中村明一、2006、『「密息」で身体が変わる』、新潮社
虚無僧尺八の奏者であり、バークレー音楽院で学んだミュージシャンの中村明一が日本古来の呼吸法「密息」を中心に日本文化論を語った。
率直にいって、日本文化論としてはあまり面白くない。むしろ、彼の「密息」とのとの出会いやバークレー音楽院にはじまる尺八と「外国」音楽(あるいは、リズム)とのクロスオーバーnついていの記述が興味深い。
世界に様々な呼吸法が存在し、呼吸法が身体技法にかかわるという点、その通りで、これまた興味深い。比較呼吸法というジャンルも想定しうると思われる。おそらくは、どれが優れたということではなく、むしろ、身体技法の違いやそれにかかわる文化的多様性が興味深いところであろう。「密息」をマスターしたら世界が変わって見えたり、俊速の技が飛び出したりするというのはないだろう。
私は、オーストラリアの先住民に強い関心を抱いているが、彼らの楽器ディジャリドゥー(イダキ)のノンブレス奏法と尺八のノンブレス奏法の比較が興味深い。著者の次作はそうした、奏法の比較を期待したい。日本文化論はまあ、いいでしょう。
2006-12-21 11:37:03 |
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鶏の照り焼き、花椒風味(骨なし皮つき鶏もも肉をぶつ切りにして、塩胡椒しておく。ごま油を敷いたフライパンで、皮目を敷いて焼く。焦げ目がついたところで身を返し、用意したたれを注ぐ。たれは、日本酒、中国たまり醤油、濃口醤油、赤唐辛子粉である。仕上げに、花椒をかけて共する。ご飯にのせて、たれをかけて食べると、おいしい焼き鳥丼になる)
ほうれん草のおしたし(「ためしてガッテン風」?として、塩なしの湯で茹でて、出汁用のの鰹節をいって、フードプロセッサで粉砕した鰹節をかけ、濃口醤油をかけて食する)
蛸と若布の酢の物、柚子風味(いただきものの柚子の皮を包丁で剥き、中の白い内皮を包丁でこそげとる。これを千切り。柚子汁を絞り、米酢を少々加え、薄口醤油で味を調え、ここに薄切りした茹蛸と戻した塩蔵生ワカメをくわえてあえる)

鈴木理生、2006、『お世継ぎのつくりかた:大奥から長屋まで江戸の性と統治システム』、筑摩書房
本書は、子だくさんの徳川家康に始まる縁組みが公儀(幕府)による統治システムの根幹と位置づけて、当時の性風俗や江戸の町並みをあわせ紹介しながら述べている。
武家も公家も一夫一婦、ただし、子造りのためには多数の妾を持っていて、当時の乳幼児死亡率の高さから、リスクをとってたくさんの子どもを作ることが当主の重要な役割であった。家康が子どもを産ませた女たちの出自は様々で、宗家の跡継ぎも母の身分は問われない。それどころか、母の縁者は引き立てにあい、立身出世を遂げる。また、ご落胤というのも多数いたようで、例えば、妾が妊娠したまま、お下げ渡しになる。ただし、徳川宗家を継がせるようなことはなく、譜代大名として幕閣をになわせ、また、金座の後藤家のように徳川経済を支えさせる。
家の名前は男名で継がれるのだが、養子も差し支えない。商家ではむしろ、直系男子を隠居あるいは別家させて、娘に養子をとる。養子の名前で家が継がれるので男系に見えるが実質は母系制である。武家でも同じ。
公儀はこれを制度化して、徳川の血を外様大名にばらまいた。例えば、妾につくらせた娘を大名に嫁がせ、その際には「松平」の制を与える。息子たちは養子にやる。江戸の町の大名屋敷は「松平」ばかりである。娘がいなければ、他家から養女にとって徳川の姫にしてから嫁にやる。この場合も「松平」である。こうして、縁組みによって譜代・外様の大名たちは徳川の血縁支配のもとに組み込まれていったのである。
大名家といえども、この縁戚を断ることができず、廃嫡してでも徳川からの嫁あるいは養子をとったのである。法人としての大名家はこれで安泰。家臣たちも、本来の血筋にこだわるあまり、公儀との関係を悪化させたくはなかっただろう。
さらに、あえていえば、天皇家も藤原家の女性を通した母系制で、万世一系は藤原家の方のようにも見える。別のところに書いているが、自分の書いたものを手前味噌であるがセルフリンクしておく。
Sig's Diary: 20060129 女性天皇か女系天皇か:http://d.hatena.ne.jp/maning/20060129
形式的父系、実質的母系というのは、江戸時代に限らず日本の古いシステムだろう。本書でも繰り返し、万葉の昔以来の妻問い婚(妻あるいは妾のところに通って子をなし、子どもは母方で養育される)がふれられている。武家は父系かと思いつつも、徳川家の様子をみると、母系とはいえないにしても、名前がつながれば男系でも女性でもという双系的なシステムのように見える。
繰り返しが多かったり、途中筋が読めなくなったりしたが、これは、こちらの理解が悪かったのだろう。いずれにしても、興味深く読むことができた。
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2006-12-20 12:41:41 |
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豚しゃぶ(昆布出汁をとる。用意した具は、白ねぎ、水菜、椎茸、えのき茸、しめじ茸、豆腐、薄揚げ、豚シャブシャブ肉。用意したたれは、金ゴマだれ、ポン酢。仕上げに、稲庭うどん)
三浦佑之、2006、『金印偽造事件:「漢委奴國王」のまぼろし』、幻冬舎新書
半端なミステリーよりも面白い国宝の金印「漢委奴國王」が贋作であるという謎解き。博多湾に浮かぶ志賀島で江戸時代に百姓が掘り当てたという金印。後漢書が記す「倭奴国」と言う国名。著者は、福岡黒田藩の藩校の設立をめぐる勢力争いと絡めて、謎解きをする。
本書の謎解きに登場する本居宣長、上田秋成ほかの当時のビッグネームたち。大変興味深かった。それにしても、真贋はともかく、所詮は、あらゆる学問は真実をいかに説得的に語ることができるかという仮説構築の営み、いわば、「エクリチュール」であると言うことに尽きようか。その意味でも、本書への反論が望まれるところである。
事実、宮崎市定ほか、著名な歴史学者らによる、金印の偽作説の数々もあって、むしろ、黒田藩や福岡市、私立博物館、九州国立博物館などの政治的な意図あるいは思惑が、問題を複雑にし、解決を遅らせているということかもしれない。さらには、考古学遺物の持ついささかのいかがわしさ(あるいは、ロマン)がこれを助長しているのか。つまりは、好事家や蒐集家と考古学的な調査との微妙な関係である。いわゆる旧石器遺跡の捏造事件もまだ記憶に新しいところである。
いずれにしても、ミステリーとして読んでも面白い。
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2006-12-18 23:06:20 |
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キャベツと豚ロース肉のパスタ(フライパンにニンニクと赤唐辛子をオリーブオイルとともにとろ火で加熱。香りだし。豚ロース肉=しょうが焼用を一口サイズに切って焼く。焦げ目がついたところで塩胡椒。白ワインを入れてアルコールを飛ばす。パスタとともにキャベツを茹でて、一緒にあわせる)

畠山重篤、2006、『牡蠣礼讃』、文春新書
本書は、「森は海の恋人」運動を実践する養牡蠣家の畠山重篤氏による、牡蠣に関わるあれこれが記されている。たまたま、最近、牡蠣のオリーブオイル煮などで牡蠣に興味を持ったのだが、とてもタイミングよく、日本と世界の牡蠣をめぐる歴史と現在を知ることができる。
子供のころから、牡蠣の土手鍋を食べていて、土鍋の土手に味噌を塗りつけて溶かしていく鍋を堪能していたのだが、実のところ、牡蠣のことはそれほど意識してはいなかった。しかし、本書を読んで、これまで意識せずして本書に書かれる牡蠣を食したこともあることに気がついた。
大学4年の時、島原半島に滞在したことがあるが、大学の先輩が海岸で岩についている牡蠣の存在を教えてくれて、一緒に採って海岸で食べるだけでなく、一鍋いっぱいに採って、酢牡蠣にして食べたことがある。これは、本書の「クマモト」か?先輩は、この地の出身で子供のころからこのような「採集」生活をしていたと言う。
オーストラリアで仕事をするようになってからは、オーストラリアの人々の牡蠣についてのこだわりを知ることになった。アリススプリングスと言う中央砂漠の町でも、生牡蠣を食べることができる。町が作られてまもなく、空輸システムを使って生牡蠣を砂漠の地にもたらすようになったのだと言う。牡蠣は、本書にもかかれるように、水がなくとも、ずいぶん長く生きながらえるらしい。
オーストラリアで著名な牡蠣はは、ロックオイスターである。シドニーの周辺で特定の一族による独占的な養殖産業が知られていて、たいていのレストランでは、生牡蠣を年中共されている。
また、たまたま出かけたニュージーランドでは、灰色の大振りのブラフオイスターの味も知った。今年、久しぶりに訪れたニュージーランドでは、あまりその恩恵を受けなかったのだが、ぜひそのうちに、また味わってみたい。
書評にもならないのだが、本書を読んで、牡蠣のおいしさを改めて思い出すことになった。牡蠣だけでなく、とりわけ沿岸の海産物は陸の環境変化を大きく受けるらしい。その意味でも、長くおいしい牡蠣を食するためには陸の環境を整えることの大事さを知るべきであろう。本書の著者の「森は海の恋人」運動はきわめて大切である。海の資源は、まさに自然の賜物、この恵みを末永く受けてゆくためには、このメカニズムを生活に生かしていかなければならない。環境教育のためにも本書は貴重であると思われる。

2006-12-17 22:01:21 |
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パスタ二種:ピエンノロ・トマトのパスタとアサリのパスタ
使用したパスタはファエッラのブカディーニ
ピエンノロ・トマトのパスタ(エキストラ・バージンオイルをフライパンに入れて、にんにくスライス、赤唐辛子を加えて弱火で加熱。香りを出す。ピエンノロトマトを加えて強火に。蓋をしてしばし、水気をとばす。パスタのアルデンテのタイミングにあわせて、塩胡椒。パスタをあえ、刻んだイタリアンパセリをかけてまぜる)
アサリのパスタ(エキストラ・バージンオイルをフライパンに入れて、にんにくスライス、赤唐辛子を加えて弱火で加熱。香りを出す。アサリを加えてあおりながら蓋を開けるまで加熱。塩胡椒、白ワインを加えてアルコールを飛ばし、アルデンテのパスタを加え、刻んだルッコラをくわえてしあげる)
ピエンノロ・トマト:英内山:http://www.jps.it/
栄に行ったので、ついでに『ロボットミュージアムin名古屋「ROBITHINK」』に行ってきた。今年10月にオープンし、展示スペース、インテリアショップ、ロボット関連おもちゃショップ、カフェが一体となっている。
展示スペース(有料)は一階には、産業用ロボット(汎用らしいが、通常は、自動車製造用に使用されているらしい)が二台おかれている。一台はカメラでポーズをとった人間のシルエットを読み取って、ホワイトボードにそれを書くというもの、もう一台は、12種類の音楽を奏でるというもので、何か音源を備えているのではなく、ロボットの動作音を音源に見立てて曲を奏でようというもの。どちらも、汎用の産業用ロボットがプログラムでこのような動きができると言う大変興味深いもの。
二階の展示スペースは、テーマ点となっていて、「ロボットクロニクル」と名図けられているもので、神話の中の人造人間(ゴレムなど)や文学の中の人造人間(たとえばフランケンシュタイン)、SF文学や映画の中のロボット(カレル・チャペックの命名によるもの、あるいは、映画「メトロポリス」)、さらには、それらのイメージが工学的な進歩によって具体化されてくる様子、また、それに触発されて文学やアニメ、映画での表現の展開がクロニクル形式で展示される。この展示の理解を深めるためには、iPodを用いた音声ガイドシステムを借り出すことができる。音声ガイドは76種類用意されているのだが、実のところ、展示スペースとその内容、録音時間とがミスマッチで、ちょっとまどろっこしく、視覚的な展示をもっと増やすようにしないと、つらいかなと。
