『バイエルの謎:日本文化になったピアノ教則本(新潮文庫)』
安田寛、2016、『バイエルの謎:日本文化になったピアノ教則本(新潮文庫)』、新潮社
しばらく前に読み上げていた寝本なのだが、登録漏れ。
ご多分に漏れず、私も戦後のピアノ学習者の片割れ。昭和26年生まれが、3歳の頃からピアノを習い始め、小学校の頃まで続けたものの挫折。もちろん、バイエル様のお世話になった。ソナチネまで長年かけてたどり着いたところで断念した。
明々白々のバイエル教本が作者のこともよくわからないなどというのは、もちろん当時は知る由もなかったが、実のところ、わたしはバイエルに辟易していたとも言える。くわえて、ピアノを習いに行っていた教室は女の子ばかりで、これも、意欲を減少させたのだけれども、それはともかくも。バイエルには苦戦した思いでしか残っていない。
高校生のころ反省があって、ピアノピースを買ってきて、ソナタを独習したが、動機付けも乏しく再びの挫折。あとは、時間がないとやらの自己弁護。
それはともかくも、本書はバイエル様の謎を解き明かしてくれた。だからといって、ピアノ学習に復帰する意欲には結びつきはしないのだけれど。くわえて、1990年代以降のバイエル再考の動きとも関連したとあっては。ピアノ学習挫折者の、後悔というか、想いとしては、運針だけではなくもう少し、たのしく、子供時代のピアノ学習がしたかった、ということ。
じつは、今も後悔があって、電子ピアノでもいいのでキーボードが引けるようになりたいのではあるが・・・。
しばらく前に読み上げていた寝本なのだが、登録漏れ。
ご多分に漏れず、私も戦後のピアノ学習者の片割れ。昭和26年生まれが、3歳の頃からピアノを習い始め、小学校の頃まで続けたものの挫折。もちろん、バイエル様のお世話になった。ソナチネまで長年かけてたどり着いたところで断念した。
明々白々のバイエル教本が作者のこともよくわからないなどというのは、もちろん当時は知る由もなかったが、実のところ、わたしはバイエルに辟易していたとも言える。くわえて、ピアノを習いに行っていた教室は女の子ばかりで、これも、意欲を減少させたのだけれども、それはともかくも。バイエルには苦戦した思いでしか残っていない。
高校生のころ反省があって、ピアノピースを買ってきて、ソナタを独習したが、動機付けも乏しく再びの挫折。あとは、時間がないとやらの自己弁護。
それはともかくも、本書はバイエル様の謎を解き明かしてくれた。だからといって、ピアノ学習に復帰する意欲には結びつきはしないのだけれど。くわえて、1990年代以降のバイエル再考の動きとも関連したとあっては。ピアノ学習挫折者の、後悔というか、想いとしては、運針だけではなくもう少し、たのしく、子供時代のピアノ学習がしたかった、ということ。
じつは、今も後悔があって、電子ピアノでもいいのでキーボードが引けるようになりたいのではあるが・・・。
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