これまでは、田布施町の古い巡礼地を調べてきました。今回、隣の平生町を調べてみることにしました。訪問したのは曽根の直指院です。子供の頃に平生保育園に通園していた関係で、私は幼児の頃に平生の街をずいぶんと歩き回りました。名前は知らなかったのですが、直指院を覚えています。その昔は庵だったのでしょうが、今は立派なお寺に見えます。
この直指院の入口の近くに大師堂がある
ご住職の方にいろいろお聞きしました。すると、3代前のご住職が各地を巡礼して得度をつまれたそうです。周南霊場八十八ヶ所(今の大島八十八ヶ所霊場)を巡礼した時の納径帳を見せていただきました。明治時代のことです。そして、直指院を立て替えられたとのこと。その時に庵から院になったのではないかと思われます。いろいろ教えていただきありがとうございました。
直指院の本堂 入口近くにある大師堂
ついでに、「周央霊場巡拝道筋」を見せていただきました。ざっとその巡礼ルートを見ると、防陽霊場ルートと重なる御札所がありました。周央霊場と呼ばれる巡礼ルートもあったのですね。
次に、直指院の一つ前らしい番号の防陽霊場を教えていただきました。それは、園田の大師堂ではないかとのことでした。さっそく、園田地区の大師堂を探しました。その大師堂を探している時、平生小学校傍に古代米アートがあるのに気がつきました。
周央霊場巡拝道筋のリスト
一番は光市岩田の冠念寺 平生小学校前の古代米アート
大野の園田地区の周りに住んでいる方々に聞きながら探しました。すると、絶壁のような場所に大師堂がありました。極細の崖道を恐々と通って行きました。今は園田地区の集会所として使われていました。ところで、木札には「四国四十三番弘法大師」と書かれていました。何故「四国」なのか不思議です。
防陽霊場とか平和霊場と書かれていれば、探している巡礼地なのですが判断に困りました。防陽霊場のリストには「大野薬師堂」となっているため、この大師堂は探している巡礼地ではないのかも知れません。今後、さらに大野地区を探してみようと思います。
園田地区の四国四十三番弘法大師