今年は国木田独歩生誕150年です。国木田独歩が足跡を残した地域では、生誕記念を開催する地域が少なくないと思います。田布施町も短い期間ではありましたが、明治24年から25年にかけて仮寓していました。そして青春時代の独歩に多大な影響を与えました。彼が描いたいくつかの小説に田布施町の風情が描かれており、のちの「武蔵野」の豊かな自然描写に影響を与えたと思います。
田布施町郷土館は独歩に関する資料を100点ばかり所蔵しています。元々は7月~8月に生誕150年展示会を開催予定でした。しかし、コロナ惨禍と猛暑を避けるため10月~11月に変更しました。今回、独歩が仮寓した吉見家跡周辺と高塔山周辺を実踏調査しました。この実踏調査を元に、3回程度に分けて独歩が愛した高塔山などの自然豊かな風情を案内しようと思います。
1:独歩が仮寓した吉見家
2:吉見家裏の吉見山
3:水場を望む惣田山招魂社
4:独歩が愛した高塔山
5:石城山を望む三角点尾根
国木田独歩がよく登った、吉見家跡の裏山を調査
私を含めて高塔地区に住む四人ともう一人の合計5人が、実踏調査に参加しました。私ともう一人は、子供の頃に高塔山や吉見家周辺を走り回ったことがあり土地勘があります。ちなみに、高塔山麓に我家の土地がありました。将来の木材のためにと、私が幼児の頃に一家で植林をしたことがあります。しかし、その植林した場所が高塔山のどこか忘れてしまいました。
独歩吉見家跡案内板 独歩吉見家跡石碑 跡地に建つ現K氏の家
さて、午後13時に高塔公会堂に5人が集合しました。各人は長靴を履き、灌木を切る鎌を持ちました。出発前に私の方から資料を渡しました。そして、今回歩くルートをざっと説明をしました。私も50年ぶり位に山を歩くため、安全第一で山を歩くことにしました。最初、公会堂から200m位先にある国木田独歩吉見家跡地の案内板前に行きました。その案内板から道を分かれ、国木田独歩吉見家仮寓石碑まで行きました。その石碑を確認後、吉見家跡地に行きました。
昭和30年頃の我家と吉見家跡周辺、今回黄色ルートを実踏調査
現在、吉見家跡地にはK氏が住んでおられます。K氏は留守でしたので、独歩が使ったであろう井戸や池などを確認しました。井戸は、私が覚えているつるべではありませんでした。独歩時代が残っているのは池だけでした。ちなみに、私が子供の頃、K氏の家によく遊びに来ていました。
吉見家時代からの池 吉見家跡の裏山に登るも藪だらけ
私が子供の頃、吉見家跡周辺は広々としており、その周辺の山によく登っていました。吉見家跡の裏山頂上は尖っており360°周りを見下ろすことができました。その昔、独歩や吉見家の子供達もこの同じ場所で景色や空や渡り鳥を見たに違いありません。そして、時間になると山に仕掛けられた鳴子で、家に帰るよう吉見家の主人から合図されたのでしょう。しかし今、住宅建設のため山は削られ頂上はもうありません。残念ですが仕方ありません。
実踏調査した国木田独歩関連ルート