佐賀魚見地区を眼下に、光輝病院への道を登りました。そして、光輝病院に着く少し手前にある古い道への入口に着きました。しかし、そこは通行禁止の立札が立っていました。この古い道を使っている人は今は少ないのでしょう。使われないまま道路が傷んだために通行禁止になったようです。仕方がないため、光輝病院の横を通り過ぎて尾根道を尾国へと向かいました。
通り過ぎた光輝病院 尾根道から大島側を眼下に
尾根道をどんどん下って、柳井方面,尾国方面,そして皇座山方面への分岐点に着きました。通行禁止だった道の出口へ行ってみました。やはり、この出口も通行禁止でした。この道のどこかが崖崩れか何かがあり道全体が通行禁止になったのでしょう。昔の古い道がどんどん無くなっていきます。とても残念なことです。
左丸は通行禁止となっていた「佐賀-尾国山道ルート」出口
尾国側に降りようかと思いましたが、天気が良いので久しぶりに皇座山に行ってみることにしました。皇座山に登るのは4年ぶりのことです。私が大学生の頃まで、皇座山には上関からしか登れませんでした。しかし、私が大学を卒業後に尾国から尾根伝いに登るルートが整備されたようです。
尾国から皇座山を見上げて 尾国の街並みを見下ろして
皇座山頂上近くの広場に着くと、少しばかり休憩しました。それほど快晴ではなかったのに、平群島の向こうに四国の山々がよく見えました。目を凝らすと、四国の街並みや工場の建物が小さく見えました。一方で、西の方角の九州方面はかすみがかかっていてあまり良く見えませんでした。
平群島の向こうに、四国の山脈や街並みがよく見える
頂上付近の広場入口近くに神社の鳥居があります。30年ほど前にはひっそりと1つだけ立っていたのに、20年ほど前に立派な鳥居が立てられました。そして、その鳥居に続くように小さな何十個もの赤い鳥居が立てられました。今回初めて、この鳥居群の中を通って端まで行ってみました。鳥居は鉄製のため、どれも錆びついていました。あと十年もすれば皆倒れると思われます。実際、鳥居の一つが錆びて倒れていました。端に着くと展望台のような建物がありました。巨岩を祭ったものではないかと思われますが、建物の由来は何も書かれていませんでした。
赤くて大きな鉄製の鳥居 展望台らしき建物から眼下を見て
鳥居群から戻ると、次に皇座山の頂上に行ってみることにしました。初めて頂上に行ったのは、小学生の頃(50年ほど前)でした。大阪に住むおじさんと一緒に上関から車で登り、途中から車を降りて登りました。当時は草木があまりは生えておらず360度絶景な展望でした。その後、大学時代に友達と上関からえんえんと歩いて登ったことがあります。その時も、絶景でした。
途中の道は獣道のよう 山頂に到着、しかし草木生い茂る
しかし今回、頂上は草木が生い茂って展望はあまりよくありませんでした。見覚えのある大きな岩の上に登ると、瀬戸内海が眼下に広がっていました。この大岩の上に座ってしばらく休憩しつつ、瀬戸内海に広がる島々や四国を見下ろしました。
この大きな岩の上に座って瀬戸内海を眼下に