東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻郷,城南,石城山,小行司を散策(3/3)

2012年07月14日 | 歴史探訪他ウォーキング

  石城山に車で登るには2つのルートあります。1つは、田布施町の城南宿井から登るルートです。もう1つは光市の塩田側から登るルートです。他に、歩いて登るルートもあるようですが良くは知りません。今回は、最初のルートで登ってみました。なお、5年前に光市側から登ったことがあります。なお、夏の石城山は蚊が多い上に草や笹が茂っていて散策には不向きです。このため、今回は一部の古代山城跡だけを見て下山することにしました。

              古代人が加工した石、何かを組み合わせる石?


 山頂に到着すると、古代山城跡の北門を散策しました。立ち止まって見ていると、すぐi蚊やアブが飛んできます。手で蚊やアブを手で払いながら、古代山城跡を見ました。この古代山城については全く文献がないため想像するしかないのですが、千数百年前にこの田布施の地を治めてていた豪族達がなんらかの戦いに備えて建築したのではないかと思います。私的には、百済が滅んだ後、唐や新羅から攻め入られることへの備えではなかったかと思います。実際、当時の朝廷が北九州に同じような山城を建設しています。しかし、新羅で唐に対する抵抗があったため日本に戦火が及ばなかったのではないかと思います。

        延々と並ぶ石積み               石城山頂上の平地
 

 この古代山城が作られた当時、田布施は内海でした。田布施町郷土館にある資料を見ると、柳井,余田,大波野,そして平生へ通じるルートは古代海でした。その古代の海の周辺に沿っていろいろな古墳があるので、この地域は千数百年前一大勢力地帯だったのではないかと思います。この山城を作るために何千人もの人が駆り出されたのでしょう。古代山城を見終わると、光市塩田方面に下る道を降りました。

                  田んぼの土手で野焼き、塩田にて


 塩田小学校近くの田んぼの土手で、野焼きをしているのを見かけました。冬の風が無い時に野焼きすることが多いので、今の時期としては珍しいので近寄って見ました。塩田の道をそのまま進むと峠を越えて大波野に行きますが、途中左折して小行司へ行きました。どんどん進むと、だんだん山深くなって行きました。道を間違えたのか、光市からいきなり岩国市に入りました。地図を見ると小行司の西に接する道を進んでしまったようです。

       光市と岩国市の境界地          岩国市周東町の田んぼ風景
 

 一旦岩国市に出た後、柳井市に向かうルートを走りました。しばらく走ると田布施町小行司に入りました。そして、「小行司にこにこパーク」で休憩を取りました。休みのためかお店は閉じていました。仕方がないので自動販売機でジュースを買って、広場の椅子にたった一人座って飲みました。次に、小行司内をバイクで走り抜けました。途中、小行司の天然記念物ギフチョウの案内や神社などの案内があったのですが、時間が遅くなっていたので見学しませんでした。小行司に来て、小行司は田布施より柳井に近い感じがしました。商圏も柳井のような気がしました。今度来るときは時間を取ってじっくり散策しようと思います。小行司から一旦光市へ出て田布施町に出ました。途中、大波野開拓の碑を見て我家に帰りました。

   小行司にこにこパークで休憩           大波野を流れる川
 

コメント
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