東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

40年ぶり、九州 熊本と長崎を旅行(9/9)

2017年09月11日 | 家族関連

訪れた熊本・長崎の旅行先です。それぞれをクリックしてください。
 1.田布施~熊本~熊本城 2.熊本から長崎へ移動  3.シーボルト記念館
 4.長崎風頭公園~中華街 5.グラバー邸        6.オランダ坂~唐人屋敷
 7.出島~歴史文化博物館 8.長崎~熊本、熊本城  9.熊本から田布施

 雨が降ったり止んだりの熊本城見学でした。広い場内を歩いていると、ポツンと神風連の乱の石碑が建っていました。西南戦争の前に熊本で発生した不平士族の乱です。100人位の士族が立ち上がって、熊本城内にあった鎮台を襲いました。まもなく鎮圧されましたが、襲われた反省を元に熊本城を強化した成果が西南戦争で発揮されたようです。

  神風連の乱の石碑     熊本城櫓の壊れた石垣   熊本城南にある城彩苑
  

 士族と言うと、はるか歴史のかなたの事のように思います。しかし、戦前にはまだまだその面影があったようです。当時ほとんどの家の戸籍には「平民」と書かれていましたが、御先祖が侍だった家は「元士族」と書かれていたそうです。私の母親曰く、元士族であることを誇りにしている家が少なくなかったそうです。今でも、母親は「あそこの家は士族の出じゃ。」と言うことがあります。

 城彩苑でかき氷       熊本城を囲む城壁     美味しかったとんかつ
  

 熊本城下で起きた神風連の乱以降、福岡の秋月の乱、萩の乱が起きました。これらの乱はすぐに鎮圧されましたが、その後起きた西南戦争は鎮圧されるまでにだいぶ日数がかかりました。この熊本城がターニングポイントになりました。私は、この西南戦争が終わったことによって真に幕末(侍の世界)が終わり、以降実質的な明治が始まったと思っています。熊本城内には、たくさんの神風連の乱や西南戦争の石碑があります。

           次の朝、市電に乗って熊本駅に向かう


 熊本城内で家内はアイスクリームを買いました。私はそれを少し舐めさせてもらいました。次に、城彩苑に行ってかき氷を食べました。黒砂糖を蜜にした美味しいかき氷でした。その後、私の提案でとんかつを食べに行きました。田布施町にいると、美味しい肉を食べる機会がなかなかありません。この旅行を機会に美味しいお肉を食べました。

 人が少ない熊本の早朝    床が木製の市電      田布施駅に到着
  

 次の日、家内と息子は一足先に飛行機で東京に帰りました。私は1時間程度遅れてホテルを出ました。そして、市電、新幹線、そして山陽本線を次々と乗り継いで田布施に一人で帰りました。猛暑に見舞われ雨に見舞われたものの、楽しい熊本長崎家族旅行でした。

       散策した熊本市街のルート、途中大雨に出会う

コメント
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