上関の尾国との境にある志田地区を通りました。ここには、私の知人A君がいます。彼はこの近くに住んでいるのですが、今回はあまり時間がないので訪ねるのはやめました。彼は、私と同じ高校を卒業しました。偶然ですが、私が大学卒業後に入社した日立製作所に彼のお姉さんが入社していました。そしてさらに同じ工場に配属されたため、いろいろと山口県の故郷の話などをしたことがあります。美人でなかなか楽しいお姉さんでした。ちなみにこの志田地区、戦争中にこの海域で戦闘があり何人もの人が亡くなったそうです。
尾国との境、上関の志田地区 万葉の泉「シーサイドホテル上関」
志田地区を過ぎると道のそばに万葉の泉「シーサイドホテル上関」があります。父親が健在の時、「一度ここに来てみようか。」と話をしたことがありますが。果たせませんでした。しばらくすると、尾国に着きました。ここにある万葉の碑の前で少し休憩しました。この碑には、千数百年前の遣新羅使がこの湾で潮待ちしていた時に読んだ歌が刻まれています。万葉の碑を過ぎて、親戚(母親の弟の嫁の実家)に寄ってみましたが、あいにく留守でした。
万葉の碑、遣新羅使が読んだ歌 親戚に寄るも残念ながら留守
尾国から柳井方面へ行く坂を登ると、峠に着きました。この峠は皇座山に登る前に通った場所です。峠を越えると、砂浜がきれいな阿月湯原海水浴場に行ってみました。これより池の浦側の砂浜は人が少ない上にとても砂がきれいです。この海水浴場からは、造船所や阿月の対岸の大島などがよく見えます。周防大島大橋も小さく見えました。
砂浜がきれいな阿月湯浜海水浴場、丸は周防大島大橋
この阿月の造船所の山側に、私の親戚(母親の父方兄弟)のお墓があります。子供の頃によく、親戚に連れられてこのお墓に行きました。海が眼下に見渡せるとても景色の良い墓地群でした。今回久しぶりに来てみましたが木々が茂っていたため、背伸びしないと海は見えませんでした。お墓は四基並んでおり、一番古いお墓は文政年間に作られたことが分かります。その親戚はお孫さんの世代になっていますが、お孫さん達は山口県を全く知りません。このお墓が今後どう守られていくのか心配です。
墓地近くの道に駐車 親戚のお墓四基
次に阿月の街に行きました。近代的に舗装された新道やトンネルを通らないで、子供の頃によく通った古道を通りました。古道はあまり使われていないのか、木々が両脇に茂っていました。そして、湿って薄暗い道となっていました。すれ違う人もありませんでした。近いうちに廃道になるに違いありません。その古道を通って阿月の街に入りました。昔はとても賑やかだったのですが、今はすっかり静かになっています。
街中にある、克己堂跡を訪れました。この克己堂は、幕末の志士をたくさん輩出しました。その一人に、高杉晋作の作った騎兵隊の総監をしていた赤根武人もいます。彼は、山県有朋などと対立するなどして悲劇の死をとげています。
阿月に向かう暗い古道 幕末の志士を輩出した克己堂跡