Southbank, Brisbane, "Mado Restaurant" (Turkish)

今日は朝早くから、130キロほど西のToowoombaという街にあるUniv of Southern Queenslandに出かけた。話が弾み、10時から13時頃まで、昼もごちそうになった。帰りも順調で、15時前には宿に帰ってきた。
宿で、今日の情報の整理とメールの整理をして、17時過ぎ、待ち合わせのSouthbankにあるトルコ料理の"Mado Restaurant"に行く。ここで待ち合わせるのは、30年ほど前にエルコ島であったJG(当時、小学校の先生で、大学を終えてすぐに着任、彼女の家に居候させてもらった)と18歳の息子Jと14歳の娘E。そして、研究仲間でJGの家の共同居候人だったKSの姪っ子M。Mは大学1年で、初めての外国。2週間英語学校に通い、あとの1周間は課題に取り組むそうだ。
JGは変わらない。おたがい、30年の月日は否めないが、相変わらずだった。とても良く育った二人の子どもたち、連れ合いのAは単身赴任で、NTにいるという。年に数回帰ってくるだけだと。再会を約す。
ディップと焼き物のメニュー。
ブリスベンに何度か来たのがいつだったか、よく覚えていないが、4,5回は着ているはずだ。でも、最近では、7−8年は、昨年、かすったぐらいのものだろう。Southbankはいぜん来た時は再開発の途上だったような記憶だが、今はたくさんのレストランが並ぶ賑やかなところとなった。
宿で、今日の情報の整理とメールの整理をして、17時過ぎ、待ち合わせのSouthbankにあるトルコ料理の"Mado Restaurant"に行く。ここで待ち合わせるのは、30年ほど前にエルコ島であったJG(当時、小学校の先生で、大学を終えてすぐに着任、彼女の家に居候させてもらった)と18歳の息子Jと14歳の娘E。そして、研究仲間でJGの家の共同居候人だったKSの姪っ子M。Mは大学1年で、初めての外国。2週間英語学校に通い、あとの1周間は課題に取り組むそうだ。
JGは変わらない。おたがい、30年の月日は否めないが、相変わらずだった。とても良く育った二人の子どもたち、連れ合いのAは単身赴任で、NTにいるという。年に数回帰ってくるだけだと。再会を約す。
ディップと焼き物のメニュー。
ブリスベンに何度か来たのがいつだったか、よく覚えていないが、4,5回は着ているはずだ。でも、最近では、7−8年は、昨年、かすったぐらいのものだろう。Southbankはいぜん来た時は再開発の途上だったような記憶だが、今はたくさんのレストランが並ぶ賑やかなところとなった。

