皇座山の頂上からのんびり下る途中、藪道の中を60歳代と思われる夫婦が頂上に向かって歩いてきました。道は草木が生い茂る一本道のため、最初気が付きませんでした。突然道で出会って、お互いびっくりしました。その夫婦から、頂上までかかる時間を聞かれました。「10分くらいかかるでしょうか。頂上は草木が茂って展望はありませんよ。でも巨岩の上に登れば瀬戸内海が見下ろせますよ・・・・・」などと、私は笑顔で答えました。皇座山頂上で人に出会ったのは初めてのことです。 頂上と頂上前広場の距離は約1Kmです。その広場にはその夫婦のものと思われる車が駐車していました。その車を背にして下山をしました。途中、上関側に下りる道があるためその方に下りました。
左側は上関方面への下り道 戦後すぐ開拓団がいたらしい個所
下山途中、茂った木々の中に戦後すぐに開拓団が入植したらしい個所があります。父親とこのルートを登っていた時、ここに開拓団が入植していたことを話してくれたことがありました。しかし、この場所は水の確保がとても困難だったようで、すぐに開拓団は解散したとのこと。
私の小学~大学生時代、皇座山周辺は草木の背が低くかったため絶景でした。また登り道の途中に、熊毛南高校上関分校の施設がありました。毎年3月末、この施設に卒業生達が集まって一夜明かしたようです。大学生時代の3月末この道を下っている途中、その施設に向かっている卒業生達とすれ違いざまにその話を聞いたことが思い出されます。
祝島などへの渡船場 亡くなったM君の奥様とガソリンスタンド
上関に下りると、あるガソリンスタンドに行きました。そのスタンドは、私が中学3年生の時に同じクラスだったM君が養子に入り経営していたガソリンスタンドです。そのM君は2年ほど前、阿月で船に燃料を補給しようとして転落して帰らぬ人になってしまいました。そのお見舞いも兼ねてそのガソリンスタンドに寄りました。今そのガソリンスタンドは奥さんと息子さんが立派に引き継いでいます。しばらく、奥さんと息子さんと故人の思い出を語りあいました。彼は東田布施小学校の出身で種屋さんの息子でした。彼と「定年後、一緒に魚釣りでもしよう。」と語り合っていたので、亡くなったことがとても惜しく残念です。
上関灯台で休憩しつつ、海峡を通る船を見る
M君をしのびつつ上関街を通り過ぎ、灯台とそばにある上関大橋に着きました。そして去年完成した上関温泉「鳩子の湯」そばにバイクを置き、橋のたもとに行きました。この橋が完成する前、ここにある灯台が一種の観光地でした。
上関大橋下の海峡を通る船 去年できた上関温泉「鳩子の湯」
灯台直下で海峡を通過する船を見ながら、潮風を浴びつつ休憩をとりました。休憩が終わると、近くの上関漁港を散策しました。この漁港の堤防は釣り場になっており、息子が子供の頃にこの堤防で魚釣りにきたことがあります。堤防なので小さな魚ばかりでしたが、楽しむことができました。
次に海岸に沿って尾国に戻ることにしました。途中、一部の懐かしい古道を通ってみました。高校生の時、田布施を朝早く出発して徒歩で上関の灯台を目指して歩いたことがあります。正午頃灯台に着いて、家に帰りついたのは薄暗くなった午後7時過ぎだったでしょうか。帰り着いた時、へとへとで足の痛みがとてもひどかったことを覚えています。40年位前のことですが、その時に歩いた懐かしい古道が所々今でも残っています。今、田布施から上関まで歩いて往復するようなおバカな人はいるでしょうか。
息子と魚釣りした上関漁港 左は高校時代歩いた細い古道、右は新道