東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻郷,城南,石城山,小行司を散策(1/3)

2012年07月12日 | 歴史探訪他ウォーキング

 梅雨時期は、畑や庭の雑草がとてもよく伸びます。毎日のように草取りに追われますが、今年しっかり頑張っておけば来年の草取りは今年よりは楽になるはずです。運動場のように広い畑は、草刈機を使っても時間がかかります。より除草が楽なハンマーナイフモア型の草刈機を入手しようと思っています。

     麻郷郵便局に行った後に寄った、母校の麻郷小学校


 ところで梅雨の間のひと時の快晴時に、麻郷,城南,そして小行司方面を散策してみました。特に小行司はこれまで数回しか行ったことがありません。と言うより通過したことしかありません。小行司は、田布施町の飛地です。柳井市,光市,岩国市に挟まれる飛地にどうしてなったのか、歴史的理由があるのだと思います。

     ネズミに噛まれた体育倉庫        母校の田布施中学校脇を通過
 

 最初、電話料金の支払いのため麻郷郵便局に行きました。次に、私が小学生時代に通った麻郷小学校に行きました。すると、去年建設中だった校舎が完成していました。旧校舎はすでに解体されていました。新校舎はとても立派な建物でした。私が卒業時に完成した旧校舎は今の耐震建築基準に合わなくなったための改築だそうです。少子時代にもかかわらず立派な校舎です。麻郷地区は子供がそう減っていないため予算が付いたのでしょう。嬉しかったのは、私が小学6年生当時作られた体育倉庫がまだ残っていたことです。この体育倉庫でネズミを捕まえようとして噛まれた苦い思い出があります。

      50年位前、下流にあった可動堰堤で水泳,水遊び


 麻郷小学校に立ち寄った後、田布施町内を通りました。中学生時代に通った田布施中学校は新しい校舎に変わっています。自分が知っている古い校舎が無くなっていると、思い出が遮断されたようで妙に寂しい気持ちになります。次に田布施川に沿って上流に行きました。途中可動堰堤がありました。
 この堰堤より下流にあった堰堤で、私はよく水遊びや水泳をしました。当時はプールが無かったため川で泳ぐしかなかったのです。しかし、川はとても危険です。小学四年生の頃でしたか、台風か何かで増水したこの川で子供が流されました。彼は私が通っていた麻郷小学校とは違う東田布施小学校の児童(確かK君とか?)でしたが、田布施川でいっしょに泳いだりして顔見知りでした。このため、とてもショックでした。残念ながら、数日後下流の河口で発見されました。この件で町のプール建設のピッチがあがったとか。

       山陽本線をまたぐ陸橋         久しぶりに田布施苑を訪問
 

 小学6年の時、今の田布施市役所そばにプールがようやく完成しました。しかし、私はがっかりしました。プールには魚もいないし、波や流れもないのです。さらに、カルキが強くて目が痛いのです。安全が確保された一方で、子供にとって大切なものが一つ失われてしまったような気がします。亡くなったK君は子供だった私に、今で言う「事故リスク」とか「命とは何か」などについて学ばさせてくれたように思います。思うのです「彼の死は、残されたの多くの子供を救ったのではないかと」。危険から遠ざけられた現代の子供たちは、命の大切さを学ぶ実体験を封じられているため逆にその大切さが分かっていないのではないかと思うことがあります。
 堰堤を過ぎると、山陽本線をまたぐ陸橋に行きました。私が中学生当時、この場所は崖になっており地層を見る絶好の場所でした。しかし、当時あった崖は無くなり地層を見ることはできなくなっていました。次に老人健康保健施設そよかぜ隣りにある田布施苑に行きました。私の母親担当のケアマネさんに逢うためです。父親が亡くなってから、母親が少し精神不安定になっている気がしたための相談です。数日後我家を訪問していただく約束をして田布施苑を離れました。
 田布施苑の次に城南小学校に行きました。子供の頃にこの小学校も木造でした。木造校舎当時の賑やかな運動会を覚えています。この小学校も、校舎が鉄筋に変わっていました。山口県で木造校舎が残っている小学校は、萩の明倫館小学校だけではないかと思います。

    老人健康保険施設そよかぜ       久しぶりに来た、城南小学校
 

コメント
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