真殿から西山に抜ける林道を通りましたが、最初50m位でしょうか、胸までの高さの雑草や笹などの間を藪漕ぎしました。そのため、そのまま林道を歩けるか不安になりました。我慢して藪漕ぎしていると、竹林に囲まれた下草が生えていない林道に抜けました。しかし、どこまで歩けるのか終始心配でした。竹林内の林道を歩いていると、しばらく石垣跡が続きました。その跡を考察すると、かつては広大な棚田があったのではないかと思われます。真殿と言うと、呉麓山麓の西斜面に沿って集落だけがあるように見えますが、かつては美しい棚田に囲まれた集落だったのではないでしょうか。
藪漕ぎ後、竹林に囲まれた林道に抜ける
しばらく棚田跡を通る林道を歩きました。棚田が営まれていた時代、この林道は明るい日差しが当たる農道ではなかったかと思います。上に向かって何段にもある棚田の石垣は、江戸か明治の頃から何世代に渡って築かれたのではないでしょうか。
真殿集落を離れる 真殿集落を振り返って 竹林の林道に入る
50年ほど昔の真殿を見ると、やはり広大な棚田があったことが分かります。私の同級生の母親は真殿出身です。昭和一桁代の出生でしょうから、この広大な棚田で耕したか手伝っていたはずです。また、その祖先は棚田の石積みをしたのではないかと思います。仕方がないこととは言え、祖先たちが代々築いた棚田が放棄されるのは残念なことです。
昭和35年頃の真殿地区周辺 ※黄色の線は今回歩いたコース
竹林の間を通る林道は、林道とは言いながら元々は棚田を営むための道だったようです。また、真殿地区の方々は三輪の妙福寺の檀家さんが多いと聞きます。妙福寺のお参り時に通ったのも、この道ではないかと思います。今は舗装道路を通って妙福寺にお参りすると思いますが、かつてはこの道を通って妙福寺や岩田方面に通っていたのではないでしょうか。
放棄された棚田の石垣群 切通しに出て、日差しが差し込む
棚田跡からしばらく、緩い上り坂が続きました。そして、坂を登り切った場所に切通しの道がありました。かつては、険しい崖が行く手を遮っていたのでしょう。その崖を崩して切通しの道を通したのではないかと思います。なかなかの工事だったのではないでしょうか。切通しの道を過ぎてすぐ、光市から来る林道と合流しました。
10年ほど前にこの林道をバイクで通ったことがあります。しかし、今はとてもバイクでは通れない林道になっていました。
田布施町 真殿~西山の山麓・史跡巡り下見ウォーキングコース