ともかくも、古くからのSFファン、あるいは、少年漫画雑誌での「鉄人28号」、テレビで初期の「アトム」(実写版も見た覚えがある)や「エイトマン」などを見て育った世代としては、なかなか、懐かしく思い出しながらみることができた。
ロボットミュージアムin名古屋「ROBITHINK」:http://www.robot-museum.net/index.php
ROBOTHINK:http://www.robothink.net/
近藤淳也、2006、『「へんな会社」のつくり方』、翔泳社
「はてな」社長の近藤さんの「はてな」ストーリー。型破りな会社(かどうか、私は、サンプルを持たない)としてのソフトウェア開発会社の「はてな」のエッセンスを提示してくれる。著者は、愛妻の令子さんと愛犬「シナモン」とともに生活の本拠をシリコンバレーに移してしまい、本書で書かれている「はてな」のエッセンスのいくつかには、参加できなくなっている(その大体システムは、あるのかもしれないが)ようで、そのことも含めて、今後の「はてな」の行方を続編で書いてほしいところではある。
ともあれ、子供のころの草野球のエピソードから始まり、フラットな戦略的な組織作りが語られていて、組織論としてはもちろんではあるが、著者の人となりと関連する組織作りが興味深い。ソフトウェア開発会社の組織論にとどまらず、いろんなところで使えるのではないだろうか。
2006-12-17 01:14:31 |
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ゼミの学生と飲み会。名古屋駅西にいくつかある「世界の山ちゃん」のひとつ。飲み放題とコース。飲み放題というからのめるのかと思ったら、程ほどの飲み量だけれど、ペースがほとんど一気みたいな飲み方で、身の程知らずというか・・・。まあ、自分の学生のころのことを思えば、たいしたことないかも。自分の方は半端じゃなかったけれど、ちょっと違ったよな。もちろん、飲み物もビール、日本酒、ウィスキーという感じで。
"キムチ鍋風味”リゾット(前夜、豚キムチ鍋だった。しかし、満腹で、おじやとかうどんとかで残り汁を処理することができず、今日に持ち越し。ということで、今日は、この残り汁の使い方を考えた。そう、リゾット。さて、キムチ味がリゾットになるかどうか。まず、ざるで残った具をすくいとって、残り汁を鍋にとって、加熱しておく。フライパンに米を入れてオリーブオイルでいためる。残り汁を加えていく。できたら、芯が残るところで火をとめることができればよかったのだが、今夜は、ちょっと、加熱しすぎ。ともあれ、仕上げに、胡椒。お好みで、パルメジャーノ・レジャーをおろしてかけて食する。野菜の甘みも入って、まったく申し分ない味と思う。チーズをかけて少しこってり気味にした方がおいしいようにおもう)
かぶらのサラダ(かぶらの皮を剥いて、くし目に切って塩でもんでおく。若そうなかぶらの葉を追加して、あわせる。水が出てくるので捨てる。胡椒、ミックスハーブ、オリーブオイル、バルサミコ酢をくわえてよくあえる)
牡蠣のオイル煮(加熱用牡蠣をひたひたのオリーブオイルの鍋でゆっくり加熱。塩胡椒、ガーリックピューレ。レモン汁をかけて食する)
豚キムチ鍋(昆布出汁、大根、白菜、白ねぎ、白菜キムチ、椎茸、豆腐、豚ロース。フィッシュソースと薄口醤油で味をつける。煮詰まってくるので、薄味がよい)
職場の忘年会で「メルパルク千種」。
まあ、立食宴会料理は、当然のことのように、たいしたことなく用意された酒を飲みながら参加者のところを回ったが、ともあれ、ここで気に入ったのは、すべてサッポロ。ビールも、下戸のための烏龍茶も、またワインも。
母方のオジがサッポロビールに勤めていて、小さなときに、名古屋工場の社宅に来たことがある。イトコと防水槽でサカナをつったのが初めての魚釣りだった。また、長野や札幌の工場にも行った。すべて、小さなとき。実家では、とにかく、サッポロビール以外が出されることはないのだ。それで、今日は、同僚たちとサッポロのことを話をした。たまたまだろうが、同じテーブルの彼らは、みんな、サッポロ党だった。
終わった後、池下の「佐世保」に所属が別の同僚と待ち合わせて、しばし時を過ごした。