かえって戦略として当を得ていたことになるのである。

戦争論を書いたクラウゼヴィッツは戦争を政治の延長線にあると喝破するのだが、本書の著者のクレフェルトは、戦争が政治にとどまらず、宗教や兵站計画への熱狂といった「政治外的強制」とでもいうべき要素によって動かされると、従来の戦争論に大きな転換点を提示するのである。現代の戦争は、国家と国家によっての正規戦ではなく、国家と非正規勢力の戦いがふくまれる。また、宣戦布告もなく戦われ、戦争でもないのに非戦闘員をいきなり巻き込む911事件がおこされたり、また、悪魔の使いかのように「ザルカウィ」個人を国家が殺戮する。容疑者と呼ぶ以上、殺戮より前に拘束を目指し裁判にかけることが筋と言うものであろうが、マスコミも何もそうした異論をさしはさむそぶりもない。さらに、戦争当事国以外の地に捕虜を送り非人道的な虐待をおこなうといったこともおきている。現在の「戦争」は従来の戦争とは異なる様相が現出するのである。
本書は「補給戦」とのタイトルを持ち兵站をメイントピックとして論を展開するのであるが、現代の戦争論として大変興味深い。

補給戦―何が勝敗を決定するのか

中央公論新社

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2006-06-22 00:45:46 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )