東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

平生町 大野薬師堂を訪れる

2014年10月10日 | ふるさと

 直指院を訪問後、園田の大師堂に行きました。その大師堂は巡礼地のようではないため、防陽八十八ヶ所霊場道筋に記載してある大野薬師堂を探しました。大野北にある「こびとのおうちえん」の0さんと大岩を見て回ったことがあります。その時、お堂のような変わった作りの建物を見かけたことがあります。その建物を探しました。

                    大野の山の斜面途中にある薬師堂


 その建物を探し当てると、さっそく建物を見学しました。付近に誰もいなかったため、詳細を聞くことができませんでした。しかし、柱に「平和第五十五番霊場」と墨で書かれた木札が掲げられていました。巡礼地の札所に間違いありません。この大野薬師堂は、神護寺の次の巡礼他に間違いありません。

    〇は霊場番号が書かれた木札      「平和第五十五番霊場」と記載された木札
 

 これで、平生町の神護寺から平生竪ヶ浜知願寺までの、六つの霊場が分かりました。今後、確認の意味で神護寺から知願寺まで通して訪問しようと思います。なお、久賀島法輪寺は去年訪れた時は廃墟のようになっていました。その法輪寺、さらにその昔は観音寺と呼ばれ平生開作工事の時に無くなった方を弔う場所でした。

 かろうじて残った法輪寺の山門 2013         倒壊した法輪寺本堂 2013
 

 古い巡礼地などを調査していると、倒壊寸前の祇園様,廃されたお寺,ただの広場になっていた大師堂などを発見することがあります。一方で、廃バスに安置されたはずの観音様がちゃんとしたお堂に安置されていたこともあります。
 今のうちに記録しておくべき歴史遺産が次々に無くなっています。そのような現状を目にすると、記録が追いつかず焦りに似た気持ちになります。

                        今回訪問した、直指院と大野観音堂ほか

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