東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

40年ぶり、九州 熊本と長崎を旅行(7/9)

2017年09月05日 | 家族関連

訪れた熊本・長崎の旅行先です。それぞれをクリックしてください。
 1.田布施~熊本~熊本城 2.熊本から長崎へ移動  3.シーボルト記念館
 4.長崎風頭公園~中華街 5.グラバー邸        6.オランダ坂~唐人屋敷
 7.出島~歴史文化博物館 8.長崎~熊本、熊本城  9.熊本から田布施
 
 昼間の中華街を散策し終わると、次に長崎出島跡に行きました。昨日訪れた時は夜でしたのでほとんど人がいませんでした。しかし、昼間はたくさんの人で賑わっていました。面白いのは、侍の恰好をした人がいることです。剣舞のようなものを見せたり、出島の解説をしたり、観光客と一緒に写真を撮ったりしていました。江戸の昔は、侍,商人,役人,唐人,通訳などが歩いていたのではないでしょうか。

         道の真ん中で侍の恰好をした方が観光客のお相手


 出島跡を散策していた頃、お昼になりました。出島内のレストランに行きました。私はトルコライスを注文しました。家内はお目当ての料理がないためがっかりしたようで注文しませんでした。私の料理を家内に少し分けました。お昼を食べ終わると、私は家内と息子と別れました。家内と息子は近くでお土産を見たりするなど散策するようでした。私は買物でお店をうろうろするのが苦手のため、1人で市街を散策しながら長崎歴史文化博物館まで歩きました。

  食べたトルコライス     長崎市街の道を散策    長崎市の図書館
  

 市電で行けばすぐに長崎歴史文化博物館に着くのですが、長崎出島跡から3km位でしょうか歩いてみました。ゆるい上り坂を歩いていると、いろいろな歴史的石碑があちこちにあることに気が付きました。長崎市内は歴史でできているように思いました。歩いていると、こんな所にも、あんな所にも史跡があるのです。1ヶ月位滞在しないとすべての史跡を探訪できないと思いました。

        坂の上の方にある、とても立派な長崎歴史文化博物館
 

 長崎歴史文化博物館は建物がとても立派でした。お城の塀に囲まれているような作りになっています。昭和36年建築の田布施町郷土館とは比べ物になりません。中に入ってみると、これまた立派な展示物でいっぱいでした。映画や展示物を見ているだけで1日時間がつぶせそうです。私は、幕末頃の電信装置をじっくり見ました。真空管などの増幅器がない時代、ましてや電波がない時代に、どうやって海底ケーブルを敷いて通信していたのでしょうか。微弱な電気の検知方法に興味を持ちました。

  長崎の歴史映画      古い電信装置の数々    再現された長崎奉行所
  

 長崎歴史文化博物館内で展示物を見学していると、息子からメールが入りました。こちらに向かっているとのこと。そのうち、私がなかなか出てこないので催促のメールが入りました。やれやれ、展示物の見学はこれで終わりです。もう少し時間があればより詳しく見学できたのですが仕方ありません。家内と息子に合流すると、長崎市街を散策しながらJR長崎駅に向かいました。

      40年ぶりの長崎駅     ある飲み屋さんで      結局長崎チャンポン
  

 長崎駅は約40年ぶりです。すっかり変わっていました。私が覚えている長崎駅はとんがり帽子のような三角屋根が特長だったように思います。私が知っている長崎駅はアーケードがありませんでした。今は駅舎とお土産街を覆うようにアーケードがあり、待合椅子がたくさん並んでいました。長崎駅で次の日に乗る電車の切符を購入しました。長崎駅からは市電に乗っていったんホテルに戻りました。

            夕食などを取った賑やかな長崎の飲み屋街


 夕方になって夕食を取るためにホテルを出ました。ところが、なかなか良いお店がなくてあちこちをうろうろしました。ある飲み屋さんに行きましたが、若い女性店員さんの反応や接待がいまいちでした。お盆のため料理の幅も少ないようでした。そこで、長崎ならではの長崎チャンポンを食べるため近くの中華料理店に入りました。そして、賑やかな繁華街を散策しながらホテルに戻りました。明日は熊本です。

        14日午後、長崎市内を散策したルート

コメント
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