毎年8月は猛暑のためウォーキングはしません。そのため、2ヶ月ぶりの史跡巡り健康ウォーキングでした。今回は、田布施町交流館から田布施川上流の竹部や御蔵戸方面の史跡を巡りました。最初、あいさつ橋から20m位駅に向かった場所にあるお地蔵様を拝みました。続いて田布施川沿いを上流に向かいました。そして、道端から河村徳尚の石碑を遠目に見学しました。この石碑は個人の家にあるため、道からでしか見ることができません。
あいさつ橋近くのお地蔵様 定井手のお地蔵様 東竹部の薬師公会堂
田布施川沿いの歩道をどんどん歩きました。そして、定井手のお地蔵様横を歩きました。江戸時代初め、このお地蔵様近くから田布施川は敷かれました。江戸時代以前の田布施川(薬師川)は田布施街(波野)の中心部を流れて灸川に抜けていました。田布施川が定井手から直線になっているのは、その時の工事以来なのです。工事以降、薬師川のことを古川、田布施川のことを新川と呼びました。新川の呼び名は、今では地区の名前として残っています。
東竹部の薬師公会堂、薬師様を拝む方々
定井手を過ぎると、東竹部の薬師公会堂に向かいました。到着して少しして、町議のSさんが公会堂の鍵を持ってやってきました。そして、公会堂の薬師様を見せていただきました。ありがとうございました。ウォーキングの何人かの方々は薬師像前で拝んでいました。私は健康長寿を祈願しました。薬師公会堂を出ると、Sさんを先頭に竹部地区内を歩きました。そして、東竹部と西竹部の境近くにあった薬師堂跡地や尼さんが住んでいた岡の寮跡地を見学しました。
東竹部の薬師堂跡地 岡の寮跡地 西竹部むつみ会館に向かう
岡の寮近くの畑で偶然に岡さんが畑仕事をしていました。挨拶すると岡の寮について少しばかりお話をしていただきました。岡さんの話では、岡の寮にはかつて尼さんが住んでいたとのこと。
ほとんどの尼さんは戦中に寮を去ったようです。戦後はわずかには瑞松庵,長福寺,直指院に昭和30年代まで尼さんが住んでいました。私が4,5歳の頃、祖母に連れられて平生町にある直指院によく行きました。直指院の尼さんに、「健康に育つように」と拝んでもらったり頭をなでてもらったものでした。
西竹部のむつみ会館に安置されている立派な仏様
かつて寮と呼ばれる庵に住んでいた尼さんは、地域の役に立っていました。例えば、急なお葬式の手配などを手助けしていたこともあったようです。また、寺のご住職の代わりに墓参りや周忌に参っていたこともあったそうです。そして、その時の施しを生活費に充てていたと聞いています。しかし、ほとんどの尼さんは戦中に寮を去ったとのこと。戦争中は物資がなく、尼さんを養う余裕が地域に無くなったのが原因ではないかと思います。
今回歩いた竹部~御蔵戸のウォーキングコース